17 決別の時間はまもなく


 王城の一画にある闘技場で開催される御前試合は、戦う騎士達と観覧する貴族達の熱気で、冬とは思えないほど空気があたたまっていた。


 『ドナシオン』の力を得たザカッドは向かうところ敵無しだった。


「はははははっ! どいつもこいつも弱っちいなぁ、おい!」


 あざけりを隠そうともせずザカッドが剣を振るうたび、一撃で対戦相手が倒れ伏す。


「いくら鍛えたって、『ドナシオン』の力を持った俺には無駄なんだよっ! 無様に負けろや、おらっ!」


 ザカッドの『ドナシオン』の力は、圧倒的な膂力りょりょくらしかった。前世でも他者に暴力を振るっていたことがこういう形で現れたに違いない。


 必死な様子で剣を振るう騎士達の攻撃を、ザカッドは小馬鹿にしたような笑いを口元にはりつけて難なく受け止めると、ぞんざいに剣を振るう。


「俺に勝とうなんざ一生無理なんだよっ! 負け犬はいつくばってろ!」


 ザカッドが剣を振るうだけで、ぎ払われたように対戦相手が吹っ飛んでいく。


 まるで、騎士達の地道な鍛錬たんれん嘲笑あざわらうかのように一方的な暴力で叩き伏せ、勝鬨かちどきを上げる姿は、粗野な言動を差し引いても他の貴族達には英雄のように見えたのだろう。


 ザカッドが勝つたびに観覧席のあちらこちらから歓声が上がる。令嬢や貴婦人たちの黄色い声も多かった。


 だが、ルミナエはザカッドの対戦など、ろくに見ていなかった。


 ルミナエが待っているのは、ザカッドが優勝し、国王陛下の御前で夫人であるルミナエが祝福を贈る、その時だけだ。


 今日のルミナエが纏っているドレスは、ザカッドにつくろうよう命じられた古い型のドレスではなく、エルヴァンから贈られたオルジェン王国の最新流行のあざやかな若葉色のドレスだ。


