第15話 破滅の焔
「ワン、ワン、ワン!」
真っ白な犬が吠えている。飼い犬の証拠である赤い首輪を
「グルルルル、おい、犬。こんなところで何してやがる?」
「ワン、ワン、ワン!」
雪人狼は、飼い犬の臭いを頼りに、町からここまでやってきた。
森の中で、一定の方向にひたすら吠え続ける奇妙な犬を、その鋭い眼光で睨みつける。
「うぉい! 噛み殺すぞ!」
「クゥ~ン……」
自分の体より何倍も大きな獣に睨みを利かされ、犬は吠えるのを止めて小さく縮こまる。
「ワン……」
「ああ?」
雪人狼は、先程まで犬がずっと吠えていた方向に視線を向ける。
そこには、穴が開いていた。
人間なら数人程度は入れるサイズ感だ。よく見ると、それが、森の地面に無数に開いている。
雪人狼は、この穴が一体何に使われるものなのか、直感で理解する。
「グッフッフッフッ、どうするよ、フェンリル」
不敵な笑い声が、森に響いた。
フェンリルは、臨時作戦本部のテントに大慌てで入ってきた戦士から報告を受ける。
「フェンリルさん! 来ました! 第二波です!」
彼のその言葉を全て聞き終える前に、フェンリルは動き出した。すぐさまテントから出ると、報告してきた彼に次の指示を出す。
「戦力の大半を三角錐湖側に集めるぞ。町の崩壊した区域と安全な区域の境界に最終戦線を
戦士は十奇人の指示を受け、来た道を再び走って戻る。
彼が行ったのを確認すると、フェンリルはアサルトライフルを背中に背負い、戦場に
「奴らが出てきた今、俺も最前線に行く。やられっ放しでたまるかよ」
白髪の英雄は、ここからでも視認できるほどの大量のミカエリが、空から迫っているのを見て、右手で拳を作り、左手の手のひらに叩きつける。
再び頭数を揃えて乗り込んできた
「もう我慢する必要はねえ。暴れるだけ暴れてやるから超絶覚悟しろ、クソ機械どもが!!」
◇
ボオオオオオオ!!
火力は、一段と強まっていく。
「はああああああっ!」
自分の視界を覆うものすべてを焼き払う。
バフロは覚悟を決めていた。
ここが自分の終着点。しかしながら、誰かの運命の開始点でもある。
彼女の中には、確信に近いものがあった。
『火傘槍撃!!』
珍獣装備を両手に持ち、突撃の構えを取る。深く腰を落とし、取り囲むミカエリのその奥にいる、黒い顔を真っ直ぐに見据えた。
そして、残り少ない力を振り絞り、特攻ともいえる突進攻撃を繰り出す。
「おらああああああっ!!」
バフロの気持ちの高まりに比例した、高火力の一撃がミカエリの群れにぶつかる。
途端に、最前線にいたミカエリ、小型ミカエリから熱で焼却されていく。
先ほどと同じように、群れを縦に貫き通し、黒い顔との一対一対面に持っていく
ギョロ。
青い瞳が動く。
敵意とも殺意とも
「まずい!」
突撃の構えを解除し、防御体勢に移行する。
ビーッ、ビーッ、ビーッ……。
ピーーーーーーーーー!!
黒い顔の持つ青き瞳が、蛍光色に移り変わり、同色のレーザー光線が繰り出される。
発射先はその視線が見据える方角、バフロの方へと一直線に伸びていった。
ボガーーーーーーン!!
「ぐっ!!」
レーザー光線が一秒も経たずしてバフロの眼前に迫った。
その光撃を、バフロは驚異的な反射神経で槍に当て、体への直撃を回避する。
しかし、バフロの肉体はその衝撃に耐えられず、空中へと投げ飛ばされた。
ミカエリたちの格好の餌食である。
ニョロニョロ。ピトッ。
一機の小さなミカエリの触手が、バフロの左腕に触れた。
(これで、終わりなのか……?)
バフロの時間が止まる。その一瞬が彼女にはとても長く感じられた。
その短くも長い時の
(いや、まだだ。まだ倒れるには早いぜ、バフロ!)
