第14話 お約束

 全身に強い打撲、火傷の痛みを感じる。視界は爆炎で覆われている。

 さっきまで戦闘機の中にいたはずだ。あまりの景色の変わりように、どこかに瞬間移動したのかとさえ思った。


「うっ……」

「だ、大丈夫か……、生きているか……」

 痛みにもだえている僕に、戦闘機に乗っていた戦士の一人が、地面を這って近づいてくる。


「大丈夫です、生きてます……」

 体を動かすのがつらい。それでも何とか踏ん張って起き上がる。

「そうか……、良かった。他のやつらは……?」

 戦士は起き上がらなかった。いや、彼は起き上がれなかったのだ。


 左足の付け根から下が無くなっていた。


「せ、戦士さん!」

「俺はいい、それよりも他の人達を頼む」

 戸惑う僕に、片足の無い戦士は今すべきことの指針を示す。


「は、はい!」

 致命傷を負っている彼を残し、僕は先生やアシュ君、クロハや他の戦士たちがいないか周囲を見渡す。


「……いってーな」

 近くに、頭を押さえてうずくまっているクロハを発見した。

 頭から額、頬を伝って流れる赤い血が確認できた。


「クロハ! 大丈夫!?」

「触んな近づくなお前の助けなんかいらねえ失せろ!」

 側に近寄ろうとしたところで、激しく拒絶されてしまった。

 でも良かった、いつも通りだ。


 バシャーン! バシャーン! バシャーン!

 ウイーン、ウィ、ウイーン、ウィ。

 突如、三角錐湖の水面はなぎの状態から一変し、あちらこちらで激しい水しぶきを上げる。

 水しぶきの中から現れたのは、ここに至るまで、僕たちを何度も絶望の淵に追いやってきたあの球状の機械たちだ。


「クソッ、舐めんな! やってやるよ!」

 クロハは頭からの流血を放置し、腰に携えた二丁の拳銃を取り出す。


 パアン! パアン! パアン!

