第12話 決意の焔

『助けて』


 どこまでも深い闇の中、女の人が僕に助けを求めている。

 ミカエリの襲撃に遭い、パニックに陥ったドラミデ町での最初の犠牲者。僕は彼女の命が途切れるその瞬間を目撃した。

 彼女の瞳には光が映っていない。絶望のみを宿すその視線に、僕の心臓は鋭く貫かれる。


『助けて』

「ごめんなさい……」

 彼女の救いを求める声に対して、僕は力なくそう答えることしかできない。


 彼女の背後に、一人の男性が現れる。優しそうな若い男の人だ。

 そして、彼が現れてすぐに女性も現れた。

 今僕の目の前で希望無き視線を向けている女の人、その本人だ。しかし、背後の彼女の瞳は、希望に輝いている。


 二人はお互いの顔を見つめ合うと、微笑みかけ、手をつなぐ。

 しばらくして、二人の間に赤子が現れる。

 女の人がその赤子を抱え、柔らかそうなほほにキスをする。赤子は幸せそうに笑った。


 三人とも笑顔だ。その空間に絶望など微塵も含まれていない。

 だからこそ、それと対照的な手前の女性の視線が僕の胸に刺さった。


『助けて』

「…………」

 言葉を発することなんてできない。

 一体僕が、彼女に対してどんな言葉を掛けられるというのだろうか。


 後ろに見えている幸せな景色は、きっと彼女の夢だ。生きる希望だ。

 その美しい景色が、徐々に闇によってむしばまれていく。全てを支配している闇が、彼女の光を奪っていく。


 彼女の持つ美しく優しい夢が、闇に溶けた後、代わりに背後から一機のミカエリが現れた。

 無機質な赤い目を光らせ、絶望に打ちひしがれる女の人を見据えている。


 その目からは、怒りも恨みも、喜びも楽しみも、悲しみも殺意でさえも感じ取ることはできない。

 ただの無。彼らの目は、動く有機体を捉えるだけのセンサーに過ぎないのだろうか。


 ミカエリは、背中を向けている目の前の女性の頭部を食べた。

 そして捕食を終え、彼女を開放する。しかし、解放された彼女の肉体に頭部は無かった。

 食われた女の人の体は、徐々に消滅していき、闇の一部となった。


『へへっ、やっとお前に追いつけたぜ!』


 僕とミカエリだけを残した空間に、突如、聞き覚えのある威勢の良い声が響く。

 声のした方を振り向くと、そこには白髪の強面戦士と赤髪の女戦士が並んで立っていた。


「バフロさん?」

 呼び掛けたが返事は無い。これは僕が見ている幻覚なのだろうか。


『俺はまだまだ行けるぜ!』

 バフロさんが、白髪の戦士の顔を覗き込みながら、前に突き出した拳を握り締める。彼女の表情はとても晴れやかだ。


「これは……、バフロさんの夢?」

 今見ているのは、彼女が思い描く理想の景色だというのだろうか。


 そうなると、僕の中で一つの不安が生まれてくる。

 さっきの光無き眼を僕に向けていた女性は、夢を抱いたまま死んでいった。

 そして、その後のバフロさんの夢景色。嫌な想像をするなというのは無理があるだろう。


 僕は、その嫌な予感の原因でもある球状の機械の方に視線を戻す。

 一機のミカエリは、その赤い光を真っ直ぐにバフロさんへと向けていた。その様は、まるで獲物をロックオンしているかのようだった。


「……どうして、僕らを攻撃するの?」

「レイ……、サマ……」


 ダメもとで尋ねたつもりだったが、それに対して反応があったことに驚いた。しかし、言葉の意味は分からない。

 ミカエリが発した言葉を聞いた後、僕の視界はかすんでいった。目の前の機械生命体の輪郭が段々とぼやけていく。