自分ではない誰かのために、彼女は戦い続ける決断をする。
消えかかった彼女の瞳の焔は、再燃し、次の動作への迷いを完全に断つ。
ザシュッ!
バフロは、左腕を自ら槍で切り落とした。
『煙化離火!!』
空中で槍を回転させ、高温の火の粉を周囲に撒き散らす。
ここぞとばかりに近づいて来たミカエリを一掃する。
「はぁ、はぁ……」
ジュッ!
着地した直後、燃える槍の先端を左腕の切断部位へ当てる。
高温の火で止血を済ませると、バフロは右手のみで槍を構える。
「あとほんの少し、一瞬だけでも良い……。俺の身体、あいつに、十奇人に! 英雄に近づいてくれ!!」
『焔角槍!!』
今にも消えそうな弱弱しい炎が、槍の先端に灯る。
ミカエリは、バブルバレット内に溢れている。対して、自軍はただ一人。
勝機など微塵もなく、そこに広がるは絶望の赤い眼差し。
「燃えろ俺、燃えろレアンドロ!」
バフロの身体から湯気が出る。
それと同時に、珍獣装備に灯った小さな火が何倍にも増大し、青に変色した。
決意の赤き焔から、破滅の蒼炎へ。
明らかな異常をバフロから検知したミカエリの群れは、彼女への進軍を停止する。
しかし、バフロの炎が消えない限りは、それは停戦を意味しなかった。
青き炎の主は目を瞑ると、片腕で槍を肩に担ぎ、腰を軽く捻る。
『
静かにそう言い放つと、軽く捻っていた腰を深くまで捻り、限界のところで止める。
そこから、目を見開いたのと同時に、捻った力を利用して槍をスイングする。
ブオン! ブオオオオオオオ!!
青い炎の斬撃が、バフロの体を中心に全方位の敵目掛けて飛んでいく。上方以外の四方八方のミカエリが、たったの一撃で消し飛んだ。
バフロはその隙を見逃さなかった。
相手が陣形を組み立て直す前に、ミカエリの牢獄からの脱出を試みる。
ヒュン!
彼女の身体能力の爆発的な向上が、脱出を容易にさせた。
「覚悟」
陣を抜けた後、バフロは跳んだ。
人の次元を超えた、超跳躍。
女戦士はこの瞬間、人知れず十奇人の域に至った。
青き炎を纏う槍の切っ先は、バフロが討ち果たすべき敵の眼球へと向けられていた。
飛び跳ねたバフロの真下から、彼女を追尾するようにミカエリたちが襲い掛かる。
バフロは槍を頭上に大きく持ち上げ、思い切り振り下ろした。
『
青き焔が槍全体を覆い、さらに武器の使用者までも飲み込む。
青き炎の鬼と化したバフロが、下から迫り来るミカエリをまとめて串刺しにしていく。
ブオオオオオオオオオ!!
そして、その青い炎に触れたものを例外なく焼却していく。
眼下に映るすべての障害を除去した後、遂に黒い顔を残すのみとなり、女戦士はその決め技を繰り出す右手に力を込める。
ビーッ、ビーッ、ビーッ……、ピーーーーーーーーー!!
ブオオオオオオオオオン!!