 水から出てきたミカエリたちを、再び水底に沈めていく。

 しかし、新たに水面から現れるミカエリの数の方が、彼女が沈める数を軽く凌駕りょうがしていた。


「おい! 立てお前ら! 俺たちの仕事、忘れてんじゃねえ!」

「「「おう!!」」」

「お前も行けるよな?」

「当たり前だろ!」


 立ち上がった一人の戦士が、他の四人の戦士に呼び掛け、銃を手に取ってクロハに加勢する。

 それは片足を失った戦士も例外ではなかった。転がっていた自身の銃を手にし、立てずとも応戦する。


「やだ! やだよ! うえーーーん!!」

 銃撃音に割って入るように、立ち昇る火の奥から子供の声がした。

 ここからは炎で見えないが、声からしてアシュ君だろう。急いで迂回うかいして声の下に駆け寄る。


「いやだ! お母さーん!!」


 僕の目に映ったのは、むせび泣くアシュ君と、そのかたわらで横たわる広子先生の姿だった。

 目に入ってきたその光景に愕然がくぜんとし、一瞬その足を止めてしまう。


「んっ、はぁ、はぁ……」

 先生は苦しそうに息をする。


 彼女の脇腹には、戦闘機のものと思われる大きな破片が深く突き刺さっていた。

 その箇所からは、大量の血が留まることなく流れ出ている。


「先生!」

 走っていた。僕に何ができると言う訳でもないのに、気付けば走っていた。

 泣いているアシュ君の隣にしゃがみ込む。


「ああ、ソラト君……。ごめんね……、先生、ちょっと運が……、悪かったみたいなの……」

 歯切れが悪く、力のない返事が返ってきた。


「今、助けを呼んできます!」

「いいの」

 僕が立ち上がろうとすると、先生は僕の腕を掴み、食い気味にそれを制止した。


「いいの、もう間に合わないから……」


 僕は言葉を失う。身近な人が、今目の前で息を引き取ろうとしている。

 何という無力感だろうか。今まで自分の無能さを呪ったことはいくらでもあったが、どれも今この瞬間程ではない。


 広子先生は、僕がどれだけダメな奴でも、見捨てずにきちんと向き合ってくれた恩師だ。

 ドラミデ校に入学してからの9年間、何事も丁寧に教えてくれた。嫌な顔一つ見せなかった。僕のちっぽけな夢を笑わずに応援してくれた。

 そんな恩師を、僕は救えない。


「ソラト君……、お願い……、アシュを連れて、ここから逃げて……」

「そんな……」

 俯く。先生の顔を見られない。隣で泣いているアシュ君の姿にも目を向けられない。


「じゃあ……、これ、先生からの最後の宿題ね?」

「え……?」

 先生が口にした「宿題」というワードが、あまりにも今の非常事態にそぐわなかったため、僕は思わず顔を上げ、先生と目を合わせる。いつも通りの優しい表情だった。


「大人になること」


 僕はその言葉を聞いて、瞬時に彼女の夢を思い出した。

 今まさに、一つの夢が失われようとしている。


「うふふ、宿題、いつもちゃんと……、真面目にやってくるんだけど、ほとんど間違ってたわよね……」

 何気ない日常を思い出す。

 きっともう戻らない、あの毎日を。


「今日の宿題は……、見てあげられそうにないから……、間違えちゃ、だめよ……。間違い直し、できないからね……」

「……はい」


 僕はアシュ君の手を取り、立ち上がる。

 採点者はいない。だから、この宿題を間違うわけにはいかない。


「いやだ! お母さん! 一緒に帰ろう! お母さん!!」

 アシュ君はその場から動こうとしなかった。母親にしがみつき、永遠と涙をこぼし、泣き叫んでいる。


「ごめんね、アシュ。これから先、一緒にはいてあげられないけれど、お母さん、ずっと見てるから……。ずっと……、愛してるから。だから全然、心配することなんて、無いんだよ……」

「やだ! お母さん!」


 言葉の後、彼女はゆっくりとまぶたを閉じた。

 閉じた目からはしずくが零れ、頬に一筋の通り道を描く。次々に溢れ出てくるその雫は、通り道を辿り、最後はしたたり落ちる。


 僕は、地面に落ちていた「炎の英雄譚えいゆうたん」の本を見つけて拾い上げると、頑なに動こうとしないアシュ君に手渡し、ゆっくりと彼を背中に背負う。

「行こう、アシュ君」

「ぐすん、ぐすん……」

 アシュ君は、片手で目を押さえながらコクコクと頷く。それを確認してから先生に背中を向け、ここから離れるべく歩みを進める。


「皆が大人になる姿……、見届けたかったな……」

 背後から、微かに先生の声がした。


「先生……、僕、今はこんなだけど、いつか先生のように立派な大人になって、会いに行きます」


 僕は振り返らずにそう言った。

 肩ににじむ涙の感触を覚えながら、炎の立ち込めるその場を後にした。



 ミカエリは迫ってきていた。

 僕が湖に目を向けると、クロハと五人の戦士たちは、その圧倒的な敵の数をさばききれず、徐々に湖から町側へと押しやられているところだった。


「クソッ! 数も多い上に、小さい方は当たらねえ!」

「こっちもだ! チックショー!」

 ミカエリたちは、戦士の銃弾を恐れることなく、ただただ機械的に押し寄せてくる。


「それにしても凄いな君。あの小さい奴相手に、確実に仕留めているのは素人の君だけだ。この件が終わったら、アカデミー試験を受けてみたらどうだ? 合格間違いないはずだ」

「切り抜けてからにしろよ」

 戦士が送った称賛に、クロハは素っ気なく答えた。


 あの戦士の言うとおり、彼女は本当にすごい。

 見ていると、ミカエリたちの丸い体の中心にあり、赤く点灯している箇所を正確に撃ち抜いている。


 より素早い小型のミカエリを相手にする時は、一発目は敵にわざと回避させ、二発目は回避先を読み、相手がかわせないタイミングで発砲している。

 誘導して仕留めるという、二丁の拳銃を生かした、クロハならではの戦い方だろう。


 ジャキン!