 白い繊細なレースが配されたドレスはため息がこぼれるほど美しい。


 ザカッドとは、痛めつけられた夜以来、一度も顔を合わせていない。


 あれだけ痛めつけておけば、決してルミナエが逆らわないと思い込んでいるのだろう。その誤解を解いてやるほどルミナエは親切ではない。


 いま、観覧席でルミナエの隣に座っているのは礼装に身を包んだエルヴァンだ。


 周りの貴婦人や令嬢達がエルヴァンの美貌にちらちらと熱い視線を送っているが、エルヴァンは一顧いっこだにしていない。


 若葉色の瞳が熱を宿して見つめる先は、ルミナエだけだ。


 どうやら周りの貴族達は誰ひとりとしてルミナエがヘルバズ伯爵夫人だと気づいていないらしい。


 当然だ。ルミナエは結婚して以来、ほぼ社交界から遠ざかっていたし、何より、『ドナシオン』の力に目覚めて以来、ルミナエの外見は激変した。


 せさらばえていた身体は女性らしいまろやかさを帯び、栄養が足りず傷んでいた茶色の髪は絹糸のようにつややかになった。


 何より、エルヴァンに愛されているという自信がルミナエを輝かせてくれている。


「あなたに不埒ふらちな視線を向ける者が多すぎて……。いますぐ、あなたと結ばれるのはわたしです、と言いふらしたくなってしまいます」


 そっとルミナエの耳元に顔を寄せたエルヴァンが、吐息混じりに囁く。


 愛しい人の冗談に、ルミナエは口元をほころばせた。


「もう少しだけ待ってください。……ほら、決勝戦が終わりました」


 闘技場では、ザカッドが剣を持った右手を上げ、満面の笑みで歓声に応えている。


 周りの観客達が興奮した声を上げれば上げるほど、ルミナエは自分の心がしんと冷えてゆくのを感じていた。


 ようやく、クズ夫に報いを受けさせられる時が来たのだ、手加減など、してやる気はない。


「ルミナエ」


 隣のエルヴァンが立ち上がり、恭しくルミナエに手を差し伸べる。


 立ち上がったルミナエはにこやかな笑みを浮かべ、エルヴァンのあたたかな手のひらに手を重ねる。


 愛しい人がそばにいてくれる限り、恐ろしいものなど、何もない。


 すぐに国王陛下の御前で優勝したザカッドへの祝福を行う時間だ。


 望む未来を掴むため、ルミナエはエルヴァンとつないだ指先に力を込めると、表情を引き締めて決然と歩を進めた。


   ◇   ◇   ◇


 決勝戦を終えた闘技場は王城の召使い達によってすぐに褒賞式の準備が整えられた。


 土敷きの円形闘技場の中心に国王のための台座が運び込まれる。


「国王陛下のご入場!」


 侍従の声に続いて、花をいて先導する美しい乙女のあとについて、まだ三十歳手前の若い国王が入場する。


 立ち上がっていた貴族達が、ざっ、といっせいにこうべを垂れた。


 国王が台の上にのぼり、貴族達が身を起こしたところで、侍従がふたたび声を張り上げる。


「優勝であるヘルバズ伯爵、並びに伯爵夫人、御前へ!」


「行きましょうか」


「ええ」


 エルヴァンの声に頷き、ルミナエは闘技場の両端にある選手用の出入り口から外へと歩を進める。


 ザカッドは反対側の出入り口から入り、国王が待つ闘技場の中央で合流することになっていると、担当の召使いから説明を受けている。


 その後、国王よりお褒めの言葉と優勝者に贈られる花冠を賜り、ルミナエからザカッドに花冠をかぶせるというのが、褒賞式のおおまかな流れだ。


 出入り口担当の召使いは、ルミナエをエスコートするエルヴァンに誰何すいかのまなざしを向けていたが、エルヴァンもルミナエも答えない。


 召使いも明らかに高位の貴族とわかるエルヴァンを引きとめて、あとで罰されるのを恐れたのだろう。召使いに恭しく見送られ、ルミナエとエルヴァンは冬の午後の澄んだ陽射しのもとへ出た。


 本来なら伯爵夫人ひとりだけが入場するはずだというのに、エルヴァンにエスコートされて歩むルミナエの姿を見て、観覧席の貴族達がいぶかしげな囁きを交わす。


 だが、ルミナエは意に介せず昂然こうぜんと背筋を伸ばして国王のもとへ赴く。


 あと少しで国王が待つ台の前に着くというところで、観覧席からの令嬢達の声に機嫌よく手を振ってこたえていたザカッドが、ようやくルミナエに視線を向けた。


 途端、怪訝けげんそうに顔がしかめられる。


「誰だ、いったい……?」


 思わずといった様子でこぼされた呟きに、ルミナエは思わず笑みをこぼす。


 痛めつけて以来、顔すらあわさなかったザカッドが、ほんの数日の間に劇的に変わったルミナエに気づかなかったのは当然といえば当然だが、種明かしをしてやる気など、まったくない。


「試合中に攻撃が頭に当たったのかしら? 妻を見て『誰だ?』と問いかけるなんて……。それとも、浮気相手のところに入りびたるうちに、妻の顔さえ忘れたの?」


「てめぇ……っ!」


 明らかな揶揄やゆを含んだルミナエの言葉に、目の前にいるのがルミナエだとようやく気づいたザカッドの顔が怒りに染まる。が、ここが国王陛下の前であることをかろうじて思い出したらしい。


 殴りかかろうと握りしめた拳をほどいたザカッドが、憎しみに満ちた視線をルミナエに向け、低い声でおどす。


「俺に恥をかかせやがって。後で覚えておけよ……っ! お前こそ神聖な場所に間男を連れ込みやがって、いったい何を考えてやがる!? 頭のネジでも外れたか!?」


「違います。この方はオルジェン王国からの正式な使者なのですから、失礼な物言いはやめてください」


 ルミナエの言葉に、国王に向き直ったエルヴァンが恭しく一礼した。


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