11 信じてくれる気持ちに応えたいと、心から願う


「いまから、魔力を通してわたしのイメージをあなたにお伝えします」


 エルヴァンの呼気が肌を撫で、それだけでそわりと背筋が粟立あわだつような心地を覚える。と、すぐに脳内に自分のものではないイメージが流れ込んできた。


 見た目はどこにでもいる老人としか思えない小柄な男性が、自分の身体よりも大きい岩を軽々と持ち上げたり、岩をまるで豆腐のように手刀で切り裂いたり、はたまた、筋骨隆々な騎士に真剣で斬りつけられても傷ひとつなく平然と立っていたり……。


「これは昔、まだ学生の頃に魔術学園の恩師に見せてもらったのですが……。どうですか? 少しはイメージが伝わりましたか?」


 ルミナエから身を離したエルヴァンが問いかける。エルヴァンの体温が離れたことに一抹の寂しさを覚えながら、ルミナエは感嘆の声をこぼした。


「すごい……っ。」


 肉体強化の魔術もすごいが、自分の記憶を他人に伝えられるエルヴァンの魔術もまた、すごいと思う。


「でも、私に本当にこんなことができるのでしょうか……?」


「大丈夫です。わたしが責任を持ってあなたを導きます」


 頼りない声をこぼすと、エルヴァンにぎゅっと手を握られた。力強く告げたエルヴァンが、悪戯っぽく笑う。


「きっとすぐに、わたしと腕相撲をしても圧勝するようになりますよ」


「えぇっ!?」


 思わずすっとんきょうな声が飛び出す。


 ルミナエの手をすっぽりと包むエルヴァンの骨ばった手は大きく頼もしくて、腕相撲をして勝てるイメージがまったく浮かばない。エルヴァンがルミナエを覗き込み、優しく告げる。


「大丈夫です。自信を持ってください。先ほどもお伝えしたように、魔術の行使に大切なのは確固たるイメージを持つことですから。できないと思っていては、できる能力があってもできなくなってしまいます」


「……理屈は、わかるのですが……」


 エルヴァンとつないだ手に、視線を落とす。


 前世で勝登と結婚してから、看護師として勤める中で築かれた美奈絵のささやかな自信は、粉みじんに踏みしだかれ、何年も砕かれ続けてきた。


 ルミナエも同じだ。ザカッドと結婚して以来、虐げられ、召使い達にも軽んじられ、『自分に何かができるかも』という希望なんて、抱いたことすらない。いつもその前に『私になんて無理だ』と諦め続けてきた。


 そんなルミナエが『自分が強い』というイメージを抱くなんて……。難易度があまりにも高すぎる。


「ルミナエ」


 静かな、けれど凛とした強さを秘めた声に、おずおずと顔を上げる。若葉色の瞳が真っ直ぐにルミナエを見つめていた。


「あなたの事情を知っているわたしには、安易に自信を持ってくださいとは言えません。きっと、ささいな自尊心すら許されない環境で長年過ごされてきたでしょうから……」


 いたましげに視線を伏せたエルヴァンが、すぐに端正な面輪を上げる。


「でも、あなたはいま、変わろうとしている。わたしは、あなたなら変われると信じています。なぜなら」


 ルミナエの手を包んだまま、エルヴァンが見惚れずにはいられない柔らかな笑みを浮かべる。


「あなたは毎年、姉のお墓にお参りして、掃除をしてくれていたのでしょう? それに、わたしに迷惑をかけては申し訳ないとわたしの身を心配してくださった。他者を思いやれることも、強さのひとつです。ならば……。あなたの中には、ちゃんと強さが生き続けています。あとは、心の強さを魔術で肉体の強さに変換するだけです」


「心の、強さ……」


 かすれた声で、エルヴァンの言葉をおうむ返しに呟く。力強くエルヴァンが頷いた。


「ええ。あなたはの心はちゃんとしなやかな強さを持っています。昨日、出逢ったばかりのわたしを信じてくれたことだって、その証です。狭量で他人を疑ってばかりの弱い人間は、見ず知らずの相手を信じることなんてできないでしょう?」