 一機のミカエリが、銀に光る刃をその機体からき出しにさせ、コマのように回転しながらクロハに襲い掛かる。


 いきなり出てきたミカエリの隠し武器に、戦士たちは一瞬たじろぐ。

 それとは対照的に、クロハはミカエリのその変形を目にしても、動きを止めることは無かった。


 左手に持つピストルを空中に投げる。

 ヒュン!

 横から迫ってきたその攻撃を、クロハは飛び跳ね、スピンしているミカエリを空いた左手で上から押さえつける。

 跳び箱でもしているかの様にその機体を飛び越えて、攻撃を華麗に躱す。


 パン!

 ミカエリが方向転換をするために回転速度を緩めたタイミングを見計らって、彼女は右手に持つピストルを発砲する。

 見事に赤い部分に命中し、撃ち抜かれたミカエリは活動を停止させ、やがて崩れて消えていった。


 パン!

 今度は空中に投げていたピストルを左手でキャッチし、自分の背後にいたミカエリの核に狙いを定め、撃ち抜く。


「ファ、ファンタスティック!!」

 先ほどクロハを称賛していた戦士が、仕事を忘れて立ち尽くし、大声で叫ぶ。


「エクセレント!!」

「グレイテスト!!」

「ビューティフォー!!」

「ス~パ~、アメイジング!!」

 その他四人も発砲する手を止め、親指を上に突き立てる。

「仕事しろよ!」

 すかさずクロハから注意を受け、五人の戦士はそれぞれの仕事へと戻る。


 僕とアシュ君は、丘の上の避難エリアを目指し、そろそろ丘の下側である崩壊した町に差し掛かるというところだった。

 その間も、一人の少女と五人の戦士の抵抗は続いていて、クロハは、自分の持つ戦闘センスを遺憾いかんなく発揮し、他の戦士たちを凌駕する働きを見せていた。

 あの様子を見るに、ドラミデ校の体術の授業は、彼女にとってとても退屈なものだったに違いない。


「ダメだ! 撤退するぞ!」

 いつまでも状況が好転しないことに耐え兼ねて、遂に戦士の一人が全員に退却の合図を送る。片足の戦士も別の戦士に抱えられて、戦場を後にする。


 しかし、クロハはその場から動かなかった。

「おい! 君も早く逃げるんだ!」

「うるさい。私は八併軍の戦士じゃねえからな、勝手にする」


 戦場に一人留まるクロハに、ミカエリたちは容赦ようしゃなく襲い掛かる。

 その向かってくる敵を、彼女は自分の体に近い順から次々と撃ち落としていく。


 しかし、さすがのクロハも限界なのか、徐々に動きが鈍くなってきていた。

 ジャキン!

