7 あなたにふれても、よいですか?
エルヴァンの話を真剣に聞くあまり、食べそこなっていた軽食をとりながらとつとつと打ち明けたルミナエの話に、エルヴァンは驚愕を隠さなかった。
「そんな……っ! ではあなたは異界で殺された夫に、いまもまた……っ!?」
前世で勝登が運転する乗り物で事故に遭って死んだこと。そして、今世でも御前試合のあとにザカッドに殺されるだろうという推測を聞いたエルヴァンの若葉色の瞳に、憤怒の炎が宿る。
「妻として迎えた女性を
怒りのあまり握りしめたエルヴァンの拳に白く骨が浮く。
「ですが……。勝登の罪はあちらでのもの。いまザカッドを訴え出たところで、彼は騎士団長の地位についています。握り潰され、逆に目をつけられて叩き潰されるのが落ちでしょう……」
ルミナエの静かな声音に、エルヴァンが悔しげに奥歯を噛みしめる。
「確かに、いまのわたしはクゼルズ王国内では何の力も持っていません……っ! ですが、やりようはあるはずです! 御前試合では、既婚者は奥方を同伴すると聞いています。優勝者は国王陛下の前で奥方から祝福の花冠を授けられるとも。その時までにザカッドの悪事の証拠を集め、国王陛下の前で訴えましょう! 一年前に即位した新王は前王より常識的な人物だと聞いています。直接訴えればきっと……っ! こんな外道を野放しにしておいていいはずがありません!」
百年以上も昔、御前試合で優勝し妻からお祝いに花冠を贈られた騎士が、他国との戦争で
ルミナエが今のところ無事でいられるのも、実態はともかく、名義上の伯爵夫人はルミナエだからだ。
身を乗り出して言い募るエルヴァンに、ルミナエは力なく微笑む。
「シュテルク様、ありがとうございます。おそらく、ザカッドは御前試合で優勝することでしょう。ですが……。果たして、私などの言葉に国王陛下が耳を傾けてくださるかどうか……」
オルジェン王国と和平が結ばれたのは、一年前に前王の跡を継いだ新王の意向だと聞いている。だが、騎士団長であるザカッドに対し、ルミナエは何の力もない形ばかりの伯爵夫人だ。
ルミナエの懸念に、エルヴァンが力強い声を返す。
「『ドナシオン』の力を持つ者は貴重であるがゆえに、ある程度尊重されます。最初から否定されることはないと思うのですが……」
「ですが、『ドナシオン』の力を持っているのは、ザカッドも同じです。何より……。本当に私にも特別な力があるのか……。自分では、まったくわからないのです」
不安にしゅんと肩が落ちる。エルヴァンが穏やかな声で問いかけた。
「ルミナエ様。これまで、魔術を使われたことはおありですか?」
「いいえ、まったく……」
ルミナエの記憶の中に、そんな経験はない。そもそも、魔術の才を持つ者自体、
「あの、それより私などに『様』なんて……」
エルヴァンみたいな立派な身なりの青年に『様』付けで呼ばれるなんて恐縮してしまう。
「では、わたしのことも『シュテルク』ではなく、エルヴァンと呼んでくださいますか?」
エルヴァンが寂しげな笑みを覗かせる。
「もう、わたしのことをそう呼んでくれる家族は皆いなくなりました……。あなたがそう呼んでくださったら、嬉しいのですが」
少し照れくさそうな笑みに、ぱくりと鼓動が跳ねてしまう。そんな風に言われたら断れない。
「では、私のことはルミナエとお呼びください、エルヴァン様」
「わたしにも『様』はいりませんよ。ただ、エルヴァンと」
「ですが……」
ためらっていると、エルヴァンが包み込むような笑みを浮かべた。
「どうやら、あなたは『ドナシオン』の力を持ちながらも、それを自覚していないようです。あなたさえよければ、あなたが魔術を使えるよう、わたしに手助けさせてください。そのためにも、他人行儀にするのはやめておきましょう。変な遠慮があっては、教えるのに差し障りが出かねませんから」
エルヴァンの言葉に、やはり呼び捨てになどできないと確信する。
「教えていただくのなら、エルヴァン様は私の先生です。そんな立場の方を呼び捨てになんてできません! それに……。本当に、よいのですか? エルヴァン様はお忙しいのでは……?」
「大丈夫です。いまのわたしは故国へ帰るために長期休暇をとっている身ですから、どうぞお気になさらず。何より」
テーブルに身を乗り出したエルヴァンが、そっとルミナエの手を握る。
「ここまで事情を知っておいて、あなたを放り出すなんてできません。どうか、わたしに教師役を務めさせてください」
エルヴァンの言葉は頼もしいことこの上ない。だが、ルミナエの心の中ではいまだに不安が渦巻いている。