 そしてついに、僕は闇の中に一人取り残された。



「はっ!」

「おっ、起きたか」

 目を覚ます。戦闘機の座席に横になって眠っていたようだ。

 僕のすぐ側には、八併軍の制服を着た戦士が座っていた。一体どういう状況だろうか。


「少年、災難だったな。だが、もう大丈夫だ。我々が君たちを避難エリアまで送り届ける」

 そういえば、僕は戦闘機を運転して、湖に突っ込んで行ったんだっけ。ちょうどその後からの記憶がない。


「私たちは湖に沈んじゃったけど、戦士さんたちが助けに来てくれたのよ。みんなで無事帰ることができて、本当に良かったわ」

 広子先生がアシュ君を抱えながら、混乱している僕に気絶していた間の出来事を教えてくれる。


 気が付かなかったが、今この戦闘機は水の中を進んでいた。

 戦闘機には、操縦しているパイロットに戦士が数名、そしてクロハや広子先生、アシュ君の僕と一緒に湖に落っこちた組が搭乗している。


 ふと、僕はなぜか戦闘機後方の窓に意味もなく目を向けた。

 後ろの窓から見えたものに驚愕きょうがくし、口を開けたまま固まってしまう。


 大きくて真っ黒な人の顔が、これまた大きな青い瞳を水底からこちらに向けている。

 そして、その口からは、多数のミカエリが絶えず生み出され続けている。


「ひっ、ひいいいいいいい!! ぎ、ぎゃああああああ!!」

 普通に生きていれば目にすることは無いであろう異様な光景に、遅れて情けない悲鳴を上げる。

 戦闘機の中にいるので、どこに逃げられるわけでもないのに、僕は座席から転げ落ち、這ってでも後ろの未知の存在から少しでも離れようとした。


「落ち着け、大丈夫だ。向こうにはバフロさんがいる」

「えっ?」

 その戦士の言葉に僕は少し冷静さを取り戻し、座席のシートに体重を掛けて立ち上がる。

 再び後ろの窓を振り返る。目を凝らしてよく見てみると、見覚えのある影が二つ、そこにはあった。


「バフロさんがあれの相手をしているから、俺たちは今こうして真っ直ぐに地上を目指せているんだ。そうでなければ、今頃大量のミカエリに襲われて、海の藻屑もくずならぬ三角錐湖の藻屑だったな」

 それを聞いて、僕はさっきまで見ていた夢のことを思い出す。


「……あの、助けに行かなくて良いんですか?」

 僕なんかが強い戦士であるバフロさんの身を案じるなんて、おこがましいことだと分かっている。

 でも、どうしても不吉な予感がしてならない。


「一番助けに行きたいのは俺たちさ。あの人は命の恩人だからな。だが、彼女はお互いの任務を全うしようと言っていた。それはつまり、助太刀すけだち無用ということだ」

 戦士の一人はそう言った後、悔しそうにくちびるを噛みしめる。他の戦士達も、俯いて何か考え込んでいる。


「今俺たちが最も優先すべきは、お前たちを避難エリアに届けることだ。そのためなら、たとえ恩ある上司であっても切り捨てる」


 戦闘機が引き返すことはなかった。

 僕はミカエリに囲まれるバフロさんと焔牛人の背中を遠目に眺める。

 ただひたすらに遠ざかるこの機体を止める術は、僕には無い。


 しばらくして、僕たちは激しい水しぶきとともに水と大気の境界をまたいだ。


    ◇


「嬉しいね。こうもモテたことは無いぜ」

「そうか。では、お目当ての相手はいるか?」

「全部、燃やし尽くす」

「手伝おう」


 幾重いくえにも連なるミカエリの壁を前に、焔牛人はバフロの足元でひざまずき、右手を主へと差し伸べる。サイズの大きな焔牛人は、跪いたとしてもその高さがバフロの首元まである。

