第10話 運命の寒色

「ソラト君、私が変わろうか? 本当にあなただけで大丈夫?」

「はい……、大丈夫です」

 後方の席に戻った先生は、僕に操縦を替わるか尋ねてくる。

 しかし、僕は怯えるアシュ君を見てしまった以上、彼の側から先生を奪うわけにはいかなかった。


 ハンドルを左に傾け、町の上空を旋回せんかいする。

 コックピットにある通信機から聞こえてくる声が言うには、着陸するのに必要なのは僕が今両手で握っているハンドルと、操縦席の側にあるレバーらしい。


『君が目指すべきは、戦闘機を三角錐湖に不時着させることだ』

「不時着……、そんなこと……」

 できるわけない。僕は指示を聞いて、その難易度の高さに打ちひしがれる。


『着水の際に、できるだけ機体を水平に保つんだ。すまない、民間人にこんなことをさせるなど……、八併軍の戦士として情けない限りだ。しかし、今は君が頼りだ。必ず迎えに行く。文句は生き残った後に、何とでも言ってくれ』

「…………やってみます」


 どうせこのままだと四人揃ってお陀仏だぶつなのだ。

 勇気と決意が必要だ。これまでの人生で、そう言った場面は人より経験していない自覚がある。

 もしも神様がいるとして、これはその神様が与えた僕への試練なのかもしれない。


『よし、ではまず、操縦席にある赤いボタンがあるだろ?』

「はい」

 ポチッ。すかさず押す。


『そのボタンにだけは触らないでくれ。戦闘機の速度を急加速させるものなんだ』


「…………」

 やってしまった。やってしまったのだ。

 顔から血の気が引いていくのが分かる。全身の毛穴から、妙な汗が噴き出してくるのも感じ取れる。


「お、押しちゃいました……」

『何やってるんだ!!』

 ボタンを押してから数秒後、戦闘機の速度が一気に上がる。もはやハンドルでの操作など叶わない。

 あまりにも急な変化に驚き、反射的に通信機を握る手を放してしまった。


 キュイーーーーーーン!!

「うわあああああああああ!!」

 機体はものすごいスピードで蛇行しているようだ。しかし、激しく揺れて時に一回転もするため、機内からだとどのような動きをしているかなど分からない。

 今下に落ちているのか、それとも上昇しているのか、戦闘機の状態を全く掴むことができない。


「こわいよ!! おかあさーーーん!!」

「大丈夫よアシュ、お母さんがいるからね!」

 アシュ君は、物凄い声量で絶叫しながら母親にしがみつく。先生はしがみついてきた我が子を包み込むように抱きしめた。


 いやだ。死にたくない。死なせたくない。

 ふと、今の今まで忘れていた記憶が、この極限状態にあったがゆえか、僕の頭の中によぎる。


『先生は皆が立派な大人になるのを見届けるのが夢です!』

 ドラミデ校に入学したてのころ、夢を語るという授業で、広子先生がそのようなことを言っていたのを思い出す。


『宙海の謎を解明して、すっごい有名人になるんだ!』

 これは、さっきアシュ君が語っていた夢だ。

 こんなところで、二人の夢は潰えてしまうというのだろうか。僕のせいで……。


「マジ何してんだよ」

 パニックに陥っていた僕を、蔑んだような静かな声が我に返す。操縦席の後ろを振り返る。


 そこにいたのは、これまで様々な大事件が起きていたにもかかわらず、居眠りにふけって一向に目を覚ます気配がなかったクロハだった。


 尚も戦闘機は空中を猛スピードで飛行しており、今度は機体が大空へ向けて垂直に大きく傾く。

「いやだー!! こわいよー!!」

「大丈夫、大丈夫だから!」


「ちっ」

 クロハはその傾きを瞬時に察知して、片手で副操縦席の手すりを掴んだ。

 後ろの席から叫喚きょうかんが聞こえてくる中、彼女はその機体後方に振り落とされないよう、重力に片手で抗う。


「おい間抜け。替われ!」

 なぜだろう。彼女は戦士でも何でもなく僕と同じ一般人なはずなのに、その時、物凄い安心感を覚えてしまった。思わず安堵の笑みが零れてしまった。


「クロハ……」

「きっしょ……、何笑ってんだよ。早くどけよ」

 急いで操縦席を彼女に明け渡し、僕は副操縦席に移動する。


 クロハは操縦席にあるハンドルを回したり、レバーを引いたり、ボタンを押したりしながら、僅か一分足らずで機体の速度と体勢を安定した状態に戻して見せた。

「あとはお前がやれよ」

 戦闘機の状態を整え終えると、クロハはそう言って機体の後方に戻っていた。


「クロハは?」

「私は外の意味わからん奴ら相手してくる」

 彼女は、ずっと腰に携えていた二丁の拳銃を両手に持つと、飛行中の戦闘機のドアを躊躇いなく開いた。猛烈な風が機内に入り込んでくる。


 ウィ、ウィ、ウィ、ウィ、ウィ。

 戦闘機の状態は安定した。

 しかし、それによって次の危険が生まれる。


 その危険とは、もちろん小さなミカエリのことだ。

 今まで戦闘機が暴走してくれていたおかげで、彼らからの攻撃を受けることも、彼らの侵入を許すことも無かったが、速度が落ちて飛行が安定した今、それは容易に起こり得るのだ。


 パアン! パアン! パアン!

