19 いままで『やめて』と願って、一度としてやめてくれたことがあったかしら?


「な……っ!?」


 ルミナエは伸ばした右手一本で、悠々とザカッドの剣を受け止める。


 冬の陽光を跳ね返す刃は明らかに本物だ。だが、ルミナエはたおやかな手で刃を掴み、ザカッドの剣を制していた。


「暴力にしか訴えられないなんて、本当にクズなのね。脳みそに汚物しか入っていないせいかしら?」


「てめぇ……っ! 何しやがった!? 離せコラ!」


 ザカッドが剣を動かそうと必死で剣を動かすが、ルミナエが掴んだ剣はぴくりとも動かない。


「何をした? 私も『ドナシオン』の力を使っただけよ。でも、ゴミ女と呼んでいる私より大したことがないなんて……」


 くすり、とルミナエは唇を吊り上げる。


「いままでの悪行だけでなく、騎士団長としての実力もゴミクズ以下と言うべきじゃないかしら?」


「ふざけんなっ!」


 罵声を上げたザカッドが、力任せに剣を引こうとする。同時に、ルミナエはぱっと手を放した。


 急に自由を取り戻したザカッドが後ろにふらつく。


 ルミナエはゆっくりと歩を進めて距離を詰めると、あわてて剣を構えるザカッドの前で大きく腕を振りかぶる。


 きらびやかなよろいに包まれたその腹部へ、ルミナエは握り込んだ拳を無造作に振るった。


 腰も入っていない手打ちのパンチ。


 素手の拳が鎧をまとうザカッドにダメージを与えられるわけがない。


 だが、見る者全員の予想を裏切り、異音とともに鎧がひしゃげ、大柄なザカッドが吹っ飛ばされる。ザカッドの手から離れた剣が、がらんと地面に落ちた。


「ぐが……っ! げはっ!」


 無様に尻もちをつき、呻きながら口から胃液を吐くザカッドに、ルミナエはしずしずと歩み寄る。


「どう? ゴミ女とさげすんでいた私に反撃された気持ちは?」


 ザカッドと視線をあわせ、にっこりと微笑みかける。


「このくらい、たいしたことはないわよね? あなたがいつも、私にしていたことだもの。そうそう、前はこんな風にしたわよね?」


 ルミナエは右足を引くと、鎧に包まれたザカッドの右肩を軽く蹴る。


 鋼が歪む異音と同時に、ザカッドの絶叫が響いた。


「ぐぉ……っ!」


「あら。あなたはあんなに私に暴力を振るったのに、たった二発程度でそれは、あまりに情けないんじゃない?」


「や、やめ……っ!」


 もう一度、足を引いたルミナエに、ザカッドががたがたと震えながら情けない声を出す。


 ルミナエを見上げる目には、怯えと恐怖に満ちていた。


 他者を虐げることはできても、自分が暴力を振るわれたことなどないのだ、この男は。


 だからこそ、良心の呵責かしゃくなく妻に暴力を振るえたのだろう。


「やめて?」


 ルミナエは思いもよらなかった言葉を聞いたとばかりに、小首をかしげる。


「いままで、私があなたに『やめて』と願って、一度としてやめてくれたことがあったかしら?」


 お互いに、もちろん答えを知っている。


 ルミナエがやめるつもりがないと悟ったザカッドの顔が蒼白になる。


「わ、悪かった! ち、違うんだ! ちょっと愛情表現の加減を間違っただけで……っ!」


「なら、これも愛情表現の一種ということよね?」


 震えながら、がしゃがしゃと金属鎧を鳴らして尻もちをついたまま後ずさろうとするザカッドの下腹部に、ルミナエはそっと右足をのせる。


 軽く足を置いただけ――。なのに、ザカッドがそれ以上、下がれなくなる。ただ、じたばたと無意味に手足をばたつかせるだけだ。


 エルヴァンに想いを告げられ、初めて本当に『ドナシオン』の力に目覚めたルミナエには、わかる。


 『ドナシオン』の力を発揮する鍵は、自分自身の心の強さだ。


 勝登は転生した当初から『ドナシオン』の力が使えていた。それは、勝登の傲慢ごうまんさからきたものだったのだろう。


 だが、いまルミナエに怯え、震えながら慈悲を請うザカッドに、人を虐げていた横柄さは見る影もない。


 むろん、ルミナエに許してやる気など欠片もない。


 これまで犯した罪の分の罰は、しっかり受けてもらわなければ。クズと呼ぶのもおこがましい汚物は、綺麗に叩き潰しておくべきだ。


「み、美奈絵っ! 悪かった! やり直そう! だから……っ!」


「あなたみたいな汚物とやり直したいなんて、天地がひっくり返っても思うわけがないでしょう?」


 嫌悪もあらわに吐き捨て、右足に力を込める。


 ザカッドが聞くにたえない絶叫を上げ、口から泡を吹いて昏倒した。


「陛下、お目汚しをいたしまして、誠に申し訳ございません」


 気絶したザカッドには一瞥いちべつもくれず、ルミナエは国王の前へ戻ると、楚々そそとした仕草で頭を下げる。


「いや……」


 呑まれたようにルミナエとザカッドのやりとりと見ていた国王が、苦笑を浮かべてかぶりを振る。


「いまのやりとりを聞いていれば、彼奴あやつがどれほどの卑劣漢だったのか想像がつく。あのような輩を騎士団長としてぐうしていたとは、まったく嘆かわしいことだ」


 嘆息した国王が、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「彼奴の正体を暴いたおぬしに、褒美を取らそう。……とはいえ、もう決まっているようだがな」


 国王の言葉に、ルミナエとエルヴァンは視線をあわせ、微笑みを交わす。


「『ドナシオン』の力を持つ者と優秀な魔術師がクゼルズ王国から出ていくのは頭が痛いが……。今後、オルジェン王国との結びつきが強固となるためと考えるしかあるまい。ヘルバズ伯爵夫人。おぬしは今から、元ヘルバズ伯爵夫人だ。これをおぬしへのはなむけとしよう」


 王の指示を受けた侍従が、歩を進め、恭しく差し出したのは優勝者に贈られるはずだった花冠だ。


 驚きにとっさに反応できないルミナエの代わりに、エルヴァンが花冠を受け取り、ルミナエに向き直る。


「ほら、ルミナエ。こちらを向いて。きみの、勝利の花冠だ」


「私の……」


 確かに、ルミナエは『ドナシオン』の力でザカッドに圧勝した。


 けれどそれだけではなく、これは、自分の人生を自分自身で取り戻した祝いの花冠だ。


 そっとルミナエの頭に花冠をのせたエルヴァンが、とろけるような笑みを浮かべる。


「よく、似合っています」


「エルヴァン……っ! ありがとうございます」


 愛しい人の祝福に、ルミナエは満面の笑みで応えた。


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