第16話 小さな英雄
火は絶やしてはならない。戦いが終わってしまうから。
気を失ってはならない。まだ、敵を殺せていないから。
俺の攻撃の瞬間、黒い顔は
俺は瞼を破壊し、その奥にある眼球まで貫かんと試みたが、あと一歩及ばなかった。
俺の槍は、黒い瞼のみを破壊し、青い瞳までは届かなかった。
槍はどこかに弾かれ、肉体はミカエリに吹き飛ばされてしまった。
「まだ、ダメだ。寝るな、俺」
体中が熱くてたまらない。皮膚が焦げるような、内臓が
両足を伸ばして座り込み、うな垂れた状態から少しも体を動かすことができない。
手元に武器は無く、視界に移るのは湯気を発する自身の肉体と、真っ白に燃え尽きた髪の毛のみ。
もはや周りを確認するエネルギーさえも残っていない。
ミカエリが迫ってきているのか、黒い顔が俺に光線を当てようとしているのか、何も分からない。
ウイーン、ウィ、ウイーン、ウィ。
絶望の音が近づいてくる。奴らが目にしたいのは、俺の確実な死なのだろう。
「ふふ、ここで終わりか……。まだまだ、やりたいこと、できてないのにな」
涙が零れる。頬を伝うその水滴でさえ、俺に熱による苦痛をもたらす。
なぜだか、世界に自分の味方は一人もいないような、そんな孤独感に襲われる。
寒い。あれ、熱かったんじゃなかったっけ。
キュイーーーン! ズドーーーン!
突然、ファストの音とそれが墜落したような轟音が水底に響き渡る。
「いいいいいいやああああああ!!」
「小僧、お前に新しく仕事ができたぞ。あれを取って来い」
震えながら頭を持ち上げる。
視界に入ってきたのは、バブルバレット内に墜落したファストと、宙を舞う紺髪の少年、そして雪人狼だった。
なぜ? 一体何をしに? どういう組み合わせ?
その光景は、薄れゆく俺の意識を無理やり留まらせた。
情報量の多さが、俺にたくさんの疑問符を与えた。
「おい、届けもんだ」
俺の側で着地した狼の珍獣は、鋭い爪を有する拳を差し出して開いた。
その手のひらにあるものに、俺は目を奪われた。
ずっと欲しかった、真っ赤な宝石。
雪人狼の大きな手の平に、ポツンと一つだけ。
『ねえ、やっぱり俺あれ欲しい!』
『だから、自分で買えって』
『フェンリルが買ってよ!』
『何で俺がお前のために買わなきゃなんねーんだよ! そんなこと、超絶ねーよ!』
「超絶あるじゃん」
心に少しだけ火が灯った気がした。人からの贈り物なんて初めて貰った。
「今は一つだけだが、今度は大きいのをたくさんくれてやると言っていた。俺からすると、こんな石ころに一体何の意味があるのか、全く理解できねーがな」
雪人狼は私の手を乱暴に取り、手のひらに赤い宝石を載せる。
「ありがとう、届けてくれて」
「フン、よく分からん仕事を俺に寄こしやがって、自分でやれってんだ」
「ふっ、それは同感」
熱さも寒さもなくなってきた。というより、感じなくなってきたと言うべきか。
「おい、まだ死ぬな。あの黒い奴には俺の攻撃は通らねえ。お前の槍が必要だ」
「分かってるぜ。死に際の人間に厳しいな」
「グルルルル、生憎、人間の命に興味などない」
雪人狼とも、もっと話しておけばよかった、もっと知っておけばよかった。今となってはもう遅い。
少年が、私の槍を持って走ってくる。
一人でペットを探しに、危険を冒してまで避難エリアから抜け出してきた大馬鹿野郎だ。
彼が持つ、槍の青い炎はまだ消えてない。
「あの、取ってきました!」
「それをお前が使うんだ。珍獣の俺では、珍獣装備は使えないからな」
「へえっ!?」
雪人狼の言葉に、少年が素っ頓狂な声を上げる。
それは無いだろ、と言おうとしたのだが、よくよく考えてみると今はそれしか手立てがない。
「俺が道を開く、お前はそれで奴の目ん玉を潰せ」
「わ、わ、分かりました……」
不安になってくるほど声が震えている。彼は一般人だ、無理もない。
「少年」
「バフロさん……」
彼は、前回会った時と大分見た目が異なるにもかかわらず、俺のことを認識していた。
まるで、こうなることが分かっていたかのようだった。
「名前、聞きそびれていたな。教えてくれないか?」
「雨森ソラトです」
「では、ソラト。君には今から英雄になってもらう。俺からの頼みだ」
雨森ソラト少年は、キョトンとした顔を浮かべていた。
「頼む……。俺の最後の任務、成功に収めないと友人がうるさくてな。町の人達の命も懸かってる」
情けない。一般人の少年に、こんなことを頼むなど。これのせいで、彼はこれから死ぬかもしれないと言うのに。
「嫌です」
「…………、そうか」
何を期待していたんだ俺は。彼はまだ子供。
こんな重責、こんな恐怖、耐えられるはずがない。
「僕は英雄になんてなりません。でも、バフロさんを英雄にしてきます」
「…………!?」
気づけば少年は背中を向けて走り出していた。
青く燃える槍を片手に、振り返らず、真っ直ぐに敵へと向かって。
「あれは、英雄……」
彼の後ろ姿を見て、なぜそう思ったのかは分からない。
その背中は小さく、弱弱しく見えるはずなのに、蒼炎の槍を片手に走る姿は、俺の目にはなぜだかとても力強く映った。
「グルルルル、他のミカエリどもは任せろ。小僧はあの黒い奴だけを狙え」
「お願いします!」
雪人狼はその大きな手の平から、絶対零度の
雨森ソラトに迫るミカエリの群れを、氷塊を当てて凍てつかせる。
パリーン!