 クロハのピストルが放つ弾丸は、素早い動きを見せる小型ミカエリに正確に命中していく。

 八併軍の戦士たちの攻撃があれほど回避されていたのが嘘のようだ。


「ちっ、キリねえな」

 クロハが体を張って敵の数を減らしてくれてはいるものの、それは微々たるものだ。

 この戦闘機を取り囲んでいる小型ミカエリの数は、いくらクロハといえども、到底一人で何とかできる量ではない。


「クロハ! あの機械が出す触手のようなものには、絶対に触っちゃだめよ! 戦士さんたちがあれにやられたの!」

「サンキュ、せんせ」

 広子先生の助言に、クロハは珍しく感謝の言葉を口にした。


 その間僕は、無事緊急着陸するために、大きな揺れによって手元から離れてしまった通信機を体を伸ばして拾うと、その先のオペレーターに向けて問いかける。


「あの、すみません。何とか無事です。どうすれば良いでしょうか?」

『良かった、どうなることかと思ったよ。まずさっきと同じように、しっかりとハンドルを握って少しだけ傾けるんだ。ミカエリたちが作った結界に衝突しないよう、上空を旋回し続けてくれ』

 言われた通りに作業をこなす。

 今度は失敗が無いよう、慎重に指示を聞き、慌てず冷静に対処する。


『それができたら、徐々にレバーを下げていくんだ。そうすれば、高度が少しずつ下がっていく。渦を巻くようにして湖に降下し、着陸、いや着水の衝撃をできるだけ抑えることが重要だ』

「……わかりました」


 半端ない緊張感だ。

 僕はきっとパイロットにも向かない人間なんだろう。乗客の命を預かるという責任感に押し潰されるに違いない。


 機体を徐々に地上へと近づけていく。

 クロハのおかげで、外敵から襲撃を受けることもなく順調に降下できていた。


 ウィ、ウィ、ウィ、ウィ。

 しかし、敵もそう簡単に僕らを逃がしてはくれない。

 僕の座るコックピットのフロントガラス付近に、小型ミカエリたちが集まり出した。


 まずい。クロハの手の届かないここからだと、簡単に彼らの侵入を許してしまうことになる。

 侵入を防ぐためという理知的な判断と、迫りくる死という根源的な恐怖が合わさり、僕に緊急回避を選択させる。

 意図と反射が握るレバーを急激に下ろさせる。


 キュイーーーン!

「うおっ!」

 扉を開けて戦っていたクロハの身体が外に放り出される。


 彼女はその類稀たぐいまれなる身体能力で何とか片手で戦闘機にしがみついた。

 そして、右手の腕力だけで機内に這い上がってみせた。右手に持っていたピストルは、両の足で見事にキャッチしている。

 華奢きゃしゃな身体からは想像もできない動きだ。


「おまえ……、マジ殺す」

「ごめんごめんごめんごめん!」

 ほぼ90度で水面へと向かって行く戦闘機の中で、僕たちは普段と何ら変わらないやり取りをする。


「お母さん、俺死ぬのかな……?」

「大丈夫よ、大丈夫……。きっと……」

 アシュ君の悲壮感ひそうかんあふれる言葉に、先ほどから何度も励ましの言葉を返している先生だが、その口調から彼女にも不安が募ってきているのが伝わってくる。


 再びレバーを引き上げるものの、垂直に落ちている機体の角度が水面と平行になるまではとても間に合わない。

「うわあああああああああ! もうダメだああああああ!」

『おい! どうした!? 何が起こってる!?』

 通信機の声に返事をする余裕はない。生と死の瀬戸際だ。


 僕たちの乗る戦闘機は、三角錐湖の水面に真上から衝突しようとしている。

 学校の本か何かで見たことがあるが、水とはいえ、高いところから高速で落ちれば、地面と変わらない強度を持つらしい。

 つまり、今のこの状況は不時着失敗を意味している。


「クソッ! これで死んだら、お前の事呪い続けるからな!」

 クロハが着水の直前に扉を閉め、僕に対して恨み言を吐き捨てる。


 波一つ立っていない綺麗な水面が、コックピットのフロントガラスを介して迫ってくる。

 高いところにいた時はそこまで戦闘機の速度を感じなかったのに、ある程度近づくと、一気に迫ってくるような感覚を覚え、普段体感することのない戦闘機のスピードを感じ取れた。


 バッシャーーーーーーーーーン!!


 水に沈む。

 三角錐湖の水面下の世界に、僕たちは引きずり込まれた。

 目の前に広がる一面の寒色を最後に、僕の記憶は途絶えてしまった。

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