「なっ!?」

 そして、ついにアキレス腱を切られ、その場に倒れる。それでも上半身だけで起き上がり、拳銃で応戦し続ける。

 ただ、あれでは時間の問題だろう。


 もしも今僕が、彼女に救いの手を差し伸べたりすれば、今世紀最大の罵声ばせいを浴びせられるかもしれない。

『きっしょ』『あんまり近づくなよ』『だっさ』

 彼女に浴びせられてきた罵声の数々が思い出される。

 しかし……、


『ソラトって、とっても優しいんだね!』


「ごめんアシュ君、ここでちょっと待っててね」

「……うん」

 背中に抱えていた、まだ目の赤いアシュ君をその場に残し、僕の体は湖の方角に向かって走っていた。  

 今の彼女では決して言わないであろう、かつての幼かった彼女の言葉に僕の決意は固められてしまう。


「クロハー! 今助けるよー!」

 奮闘するクロハを大声で呼ぶ。

 彼女が声に反応し、僕の方を向く。はは、相変わらず嫌そうな顔をしている。


 ミカエリ軍団に向かって、僕は迷わず突っ込んでいった。

 ミカエリたちは、僕の予想外の乱入に戸惑ったのか、一瞬その動きを止めた。


「てめーはアホなのか?」

 案の定罵声第一号を浴びる。

「私が助けてくれと頼んだか?」

 第二号を言われているうちに彼女を抱えて走り出す。

「おい下ろせ。ぶちのめされてーのか」

 第三号を聞き終えたタイミングで僕は提案する。


「僕がクロハの足になるから、あの機械たちを倒していってよ」

 我ながら名案だろう。

 クロハが失った機動力を僕がカバーし(たかが知れているが)、危険は彼女に排除してもらうというものだ。


 クロハは少し考えこんでから、不機嫌そうに答えた。

「ちっ……、クソほど気に食わねーししゃくだが乗ってやるよ。ここで死ぬのはごめんだしな」

 なんとか提案を飲んでもらえた。

 頑張れ僕の体。僕もこんなところで死にたくない。


 クロハは、動き出したミカエリたちに狙いを定め、応戦し始める。その正確な射撃は、追ってくる敵に追撃をゆるさない。

「クロハってやっぱり凄いね!」

「耳障りだから喋らず走れよ」

 言われた通りに口をチャックし、アシュ君の元へと出せる全力を出して走る。


「アシュ君! 走れそう?」

「……うん、がんばる」

 背負っているクロハを右手で支え、左手でアシュ君の手を握る。


 パアン! パアン!

 ウイーン、ウィ、ウイーン、ウィ。

 負傷した女子一名、それを抱える足の遅い男子一名、まだまだ幼い男児一名。

 逃げるスピードはかなり遅めだ。よって、僕たちの生存はクロハの銃の腕に掛かっていると言っても過言ではない。


「弾切れだ」

 クロハがそう呟く。僕はその概念が頭からすっぽり抜けていた。

「へえっ!?」

 思わず声が裏返り、頓狂とんきょうな声を出してしまった。

 彼女の攻撃が止んだ途端にミカエリたちに取り囲まれる。


 ウイーン、ウイーン。ジャキン! ジャキン!

 ウィ、ウィ。ニョロ、ニョロ。


「そ、そんな……」

 ミカエリがその機体から刃をのぞかせ、小さいミカエリは触手をうねらせる。

 ここからの打開は絶望的だ。


 パアン! パアン! パアン!

「無事か! 少年、急いで避難エリアに行け! ここは俺たちに任せろ!」


 突然の銃撃に、僕たちはミカエリも含めて全員が反応し、銃声のした丘の上側を振り向く。

 そこには、撤退した戦士たちに加えて、応援に駆けつけてくれたのであろう戦士数十名が、鉄の軍団に対して銃口を向けていた。

 僕は彼らの攻撃の邪魔にならないよう、クロハとアシュ君を連れて、急いで坂道を駆け上がる。


「少年、その子の母親は……」

 僕らと共にファストに乗っていた戦士の一人が、恐る恐る尋ねてきた。

「…………、すみません、助けてあげられませんでした……。もしも、あそこにいたのが僕じゃなかったら……」

 沈黙の後、俯いて答える。


「やめてくれ、君が謝ることじゃない。これは我々の……。むしろ君はよくやった。よくぞ、二人を無事連れて来てくれた」

 戦士は僕の頭を優しく撫でてくれた。

 なぜだか凄く安心して涙が零れてくる。色々な思いが溢れてくる。


 きっと僕は怖かったのだ。そして悲しかったのだ。

 ミカエリが怖くて仕方なかったはずなのに、生き延びるためには、怯えている暇なんてなかった。

 先生が死んでしまって悲しいはずなのに、隣で泣いているアシュ君を見て、僕が泣くわけにはいかないと思った。

 心のふたが外れ、抑えられていた感情がとめどなく溢れてくる。


「さあ、小さな勇者よ、最後の一仕事だ。二人を連れて、丘の上を目指すんだ」

 戦士はそう言うと、戦場へと歩みを進める。去り際、彼は僕の背中をポンと軽く押した。


 泣きながら、坂道を上る。

 涙で前が見えないが、進むべき方向だけは分かっているつもりだ。


「せんせ、最期に何か言ってたか?」

 背中のクロハが、突然僕に尋ねてきた。


「宿題、出されちゃった」

「はぁ? なんだそれ」

「……先生と生徒の約束だよ」


 先生が出した宿題は、きっと僕だけに課されたものではないのだろう。

 クロハやアシュ君にも、この宿題をやり遂げる義務がある。


『宿題は、先生と生徒のお約束、なんですよ!』


 ずいぶん前に、先生から教わった。

 約束は、守らなくちゃいけない。

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