「信、じる……」


 噛みしめるように言葉を紡ぐ。


 たとえエルヴァンの言葉だとしても、ルミナエが心の強さを持っていると言われて、にわかに信じることはできない。


「私は……。自分が強いとは、まったく思えません……。でも」


 伏せていた視線を上げ、若葉色の瞳を真っ直ぐ見つめる。


「エルヴァン様を心から信じている気持ちに、偽りはひとつもありません。自分のことは信じられなくても……。エルヴァン様のことなら、何よりも強く信じられます」


 一片の迷いなく、きっぱりと告げる。


「ですから……。エルヴァン様が信じてくださる、自分を信じます」


 自分への自信なんて、まったく全然、欠片もない。


 けれど、エルヴァンがルミナエを信じてくれるなら、それに応えたいと、心の底から思う。


 ルミナエの言葉に、エルヴァンが驚いたように目をみはる。


「ルミナエ……!」


「す、すみません……っ。こんなことを言われても、エルヴァン様のご負担になるだけですよね……、っ!?」


 ルミナエなどに頼りにされても不快なだけだろう。あわてて謝罪を紡いだルミナエは、だが最後まで言うより早く、ぐいっと手を引かれた。


 次の瞬間、息が詰まるほど強く、エルヴァンに抱きしめられる。


「負担など……っ! そんな風に思うはずがありませんっ! あなたにそれほど信頼していただけているなんて……っ! この喜びをどう伝えればよいのか……っ!」


 言葉を裏づけるように、ルミナエの身体に回されたエルヴァンの腕にぎゅっと力がこもる。


 だが、ルミナエはそれどころではなかった。


 心臓がばくばくと騒いで壊れてしまいそうだ。 


「エ、エルヴァン様……?」


 このままエルヴァンの腕の中にいたいと願う自分がいる。けれど、名ばかりとはいえ人妻である自分がそんな願いを抱いていいはずがない。


 おずおずと声を上げるとエルヴァンが我に返ったように腕をほどいた。


「申し訳ありません……。その、あなたの深い信頼が嬉しくて、思わず……」


 端整な面輪をうっすらと染めて告げたエルヴァンに、ルミナエの心が切なくうずいてしまう。


 雰囲気を変えるようにエルヴァンが小さく咳払いした。


「あなたの信頼に、何としても応えなくてはなりませんね。先ほどお見せしたのは、魔術学園の先生のひとりです。急に一流の魔術師と同じことをしろと言われても不可能なのはわかっています。あれは目標ということで、まずはあなたのイメージが及ぶ範囲から訓練していきましょう」


 少し待っていてください、と部屋を出ていったエルヴァンが、すぐに籠を手に戻ってくる。中に入っていたのは、山盛りの胡桃くるみだった。


「胡桃なら、力の強い者なら素手で割れます。これなら、割るイメージもまだ思い描きやすいのではありませんか?」


 エルヴァンに渡された胡桃を右手で握ってみる。ごつごつした殻は、力を込めても割れそうにない。


「自分の魔力を右手に込めてみてください。あなたの手は華奢きゃしゃですから……。もし、こちらのほうが割れそうだと思うのでしたら、わたしの手をイメージしてくださってもよいですよ」


 ルミナエの左手にエルヴァンが指を絡める。騎士ではないので武骨ではない。けれど、骨ばった手はあたたかく力強くて、頼もしいことこの上ない。


(魔力を手に込める……。ああ、そうか。骨や筋肉に魔力を込めると考えれば……)


 看護師としての知識が、ごく自然に脳裏に甦る。


 思いついたままに、ルミナエは心臓の辺りで感じる魔力を右手の骨や筋肉に込めた。途端、手の中の胡桃の殻が、まるで薄紙みたいにくしゃりと潰れる。


「っ! できましたっ、エルヴァン様!」


 まさか、こんなにあっさりできるなんて。


 喜びにはずんだ声でエルヴァンを振り返るより早く、つないだままの左手にぎゅっと力がこもった。


「おめでとうございます!」


 ルミナエ以上の歓声を上げて、エルヴァンが満面の笑みを浮かべる。


「これほど容易く肉体強化の魔術を発動できるなんて……っ! やはりあなたには才能があるに違いありません!」


「エルヴァン様……っ」


 本人以上に喜んでくれるエルヴァンの気持ちが、純粋に嬉しい。


「どうして私の魔術の適性が、肉体強化なのか……。わかったような気がします」


 看護師だった美奈絵の知識を活かすなら、確かに肉体強化の魔術が一番だ。


「エルヴァン様! 私、もっとこの力を伸ばしたいです! どうか、今後ともご指導くださいませ……っ!」


 端整な面輪を見上げ、頼み込む。


「もちろんです」


 包み込むような笑みに、心の中で希望の種が芽吹き出す。


 この力を使えば……。今度こそ、生き延びられるかもしれない、と。


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