 バフロは焔牛人の手のひらに触れると、溢れんばかりの覇気を声に乗せ、敵を威圧しながら唱える。


「珍獣装備『レアンドロ』!!」

 まばゆい光に包まれた後、女戦士の手元に焔の如く赤き槍が顕現けんげんされる。

 彼女はそれを右手で掴み、頭上で数回転させて槍から炎を噴き出させる。


『焔角槍!』

 槍の先端が燃える。

 バフロはそれをミカエリの壁の、そのさらに奥にいる黒い顔へ差し向けた。


「この槍が、お前を貫く」


 勝利宣言に等しい口上を述べた後、バフロは大きく跳び上がる。

 空中で槍を両手で持ち、振り回す。槍に宿った炎が四方八方あらゆる方向に飛んでいく。


煙化離火えんかはなび!』


 散布していった小さな火の粉は、バフロの周りを取り囲む無数のミカエリに向けて放たれた。

 ミカエリは圧倒的な数的有利にあったが、その数の多さが災いする。彼らに回避するためのスペースは無く、放てば当たると言った状態にあった。


 火の粉はミカエリに着火した瞬間、その機械生命体を炎で包み込む。

 あっという間に対象を燃やし尽くした炎は、その対象と共に煙へと変化した。


 ウイーン、ウイーン、ウイーン。

 ミカエリは一気にその数を減らし、築いていた陣形を崩す。

 壁が崩れた後は、バフロの攻撃からただひたすらに逃げ惑った。

「数が多けりゃ有利ってわけでもないぜ! ミカエリ軍団!」


 ウィ、ウィ、ウィ。

 散っていったミカエリに代わり、今度はその小型版が束になって、着地したバフロに襲い掛かる。

 多勢の小さな鉄の塊が群れを成し、触手を生やして波のように重なり合いながら迫りくる。


 バフロは「レアンドロ」を前方に突き出して構えると、鉄の波目掛けて突進する。

 槍の先端の炎が、突進によって彼女を包み込むように広がる。


火傘槍撃ひがさそうげき!!』


「はああああああっ!」

 ボゴーーーーーーン!!

 数百機の機械生命体の大群と、一人の女戦士が激しい爆発音とともにぶつかる。

 衝突の際、傘のように広がった紅焔が小型ミカエリの姿を灰へと変え、同時にバフロを守る盾ともなる。


 ドドドドドドドド!!

 バフロは、小型ミカエリの波の中を一直線に突き進む。

 炎によるガードは前方のみ。この場で少しでも足を緩めれば、囲まれ、殺される。

 バフロは群れを縦に引き裂き、最後尾の機体をその赤き槍で貫いた。小型ミカエリの波を全速力で潜り抜ける。貫かれた一機は激しい業火に燃やされ、やがて爆発し、消滅した。


「次はお前だ!」

 彼女の目的は初めから一つだった。

 ミカエリ、小型ミカエリが織り成す陣を突破したバフロは、右手に珍獣装備を強く握り、続け様に黒い顔めがけて突進していく。


『情熱・ハイパー・パワフル・ピアース!!』


 跳躍し、槍の先端を真上から黒い顔の鼻先へと向ける。

 ボオオオオオオオオオ!!

 たけき焔をまとった槍は、外れることなく正確に大きな黒い鼻を捉えた。


 ガキーーーン!