ミカエリを凍らせた氷塊は、割れると中にいたミカエリごと消滅した。
フェンリルの使っていた珍獣装備は、この雪人狼なので当たり前のことだが、彼の放つ『氷狼バズーカ』と効果は一緒だ。
ビーッ、ビーッ、ビーッ……。
(まずい!)
黒い顔の眼球が変色する。接近する少年を至近距離で見据え、
ピーーーーーーーーー!!
「わあっ!?」
少年は
咄嗟に槍の先端をそのレーザーに差し向けた。
レーザーは槍の先端に命中すると、そこを中心に屈折して数箇所に分散する。
間一髪、ソラト少年は究極のピンチを切り抜けた。
「はあっ! いっけえええええ!!」
少年は飛び跳ね、両手をつきながらなんとか黒い顔によじ登り、閉じることのない眼球を目掛けて燃ゆる槍を振り下ろす。
ブオオオオオオ!! グサッ!!
鈍い音の後、若干の静寂が流れる。
「ギョオオオオオオン! オウノ、シルベ」
黒い顔面の口が、これでもかというほど開き、これまで耳にすることの無かった奇怪な鳴き声を上げる。
雨森ソラトは、そのバカでかい声量に「レアンドロ」を握ったまま吹き飛ばされる。
「ギョオオオオオオン! ギョオオオオオオン!」
鳴き声を上げながら、黒い顔はその形を崩していった。
あれだけ堅かった黒い皮膚の部位に
そして、この惨劇の全ての元凶は湖の底にて消え失せた。
ウイーン、ウィ、ウイーン、ウィ、ウイーン、ウィ。
残ったミカエリ、小型ミカエリの全機がその場で混乱したように動き回る。
数秒間奇妙な挙動を見せた後、バブルバレットの外に出ていった。行き先はバラバラだ。
「バフロさん!」
「でかしたぞ、雨森ソラト……」
大仕事を成し遂げた小さな英雄が、俺の元に駆け寄ってくる。
「急いで帰りましょう! 救急テントで治してもらうんです!」
この期に及んで、彼はまだ俺を助ける気だった。
この姿を見れば助からないのは明白だろうに、本当におバカな奴だ。
「いい、自分の状態ぐらい分かる。これは、これまでにない感覚だ。いや、感覚すらもう無いんだ」
「……………」
少年は黙り込んでしまう。両手で槍を握ったまま、膝をついてうな垂れる。
「ありがとな、相棒。色々世話になった」
まだ微かに青い火を灯した「レアンドロ」に対して、いつもは照れくさくて面と向かっては言えない言葉を述べる。
もう戦闘は終わっているのだから、姿を元に戻して良いはずなのに、なかなか戻らない。
ははん、さては泣いているな。こいつはいつも自分の弱みを見せたがらないのだ。
そうだ、最後に……一つだけ。
「なあ、聞こえてるんだろ? 最後に一つだけ、頼まれてくれるか……?」
一向に姿を見せない相棒に、最後の頼みごとをする。
これまでいろんな頼みごとを聞いてもらったが、これが最後だ。
突然、レアンドロがその姿を槍から獣人へと戻す。
槍に灯っていた青い
そんな相棒に、そっと耳打ちをする。
「――――――」
「御意」
俺は手のひらを開き、真っ赤なルビーを見つめる。
「フン、その石そんなに欲しかったのか?」
雪人狼が、少し離れたところから腕を組みながら俺に尋ねてくる。
「まあな……。でも、ただ石が手に入れば良いわけじゃないぜ。誰から貰うかが重要なんだ……。その点、この赤い石は俺にとって特別なものだ」
「ますます分からねえな。どれも同じだろうが」
雪人狼は俺の返答に納得がいかず、片足のかかとを上下させ、少し不機嫌そうな様子を見せる。
「いつか……、お前にも分かると良いな……」
喋るのが苦しい。座ったままでいるのがつらい。早く寝転んでしまいたい。
「悪い……、そろそろ時間だ……。行ってくれないか……、見られたくないんだ……」
自分の最期が迫っているのを感じた。
「おい、行くぞ。まだファストが使えるかもしれねえからな」
「主にお仕えすることができ、私は幸せ者でした」
そう言った後、既に背中を向けていた雪人狼と、深くお辞儀をしたレアンドロは、私の要望に従いファストへ向けて歩み始めた。
二頭とも、そこから二度と振り返ることはしなかった。
「……バフロさん、ありがとうございました」
雨森ソラトの顔は、とても人に感謝をするときの顔ではなかった。
平和な田舎町の少年にとって、今日の日のことを忘れられるはずがない。
だから、彼が前に進めるように……。
俺は、今のこのとても晴れやかで満たされたような気分を、おもいっきり表情に移してみせる。
彼が俺のことを思い出した時……、それが笑顔であるように。
「さあ……、行くんだ少年……」
今生で最後の自分の声を振り絞る。
雨森ソラトは立ち上がり、二頭の後を追う。
少年、君は一体どんな夢を持っているんだい。
大きい夢かい、それとも小さい夢かい。
俺はね、叶えられなかったよ。
どれだけ大きかろうと、どれだけ小さかろうと、君は叶えてくれよ。
ドサッ。
上半身を後ろに倒す。
空は見えない。でも、湖の中も悪くない。
フェンリル。なあ、フェンリル。
俺、夢半ばで死んじまうらしいんだ。
なあ……、でも……。
誰かの夢、守れたのかな……。
俺、お前の隣に立ってもいいかな。
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