飛躍


「ご夫人、そう緊張しないでおくれ。悪いようにはしないからね」


 ほんの少し前に、これでいいのだと思えたはずなのですけれど。

 こう間近で陛下に見詰められながらお言葉を掛けていただきますと、とても落ち着いた気分ではいられませんでした。


 助けを求めるようにして旦那さまを見れば、何故か旦那さまは眉間に皺を寄せています。


「父上がいるから緊張するのですよ。それになんですか、悪いようにはしないとは。その言葉は、悪人が悪いことをする前に使うものですよ?」


「この私を悪人とな。ははは。言い得て妙だ」


「純粋無垢そうな夫人を困らせる発言はやめてください。ですからこの場は私に任せてくださるようにとお願いしたのです」


「最初から失敗しおって、よく言えたものだな。夫人が怪我をしていたら、どうするつもりだったのだ?」


「それは……認めますが。騎士たちもいて二度目はありませんし、あとは私に任せていただきたい」


「ならん。このような面白き時を逃すものではない」


「……だからあなたには似たくないのですよ」


 陛下がこの場を面白がっていらっしゃることは間違いなさそうです。


 するともしかして私は揶揄われているのかしら?


 あぁ、旦那さま。

 眉間に刻んでいた皺をぐっと濃くし、怒っていらっしゃるそのお顔も素敵です。


 けれども陛下にそのようなお顔を向けて、大丈夫なのでしょうか。


 もしも旦那さまが咎められるときには、旦那さまの妻として私も一緒にその罪を償いましょう。

 領地に残してきた人たちには、ごめんなさいと伝えるしかありません。


 悲しくなってきました。


 泣かれてしまうでしょう。

 恨まれてもしまうでしょうか。


 でも最後は旦那様とご一緒したいのです。

 このように自分勝手な私ですから恨まれても当然ですね。


 せめてお手紙を残しましょう。渡していただけるかしら。


 もしかして罪人のお願いは聞いて貰えない?

 別の場所で違う時間に?手紙は没収?それ以前に紙もペンも用意がない?


 ますます悲しくなってきました。


「リーチェ、やはり今すぐ帰るとしよう。無理をすることはない。あとのことは後日私がしておくから、この場のことなんかリーチェは気にしなくていいんだ」


 はぅ。想像が未来へと飛び過ぎてしまいました。

 旦那さまはまだ何も咎められてはおりませんでしたね。


 陛下が正直でいいと仰っていたではありませんか。

 そうです。きっと旦那さまもこれでいいのです。


「大丈夫です。私も父の話が気になりますので、この場に残り話を聞きたいと思います」


 えぇそうなのです。

 私にはいまだに父が何に激怒しているのか、見当もついていなかったのですから。


 無理も何も心が辛くなるようなことはありません。


 殴られそうになったことについては驚きましたけれど。

 それだって理由を知らなければ心に響くものはないのだと分かります。


 実際に痛みを覚えていたら、私も少しは何か感じていたかもしれません。

 けれども旦那さまが守ってくださいましたから、私は元気ですし。


 素敵な旦那さまのお姿を見られ、むしろいい思い出となりそう。




 父はむすっとした顔でこちらを見ていました。

 このようなお顔の方だったかと、ついまじまじと眺めてしまうのですが。


 そうして私は、この後に続く父の話にまた驚かされることになったのです。





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