蛍光色の光線が放たれるが、真上から来る青き槍の突撃は、黒い顔が放ったレーザー光線をいとも容易くかき消した。
正真正銘、バフロの戦士人生を懸けた最後の一撃が、黒い顔に迫る。
◇
「グルルルル、フェンリルはいるか?」
「いや、つい先ほど最前線に行ったぞ」
雪人狼は、森に開いた穴のことをフェンリルに伝えるべく戻って来た。
しかし、彼はすでに避難エリアから出ており、ミカエリとの激しい攻防が行われている、最前線の三角錐湖に赴いていた。
「グッフッフッフッ、惨劇が起こるぞ。避難エリアも用心しとけよ」
雪人狼は、その場に居合わせた一般戦士にただそれだけを伝え、再びどこかしらへと歩き出す。
「待て、雪人狼。貴様はどこに向かうつもりだ? 今すぐフェンリルさんの元へ向かってもらおう」
「グルルルル、人間ごときが俺様に指図すんじゃねえ! この忠告もありがたく思えよ! 俺は人間の命になど、毛ほども興味はねえ」
呼び止める一般戦士に対して、真っ白な獣は大きく喉を鳴らし、真上から彼の顔を覗き込んだ。
「うっ……、一体、何を見たんだ?」
戦士は雪人狼に気圧されながらも尋ねる。
「森の中で無数の穴を見つけた。大きさは、ミカエリが出て来れるくらいじゃねえか、グッフッフッフッ」
「そんな……、だとしたら、我々だけではどうにも……」
「言っただろ? 惨劇が始まるとな」
雪人狼にとって重要なのは、人命ではなく、血沸き肉躍る戦場であった。
白き狼は、その鋭い野生の勘によって、今、このドラミデ町で最も熱い戦場がどこなのかを感じ取っていた。
「グッフッフッフッ、匂うな。良い戦場の香りだ」
雨森ソラトは避難エリアに戻ってくると、真っ先に救急テントへと向かい、背中のクロハを下ろす。
「じゃあクロハ、僕行くね」
「ああ、早く失せろ」
素っ気ない態度を取るクロハとは対照的に、ソラトはにこやかに手を振ってテントから出ていく。
次に彼が向かった先は、彼のクラスメイトで委員長であるススムのいるところだった。
ススムは、騒動の間中、行き場を無くしたドラミデ校の生徒たちの面倒を見ていた。
「あのね、ススム君。お願いがあるんだ」
ソラトは、担任教師であった広子の
「先生、そうか……。もちろん、アシュ君のことは任せてくれ! ただ、俺はまだ、君が俺の注意に従わなかったことについて怒っている」
「そ、それは本当にごめん。それじゃあね!」
ススムは、ソラトの要望をすんなり引き受けた。
ソラトは、これから始まりそうな長々とした説教から逃れるため、軽く謝った後、即座にその場から逃げ出す。
「あっ! 待つんだ、ソラト!」
すでに走り出していたソラトの耳に、学級委員の声は届かなかった。
「ワン! ワン!」
「コワン!!」
ススムから逃げ出してきたソラトの元に一目散に駆けつけてきたのは、彼が避難エリアから飛び出すきっかけとなった愛犬・コワンだった。
クロハを背負い、アシュをここまで引き連れてきた
「ワン!」
「うわっ! どこにいたんだよ~。心配したよ~」
コワンが胸に飛びついてきた衝撃により、ソラトは後ろに倒れ込む。彼は
「ワンワン! ワンワン!」
「ん?」
コワンはある一定の方向と飼い主の顔を見比べ、何度も飛び跳ねる。必死になってソラトに何かを伝えようとしていた。
ソラトは、コワンの視線の先に目を向ける。
たった一人で丘を下る何者かの姿が、彼の目に留まった。
一人、いや一頭というべきだろう。二足歩行ではあるものの、外見的な特徴は人間とはかけ離れている。
一度焔牛人を目にしているソラトには、それが珍獣であることはすぐに理解できた。
「あの……」
「あん?」
ソラトは、避難エリアから湖の方へと歩く、その真っ白な狼に恐る恐る声を掛けた。
「あ、あなたが、コ、ココ、コワンを、み、見つけ出してくれたんですか?」
威圧的な眼差しを向けてくる凶悪そうな野獣を前に、ソラトは酷くたじろぎ、目を合わせずに尋ねる。
「お前、報告にあった、ファストを湖に落とした小僧か?」
「えっ? あ……、はい」
雪人狼はソラトの質問に答えることなく、逆に質問を返した。彼の返答を聞き、ニタリと
「グッフッフッフッ、ちょうど困っていたところだった。小僧、俺様を湖の底まで連れて行け。湖にファストを落とすのは、得意なんだろう?」
「え!? む、無理ですよ」
「つべこべ言うな! 雑魚は『はい』とだけ言えばいいんだ。それとも、俺の頼みを断ってみるか?」
雪人狼は怯える紺髪の少年に、自身の鋭い爪先を彼の目の前に持ってきて脅迫する。
嫌でも目に入ってくる獣の
「ひいいいいっ! 行きます! 絶対行きます! 喜んで行きます!」
キュイーーーン!