「いままで、魔術を使ったことなど一度もなくて……。本当に、私が『ドナシオン』の力を使うことは可能なのでしょうか?」
「大丈夫です。わたしがあなたを導きます。では、さっそく自分の中の魔力を感じる練習からしてみましょうか? 自分の魔力を感じられるようになれば、不安も少しは晴れるのではありませんか?」
「は、はい。お願いします」
エルヴァンの提案にこくりと頷くと、「では、こちらへ」とソファーにエスコートされた。三人掛けの大きなソファーに並んで座る。
「最初に、あなたにお伝えしておかねばなりません」
「は、はい。何でしょうか」
互いに膝がふれそうな位置で向き合って座ったところで、エルヴァンが真剣な表情になる。ルミナエは緊張しながら言葉の続きをまった。
「その……。魔術の訓練をする中で、あなたにふれなくてはいけないことが何度もあるのですが……。かまいませんか?」
「え……?」
予想とはかけ離れた言葉に、呆けた声がこぼれる。エルヴァンが気まずそうに視線を揺らした。
「そ、その、魔力を感じてもらうためや、魔術のイメージを伝えるためには互いにふれるのが一番手っ取り早い教え方なのですが、やはりその……。先ほどの墓地でも身を硬くしていましたし、異性にふれられるのはお嫌だろうと……」
「エルヴァン様……っ!」
感動のあまり、声が震える。夫に酷い目に遭わされてきたルミナエを思いやってくれるエルヴァンの優しさに、じんと胸が熱くなる。
「大丈夫です」
ルミナエは身を乗り出すと自分からエルヴァンの右手を両手で握る。
エルヴァンが見抜いたとおり、確かにルミナエは男性が怖い。けれど。
「エルヴァン様とふれあうのは、決して嫌ではありません。エルヴァン様を、信頼していますから」
若葉色の瞳を真っ直ぐに見つけて告げると、エルヴァンが小さく息を呑んだ。かと思うと、端整な面輪にとろけるような笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます……っ。あなたの信頼に、必ずや応えてみせます」
エルヴァンが力強く、けれども優しくルミナエの手を握り返す。
「では、このままわたしの魔力を流しましょう。わたしの魔力に反応して、あなたの中で何かが動くような感覚があるはずです。集中して、それを感じ取ってください。魔術を使うには、まず、自分の魔力を、ありありと感じ取れるようにならなくてはなりませんから」
「はい」
こくりと頷き、集中するために目を閉じる。
途端、つないでいるエルヴァンの手があたたかさを増した気がした。
これが、エルヴァンの魔力なのだろうか。凍えるような冬の寒さの中であたる焚き火のような……。あたたかく、力強い魔力だ。
無意識のうちに、ほぅ、と吐息がこぼれる。
「どうですか?」
穏やかな問いかけに、ゆっくりとまぶたを開ける。
エルヴァンの魔力は確かに感じ取れた。だが……。
「申し訳ありません……。エルヴァン様の魔力は感じ取れたのですが、自分の魔力はわかりませんでした……」
不甲斐なさに声が沈む。エルヴァンが優しい笑みを浮かべてかぶりを振った。
「謝らないでください。たいていの魔術師は子どものうちから訓練を始めるので、大人になってから訓練を開始したあなたは、少し感じ取りにくいのかもしれません。次は、もう少し多めの魔力を流してみましょう。ただ……」
エルヴァンの面輪に困ったような表情が浮かぶ。
「接する面が大きいほうが、魔力を流しやすいのです。その……。わたしの足の間に座ってもらって、あなたを抱きしめさせてもらっても、いいでしょうか……?」
「えっ、と……」
エルヴァンの言葉を理解した途端、顔に熱がのぼる。エルヴァンがあわてたように言を継いだ。
「いえっ、あの! もちろんやましい気持ちは一切ありませんから! あなたに嫌なことを強いる気はまったく……っ!」
「いえ、それが必要だというのでしたらやります」
エルヴァンのあわてぶりに、逆に落ち着きを取り戻す。エルヴァンがよからぬことを企んでいるわけではないのは、ほんの短い間接しただけでも十分わかる。
ソファーに深く腰かけたエルヴァンの足の間に、ルミナエはおずおずと座る。
「失礼します」
断りの言葉が耳のすぐそばで聞こえたかと思うと、仕立てのよい服に包まれた引き締まった腕に、そっと後ろから抱き寄せられた。
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