 直後、金属同士がぶつかり合うような音が響いた。


「なにっ!?」

 珍獣装備「レアンドロ」は宙を舞う。

 バフロ渾身の一撃は、黒い顔に傷一つ負わせるに至らなかった。

 後方に弾かれた槍は空中で数回転した後、地に突き刺さる。


「…………」

 敵を確実に仕留めるための必殺の一撃が破られ、バフロは黒い顔の鼻の上で茫然ぼうぜんとし、言葉を失う。


 珍獣装備が手元から離れ、動きを失ったバフロに、ミカエリと小型ミカエリが入り乱れる形で群れを成して取り囲む。

 彼女を囲む鉄の円は、急速に縮小していく。


「バフロッ!」

 装備から獣の姿へと戻ったレアンドロは、バフロを救うべく超人的な脚力で飛び跳ね、ミカエリの群衆の中に力強く突っ込んでいった。


 両腕に焔を纏い、体を回転させながら群れに衝突する。

 ミカエリの群衆に風穴が開く。


「レアンドロ!」

「私の手を掴め!」

 バフロはレアンドロの発言に従い、差し伸べられた獣人の右手を掴む。同時にレアンドロも主の手を強い力で握る。


 獣人は着地の瞬間、突っ込んだ勢いを利用して膝を深く沈める。

 今度は頭にある二本の角に炎を宿し、再び力強く上部へと飛び跳ねる。

 同じ要領で群れの天井を開いた。


 バフロとレアンドロは、周囲にミカエリのいない開けた場所に着地する。

「悪い、助かったぜ。こりゃあ、一旦共闘だな」

「御意」

 バフロは、自身の背中に携えていた中距離用の銃を取り出す。

 女戦士と獣人は背中合わせに立ち、まだまだ大量にうごめいている敵を迎え撃つ体勢を取る。


「…………」

「うるせえよ! まだまだこれからだろうが!」

「何も言っていないが」

「口に出さなくても何考えてるか分っちまうんだよ!」

 終わりの見えない戦いを前にして、バフロはくじけてしまいそうな自身の心を奮い立たせる。


「……気づいたことが一つある。奴は、攻撃の直前に目をつむった」

 レアンドロは少し考え込むと、黒い顔の方を見てバフロにそう語りかけた。


「それが何だってんだ?」

「人間は、何かが急速に近づいてくると反射的に目を閉じるだろう。それはなぜだと思う?」

「反射的に危険を感じるからか?」

「そうだ。危険から眼球を守るためだ。あくまで可能性の話に過ぎないが、君の攻撃の際に目を瞑ったということは、あの黒い顔の弱点は目だ」

 バフロはレアンドロの気付きに「はえー」と感銘を受けると、銃を構え直し、口角を上げてニヤリと笑った。


「そうと分かれば、あいつの目ん玉に一撃入れりゃあ済むわけだ。簡単な話だぜ」

「それが簡単なら、君はとうの昔に十奇人だ」


 ビーッ、ビーッ、ビーッ。

 ここに来て、泡のドーム内に聞き慣れない音が反響する。


「なんだ!?」

 バフロは音の鳴る方へと視線を向けた。

「黒い顔の方向だな。何やら仕掛けてくるやもしれん」

 バフロに対して、レアンドロは視線をそこに向けることなく、眼前を埋め尽くすミカエリに集中している。


 ビーッ、ビーッ……、

 ピーーーーーーーーー!!


 黒い顔の青い瞳が、蛍光色けいこうしょくに輝く。

 その直後、高音と共に一筋の光が、三角錐湖の底から水面に向けて発射された。


「まさか……、彼らの乗るファストを狙ったのか?」

「あいつ!!」

 相棒の考察に、バフロは血相を変えて黒い顔を睨みつける。


 ウイーン、ウイーン、ウイーン。

 ウィ、ウィ、ウィ。

 黒い顔から光線が発射されたかと思えば、突然、三角錐湖内にいたミカエリと小型ミカエリの群れの一部が、バフロとレアンドロを他所よそに、水面を目指して浮上し始めた。


「おい! どこに行くつもりだ!」

「まずいな、第二波が始まろうとしている」

 レアンドロの言う第二波。それは、ミカエリたちのドラミデ町民に対する二度目の襲撃を意味していた。


「行かせないぜ」

 バフロは銃を浮上していくミカエリへと向ける。

 バババババババババ!

 地に落とすべく、乱射する。数機に命中し、撃ち落としに成功するが、それは浮上していくミカエリたちのほんの一部でしかない。


「クソッ、多すぎる!」

「バフロ、来るぞ!」

 町へと向かうミカエリに気を取られているバフロを、レアンドロは呼び戻す。


 浮上せずこの場に残ったミカエリ、小型ミカエリの群れが、女戦士と珍獣をドーム状の陣形を成して包み込む。機械たちは四方八方に加え、上方まで逃げ道を塞いでいる。


「レアンドロ、ここで地上に出ていくミカエリの数をできるだけ減らすぞ。あっちのことは、フェンリルに任せる」

「御意」

「俺たちはとにかく数を減らして、黒い顔をぶっ殺す。行くぜ!」

 背中合わせになっていたバフロとレアンドロは、バフロの掛け声でお互い真逆の方向へ攻撃を開始する。


 バフロは正面にいる敵集団へ向け乱射。

 焔牛人は自身の肉体から炎を弾けさせ、同じく正面の敵集団目掛けて突進する。

「おらああああああ!」

「フンッ!」


 バフロとレアンドロのどちらか片方でも崩れれば、一気にミカエリの波がなだれ込んでくる状況である。一人と一頭は、お互いのため奮闘する。

 しかし、多勢に無勢。その抵抗もむなしく、じわじわとミカエリの作るドームは縮まってきていた。


 しばらく攻防戦が続いた後、バフロの持つ銃の弾、レアンドロのスタミナが共に切れる。

 ウイーン、ウィ、ウイーン、ウィ。

 尚もミカエリの進行は止まらない。バフロとレアンドロは、再び背中を合わせる体勢へと戻っていた。


「ゼェ、ハァ、あれだけやったはずなのに、景色は最初と変わらねえ。……まだまだ楽しめるってことでもあるけどな!」

「ハァ、ハァ、……フッ、これでボーナスが上がらないのなら、君は戦士を辞めるべきだろう。今の給料では割に合わないからな」


 互いの姿は見えない。

 弱気な発言こそしないが、声色から相棒が限界であることを両者ともに悟る。


「……行くぜ」

「……御意」

 静かにそう言った後、バフロは獣人の背中に右手を添える。


「珍獣装備『レアンドロ』」

 決意の焔が舞う。

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