16 目覚めた力


「っ!」


 息を呑んだ途端、身体の中で、かちりと澄んだ音が響く。


 まるで、固く閉じられていた錠前じょうまえが、初めて合う鍵を見つけたかのように。


 同時に、身体の奥底から湖が決壊したかのように膨大な魔力があふれ出してきた。


 エルヴァンの治癒魔術でも消せなかった痛みが、あっという間に消えていく。


「これは……っ!」


 かすれた声がこぼれるが、頭より先に身体が理解していた。


 これが、ルミナエに宿る『ドナシオン』の本当の力だ。抑圧され続け、眠っていた力が、エルヴァンの言葉で解き放たれたのだと。


 いまなら、前にエルヴァンに見せてもらったように、手刀で岩を砕くことも、剣で斬りつけられても無傷でいられることもできると、何の疑いもなく信じられる。


 自分の中に、力があふれているのがわかる。ザカッドに痛めつけられた傷はすべて癒え、痛みが残るどころか、何でもできそうなほどの力に満ちあふれていた。


「エルヴァン様……っ!」


 喜びとともに、端整な面輪を見上げると、呆気あっけにとられたようにルミナエを見ていたエルヴァンの腕に、不意に力がこもった。


 息が詰まるほど強く、抱きしめられる。


「よかった……っ! あなたの怪我が癒えて、本当に……っ!」


 『ドナシオン』の力に目覚めたことよりも、怪我が癒えたことを真っ先に喜んでくれるエルヴァンの思いやりに、じんと胸の奥が熱くなる。


「エルヴァン様……」


 痛みの消えた両腕をエルヴァンの背中へ回す。


 美奈絵にもルミナエにも、何も価値はないのだとずっと思い込んできた。


 勝登やザカッドの言うとおり、自分なんてゴミ以下の存在なのだと。けれど。


 たったひとり、真摯に自分を想ってくれる人に出逢えたから――。


「私も、エルヴァン様を愛しています」


 心の中にあふれる想いを、そっと告げる。


「ルミナエ……っ!」


 もう一度、ぎゅっと抱きしめたエルヴァンの腕がゆっくりとほどかれる。


 甘い熱を宿した若葉色の瞳に、ルミナエはそっと目を閉じる。


 香水の薫りがふわりと揺蕩たゆたったかと思うと、あたたかなものに唇をふさがれる。


 愛おしむような優しいくちづけは、だが、すぐにお互いを確かめ合うような深いものへと変わってゆく。


「ルミナエ」


 くちづけの合間に、乱れた髪を指先できながら、感極まったようにエルヴァンが名を紡ぐ。


 それだけで胸の奥に炎が灯り、尽きぬ力が湧いてくる。


「もう、あなたと離れることなど考えられません……っ」


 何度くちづけをかわしただろう。熱のこもった吐息をこぼしたエルヴァンが、力強い腕でルミナエをかき抱く。


「たとえ、後ろ指をさされることになってもかまいません。もういっときもあの外道のそばにあなたをいさせたくありません。どうか、このままあなたをさらわせてください」


 真剣極まりない懇願に、ルミナエは思わず笑みをこぼす。


「ありがとうございます。私も、エルヴァン様とずっと一緒にいたい気持ちに嘘はありません。ですが……」


 若葉色の瞳を見上げ、きっぱりと告げる。


「私は何のうれいもなく、あなたの腕の中に飛び込みたいのです。いまの私には、不要なしがらみがこびりついています。こんな状態で、エルヴァン様の元へは行けません」


「それでしたら心配はいりません! わたしが――」


「いいえ」


 かぶりを振って、エルヴァンの言葉を遮る。


「ここでエルヴァン様に頼っては、いつまでも頼りきりになってしまいます。私は、自分の力で未来を切りひらきたいのです」


 ここでエルヴァンを頼るのは簡単だろう。エルヴァンならば、ザカッドからルミナエを守りきってくれるに違いない。けれど……。


「私が、私自身の足で、愛しい人の隣に並び立てるようになりたいのです。いつまでも、あなたのそばでいられるように」


 ザカッドに刻みつけられた恐怖がすべて癒えたわけではない。けれど、それを乗り越えてエルヴァンの隣で胸を張れる自分でいたい。


 真っ直ぐ見上げて宣言すると、エルヴァンが目をみはった。かと思うと、ふたたび強く抱きしめられる。


「あなたは本当に……っ! どこまでわたしを惚れさせれば気が済むんですか?」


 甘く囁いたエルヴァンが、ちゅ、とルミナエにくちづける。


「わかりました。あなたの意志を尊重します。ですが……。もちろん、わたしにも協力させてくださるでしょう? あなたとわたしの、未来のためなのですから」


「もちろんです。ありがとうございます、エルヴァン様」


「エルヴァン、と」


 ルミナエの目を覗き込み、エルヴァンが微笑む。


「いまこそ、エルヴァンと呼んでいただけませんか?」


 蜜のように甘い笑み。自分の口元もほころぶのを感じながら、ルミナエはこくりと頷く。


「エルヴァン。……もう少しだけ、待っていてください」


「もちろんです、ルミナエ」


 くちづけながら、ルミナエの中ではがねよりも固い意志が大きくなってゆく。


 もう、ザカッドなど怖くない。


 御前試合で、悪縁を切り捨てるのだ。愛しい人との、未来のために。


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