「あわわわわわわ」
トラウマ機体・ファストへの再搭乗。
雨森ソラトにとって、この戦闘機のイメージは当然良いものではない。二度と乗ることは無いと思っていた矢先でのこの出来事。
さらに搭乗するだけならまだしも、その操縦席に腰掛けるのは、彼自身であった。
「ななな、何で僕なんですかー? パイロットの人の方が、絶対いいですよ!」
「ピーピーうるせーな。俺は今勝手なことをしてるんだ。このファストだって無断で乗っている。あいつら脅しても、誇りやらなんやら抜かすもんだから面倒くせえ。こういう時は、弱っちい奴を使うに限るぜ」
雪人狼はファストのシートに深々と座り、背もたれに体重をかける。
「何も綺麗に着地しろとは言ってねえ。湖に行きさえすれば、最後にこの機体がどうなろうと別に構わねえ」
「あの、僕はどうすれば……」
「自分で何とかしろよ」
狼の言葉に、少年は絶句する。
雪人狼に対する恐怖、ファストの操縦に対しての恐怖、これから行く先への恐怖、様々な恐怖が彼の中で混ざり合い、結果彼から言葉を奪った。
湖へと向かうファストの眼下には、戦場があった。
フェンリル率いる八併軍は、ミカエリの進軍に対して善戦していた。
湖から現れるミカエリの群れを戦士の数に物を言わせて進行を押しとどめ、避難エリアへの侵入を防ぎ続ける。
それどころか徐々に戦線を上げていき、戦場は、崩壊した町からもうじき三角錐湖周辺の砂浜に移ろうとしていた。
「何じゃありゃあ? ファストの離陸許可なんて出したか?」
フェンリルは空の異変に気付き、横にいた部隊長の一人に確認を取る。
「いえ、そんなはずは……」
「ちょっと行ってくる」
フェンリルは頭の中で、身体がバネのように変化したようなイメージを持つ。
全身に力を込め、頭の中にあるバネを思い切り飛ばす。
ビューーーン!
超跳躍。その身体能力は、人間の域をとうに抜けていた。
フェンリルは上空に飛ぶファストの翼に掴まり、よじ登る。
「超絶何してやがる?」
翼の窓から、その窓際の席に優雅に腰かけていた雪人狼を発見する。
首を傾げ、殺意や敵意に似たものを含んだ、鋭い眼光を放っている。
「チッ、見つかっちまったか」
大きく舌打ちをし、翼付近のドアを開ける。
「意外にも大人しく開けたじゃねえか、雪人狼」
「なあに、お前が今にも撃ち落としそうな顔をしていたからじゃねえか」
フェンリルと雪人狼は、鋭い眼光を持つ者同士、機体の内と外の狭間で睨み合う。その間も、外の風はビュービューと中に吹き込んでいた。
「どこに行く気だ?」
「湖の底だ」
「なぜだ?」
「良い戦場の香りがしたからだ」
雪人狼の答えを受け、フェンリルは悟る。
今、三角錐湖の底では決戦が行われているのだと。
彼もそこへ行きたかった。友の力になってやりたかった。しかし、彼の十奇人という立場がそれを許さない。
「雪人狼、お前が行ったところでバフロの邪魔になるだけだ」
「あいつが俺の邪魔になるとも言えるな」
話を聞きそうにない雪人狼を説得しかねて、フェンリルは小さく肩を落とした。
「分かった。じゃあ、一つ頼まれてくれねえか」
「グルルルル、貸し一だな」
「この許可で貸し借り無しだろうが!」
フェンリルは翼の先端に立ち、空中に飛び込む準備をする。
「あと、そのパイロット、それが終わったら開放してやれよ」
雪人狼にそう言い残すと、フェンリルは地上に向けてダイブする。
パラシュートなどは持ち合わせておらず、普通の人間であれば既に気絶しているシチュエーションである。
「えっ、違います! 僕パイロットじゃないです! そんなーーーーーー!!」
フェンリルの角度からパイロットの姿は見えなかった。
ソラトの叫びは、当然フェンリルに届くはずもなく、戦闘機は変わらず目的地へと進み続ける。
決戦の地、三角錐湖の水底へ。
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