13 叶うなら、彼女に想いを伝えたい


「先生、申し訳ございません。急な上に無理なお願いを聞いていただき、ありがとうございます」


 エルヴァンは魔術学園の理事長室で、恩師であるキルリアン侯爵に深々と頭を下げた。


「確かに、突然の訪問と急な依頼には驚いたが……。おぬしがあれほど真剣に頼むのだ。やむにやまれぬ事情があるのだろう?」


 執務机で書類に目を通していた侯爵が、前に立つエルヴァンを見上げ、呵々かかと笑う。


 侯爵は一見どこにでもいそうな小柄な老人だが、精気にあふれた理知的な目は、ただものではないと思わせる雰囲気を漂わせている。


 エルヴァンの学生時代の恩師であり、以前、ルミナエに見せた強化魔術の使い手でもある。


 ルミナエ。彼女のことを想うだけで、胸の奥に切ない気持ちが湧き上がる。


 最初は、亡き姉と同じ境遇にいる彼女を放っておけないという義務感だった。


 いや、姉が苦しんでいる間、何も知らずにオルジェン王国でのうのうと暮らしていた自分への罪悪感を、同じ境遇の彼女を救うことで慰めようとした気持ちがあったことは否定できない。我ながら、なんという卑怯者か。


 だが……。


「それにしても珍しいな。おぬしがこれほど誰かに入れ込むとは。学生の頃から、穏やかな性格の割に人間関係では一歩引いたところがあったが……」


所詮しょせんわたしは、他国の人間ですから。当時は戦争中でしたし……」


 物思いに沈みかけていたエルヴァンは、恩師の声にはっと我に返って視線を伏せる。


 魔術学園に通う生徒の半分近くは貴族の子女だ。学生とはいえ、属する国同士が戦っているのだ。思うところがないわけがない。


 そんな状況でも、エルヴァンが平穏な学生生活を送れたのは、理事長である侯爵がエルヴァンの才能を認めて気遣ってくれた部分も大きい。


 今回、短期間にも関わらず調べたい事柄について成果があったのも、侯爵の手腕ゆえだ。


「里帰りして、よい出逢いがあったようだな。以前より、いい顔をしておる」


 エルヴァンの顔を見上げた侯爵がにかっと悪戯いたずらっぽく笑う。


「出逢ったのは女性か? こちらにいた間はついぞ見たことのない、浮ついた空気を纏っているぞ?」


「っ!?」


 まるで心の中を読んだかのような言葉に、思わず言葉に詰まる。と、侯爵が大仰に嘆息した。


「おぬしには、この国で相手を見つけて、子に恵まれなかったわしの跡を継いでほしかったんだがのう……」


「申し訳ございません……」


 侯爵の申し出は、クゼルズ王国に帰る前にも一度言われていたことだ。


 侯爵が自分を買ってくれていることは、ありがたいことこの上ない。だが、その時のエルヴァンは、オルジェン王国にせきを置くわけではない自分が受けていい話ではないと考えていた。


 しかし、いまは……。


「どうした?」


 弟子の迷いを見抜いたのか、侯爵が穏やかな声で問いかける。


 侯爵の声は、まだ若かった頃、エルヴァンの悩みを聞いてくれた時とまったく何も変わらない。


 穏やかな声に誘われるように、エルヴァンは胸中の悩みを打ち明ける。


「……ご推察のとおり、心を寄せている女性がいるのです。ですが……、彼女はいまは人妻で……」


 そうだ。ルミナエは人妻だ。だからこそ、この想いを口にしてはいけないと自分を戒めていた。


 悪辣非道あくらつひどうな夫に苦しめられている彼女に想いを告げても、負担になるだけだろうと。


 彼女がザカッドから逃れることができるなら、それだけで満足しなければならないと。


 なのに、ルミナエと離れた途端、寝ても覚めても心の中を占めるのは、彼女のことばかりだ。


 最初は緊張と怯えに満ちていた清楚な面輪が、少しずつ笑みを浮かべてくれるようになってきたのが嬉しくて。


 寄せられる曇りない信頼に、何としても応えたいと願う自分がいて……。


 『エルヴァン様』と彼女に微笑みながら名前を呼ばれるだけで、心が喜びで震えていることを、ルミナエはきっと知らぬだろう。


 叶うなら、彼女に想いを伝えたい。


 想いを伝え、彼女が受け入れてくれたなら……。


「先生。以前いただいたお話ですが――」


 望む未来を手に入れるため、エルヴァンは身を乗り出して恩師へと問いかけた。


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