第一章 工房の魔女

第1話 鎧病の謎

 ドラゴンテイルの喫茶店にお客さんが来店するのは、基本的に十の鐘と三の鐘の頃である。その時間帯は通称、おやつの時間と言われており、休憩がてらコーヒーを飲みに来る人が多いのだ。その時間帯以外は、お客さんが来るのも稀なので、レティシアは店番を猫型の精霊獣のニャルに任せて工房へこもるのだ。


 もちろん、本業である錬金に関する作業を行うためである。レティシアはそこまでお金に固執する性質たちではなかったが、何事にも先立つものは必要なのだ。そんな訳で、レティシアは今日も今日とて錬金術で色んなものを創り出す。


 レティシアが錬金術士になったのは、特に理由があった訳ではない。単に母親がそうだったからに過ぎない。レティシアの家系は代々、錬金術士であり、その能力は母親から受け継いだものである。


 ――普通の錬金術士にはそんなことなど起こり得ない。


 自らの努力と研鑚のみで知識を蓄え、工夫と試行錯誤の末に万物を創造する。レティシアは決してそれらを怠っている訳ではないが、とある特殊能力のお陰で少ない労力で錬金が可能なのだ。


 彼女が持つ特殊能力、それは『未知なる記憶アンノウンブック』と言う。錬金できるアイテムからその素材に至るまでがその分厚い本に記載されており、それを虚空から呼び出すことができるのである。その本は装丁が凝った造りになっており、バーガンディー色の表紙に角が金色の金属で装飾・補強されている。どこか重厚感のあるアンティーク風の本なのだ。しかし、その名の通り、まだ何も記載されていないページも多く、まだまだ謎は多い。レティシアは、この世界に存在し得る全てのものを錬金できる可能性を秘めている能力だと考えている。その未知なる領域を埋めていくことこそ、祖先が長いときをかけて行ってきた作業であり、世界の理の解明に繋がるはずなのである。


 今日も一日、平穏な時間が流れていく、レティシアはそう信じて疑わなかった。ニャルに喫茶店の店番を任せ、工房で知識書を読みふけっていた時、ドラゴンテイルの店先でレティシアを呼び出す者がいた。それも大層、大きな声で、その声色にも焦りの色が混じっている。


「レティシアさんはいるかね! 急患なんだ! 薬をッ! 薬を分けてくれないかッ!」


 その声を医者のマクガフのものだと判断したレティシアは急いで、声の下へと駆けつけた。彼の医務所にはいつも決まった量の薬を納品している。こんなところで急患とは、訪問診療の最中に何かあったのだろう。


「何事ですッ!? どうしたんですか!?」

鎧病がいびょうだッ! トーメル薬はあるかね?」


 レティシアが顔を見せると、そこには小さな子供を抱えたマクガフの姿があった。 

 その薬なら在庫があったはずだ。


「今、持ってきます!」


 レティシアは再び工房へと取って返すと、急いで目当ての薬を探し始める。こんな時、部屋を綺麗に片づけていなかったことが悔やまれて、レティシアは唇を噛んだ。

 工房内には資料や文献が散乱しているのだ。


「なにー? 眠たいのにうるさいなぁ……」


 工房の薬置き場でトーメル薬を探していると、場違いな間延びした声が聞こえてくる。小竜ミニドラコの精霊獣のファルだ。陽の光が苦手なため、日中は専ら眠りについている。


「ごめんファルッ! 急患なのッ!」


 レティシアはファルに謝ると、目的の薬を手に取って表へと走る。試験管のようなガラス容器に入ったその薬は紫色をしていて、彼女の走る動きに合わせてちゃぷちゃぷと音を立てて、波立っている。


 レティシアの目に再び、子供の姿が映る。ドラゴンテイルの薬屋の店先で床に体を横たえさせ、上半身をマクガフに抱きかかえられている。既に首や腕の皮膚が盛り上がり、硬質化しているのが遠目にも見て取れた。まさに現在進行形で硬質化が進行しているようだ。

