逃げ足
私が名前を呼ばなかったことも、家族として話さなかったことも。
弟は何も気にならなかったようです。
きっと頭の中は、思った通りに動かない姉に対する怒りでいっぱいなのでしょうね。
先ほどよりずっと険しい顔をして、弟は私を睨みつけていました。
「その手紙は手元に残っているのだろうな?」
旦那さまが問いました。
私もそれは気になっていたところです。
「え?あ、えぇと……それは母に聞かないと……」
あれほど自信たっぷりに言っておりましたから、あの人はわざわざ偽の手紙を作ってまで弟を動かしているのかと驚いてしまいましたが、それは違ったようです。
「手紙のやり取りはなかったと、私は先に伝えていたな?つまりその手紙は誰かが妻を騙り送ったものだと考えられる。すぐに調べよう。その手紙は証拠としてこちらに預けていただけるな?」
「は?証拠?調べる?」
「何を驚いている?当然だろう。妻を騙る不届き者がいるならば、すぐにでも捕え裁かねばならん。そちらの家とて騙されたわけだから協力していただけるな?」
「そ、れは……手紙の件は私の勘違いだったかもしれません」
「ほぅ。不確かな情報を元に、私たちの仲がさも悪いような偽りを述べたと言うか」
真っ青を通り越して、真っ白い顔をした弟が、必死に視線を投げてくるのですが。
私はもう旦那様の素敵なお顔に夢中で、それどころではありませんでした。
このようなお顔は、なかなかお側では見られないのですよ?
「先からそこの女といい、お前といい、私と妻を引き離そうとしているようにしか見受けられん言動を繰り返しているな?どういう了見か、ここで説明してみせよ。説明次第では……いくら愚かでもそれくらいは分かるな?」
「ひっ」「やだ」
二人は口々に怯えた声を出しました。
辺境伯らしいお姿をたまにしか見られない私は、こんなときであるというのに旦那さまにぽーっと見惚れてしまいます。
とても素敵です、旦那さま。
すぐにぽっと耳が赤くなり、旦那さまのお姿が変わってしまいました。
これは残念ですね。
もっと見ていたいと思っておりましたのに。
「ここにいたのか。探してしまったよ」
声が掛かりそちらを向けば。
服装だけでこの方が何者かを察し、私は慌てます。
けれども旦那さまが。
あの、旦那さま?
目が合わないのですけれど旦那さま?
旦那さまがっ!
腰に回した手を何故かここで強く固められたので。
私は身動きが取れないのでした。
一方の弟は、私が困っている間に、驚く速さで動いていたのです。
高貴な御方には言葉なく一礼をして、その後妹を引き摺るようにして、この場を足早に去っていきました。
呆気に取られつつも、私は自分のことを棚に上げて、また弟を評してしまいます。
高貴な御方からはお声が掛からなかったのですから、弟のこの対応は素晴らしかったのかしら?
まぁもう姿が見えなくなってしまいましたね。
あの子ったらあんなに逃げ足が早い子だったの……。
つい弟に同じものを感じてしまい、すべてを許しそうになる私なのでした。
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