 レティシアがようやくマクガフの下へとたどり着くと、トーメル薬を彼に手渡した。彼は、大事そうにそれを受け取って手慣れた仕草ですぐに栓を開けると、子供の口に薬を流し込んだ。子供の喉が上下する。


 レティシアとマクガフの視線が子供の患部へと集まった。近くではニャルの鳴き声が聞こえる。どうやら心配して喫茶店の方から駆け付けたようだ。しばらくの間、子供の様子を見守っていると、薬の効果が現れたようで、目に見えて硬質化の進行具合が止まり、硬質化していた皮膚も少しずつ元の状態へと戻りつつあった。


「何があったんです?」

「この子の訪問診療中に、急に皮膚の鎧化がいかが始まったんだ。あっと言う間だったよ」

「急に始まるなんて珍しいですね」


 レティシアはマクガフから発症時の様子を聞き取っていく。どうやら急性鎧病がいびょうのようだ。この病気は、ある日突然、皮膚が硬質化して鎧のようになっていくと言うものである。世間では先天的な病気だと言われているが、詳しいことは判明していない。原因不明の難病の一つなのである。また、理術りじゅつ神星術しんせいじゅつを使った治療でも効果は出ていないらしく、現状ではトーメル薬の服用のみが対処療法として存在している。


完全な治療薬は――ない。


「すまないな。代金はツケておいてもらえるかね?」

「そんなッ……代金なんてもらえませんよ……」


「しかし、高級な薬じゃないか」

「でも、先生だってお金を払う義理なんてないでしょう?」

「金貨一枚なんて、庶民にはポンと支払えるものじゃない」


 その後、二人の主張は平行線をたどったが、レティシアが何とかマクガフを説得することに成功した。


「すまないな……。来月の青色ポーションの納品を倍にしてもらおうか」

「……承知しました」


 青色ポーションは回復薬の中でも安価であり、精製方法も確立されている。主に体力の回復を目的として使用されているが、軽い怪我の治療や風邪薬として用いられていることも多く、その素材も入手しやすい。とは言っても普通の薬師による調合や錬金術士による錬金では、精製するのに時間がかかるため、簡単に量産すると言う訳にもいかないのだが。


「でも、どうするんです? 鎧化が始まったら、定期的に薬を飲まないと全身に回りますよ?」

「分かっている……。分かっているが……」


 マクガフの苦虫を噛み潰したかのような顔を見て、レティシアは自身の失言に気が付いた。彼の思いは痛い程伝わってくる。彼は医者であり、慈善活動をしている訳ではないのだ。そんな彼が理解していないはずがないのに。

 そんな言葉を残し、彼は子供を抱えてドラゴンテイルを後にした。その後ろ姿を見つめながら、レティシアは胸に苦い思いが広がっていくのを感じていた。


 トーメル薬の素材は決して入手しやすいとは言えない。一般にはあまり流通していない素材もあり、レティシアが入手のために出向くことも多い。素材の入手にはそれなりの労力を割く必要があるのだ。



――あたしは無力だ。



 そんな思いを秘め、レティシアは工房へと戻った。


「何があったのー?」


 先程の騒ぎで起こされたファルが呑気な声で尋ねてくる。


「鎧病の患者が来たの。まだ子供だったわ」

「ふーん。難病だねー。その子はどうなったの?」

「一応、薬で一時的に症状を止めたわ。でも放っておけば、また鎧化がいかが始まるわね……」


 ファルはそれ以上は何も聞いてこなかった。

 レティシアは、いつもの場所に腰かけると、デスクの上に積み上げられていた文献を乱暴に払い落とした。そのスペースに突っ伏すと、様々な思いが彼女の胸に去来する。


 錬金術とは何なのか?


 『未知なる記憶』とは何なのか?


 何故、不完全な知識しかないのか?


 この夜、レティシアは無力感に苛まれ、声を殺して泣いた。

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