6 どうか、諦めないでください


 エルヴァンに話して、本当に助けてもらえるのか。ザカッドが御前試合後にルミナエを殺そうとしているとわかっていても、何も証拠はないのだ。


 もし、エルヴァンに話したことが何らかの理由でザカッドに知られたら……。いったい、どんな目に遭わされるのか。考えるだけで、身体ががくがくと震え出す。


 何より。


 ルミナエはそっと視線を上げ、対面に座るエルヴァンを見やる。


 見惚れずにはいられない凛々しく端正な面輪。ルミナエなどに優しくしてくれる高潔な性格。


 シュテルク家は没落して離散したが、こんな高級宿に宿泊しているということは、きっと魔術師として活躍しているに違いない。


 前途洋々なエルヴァンを、ルミナエの事情に巻き込むわけにはいかない。エルヴァン自身、言っていたではないか。証拠は見つかっていないと。


 エルレーヌが亡くなったのは五年も前だ。いまさらエルヴァンが証拠を集めてザカッドを訴えようとしても、ろくな証拠は見つかるまい。ザカッドの強い恨みを買うのが関の山だ。


 ほんのひとときとはいえ、ルミナエを気遣って優しくしてくれたエルヴァンが、ザカッドの恨みを買って痛めつけられる姿など、絶対に見たくない。


 エルレーヌの無念を晴らしたいという気持ちはよくわかる。むしろ、死んでまでそこまで想ってもらえるエルレーヌがうらやましいほどだ。


 だが、天国のエルレーヌも、大切な弟に復讐の道など歩んでほしくないだろう。絶対に、幸せに暮らしてほしいと願っているに決まっている。


 エルレーヌの想いを伝え、翻意ほんいを促そうとして。


 不意に、立ち上がったエルヴァンがテーブルを回り込み、椅子に座るルミナエの隣で片膝をつく。膝の上で握りしめていた両手を、あたたかな手のひらにそっと包みこまれ。


「お願いです。諦めないでください」


「っ!?」


 告げられた言葉に息を呑む。ルミナエの様子にかまわず、エルヴァンが言を継いだ。


「外套の上からでもわかるせた身体や、あなたの表情から、伯爵家でどんな仕打ちを受けているのか、ある程度は推測できます。あなたがあの外道に怯え、自分の人生を生きることを諦めているのも。ですが」


 ルミナエの手を包んだエルヴァンの指先に、ぎゅっと力がこもる。


「どうか、諦めないで、わたしを頼ってください。わたしがあの外道の罪を明らかにし、あなたを救ってみせます!」


「どう、してですか……? どうして、赤の他人の私をそこまで助けようとしてくださるのですか……?」


 エルヴァンの考えていることがわからない。ルミナエなど助けても、何の益もないだろうに。


 ルミナエの問いかけに、端正な面輪が泣き出しそうに歪む。


 片手を放したエルヴァンが自分の胸を押さえた。


「いいえ。あなたを助けたいと願うのは、自分のためでもあるのです。両親と姉を亡くしてから……。ずっと胸に大きな穴が空いているのです。何をしても埋めようのない大きな穴が……」


 伏せられていた若葉色の瞳が、真っ直ぐにルミナエを見上げる。


「けれども、姉と同じ境遇にいるあなたを助けることができれば、少しはこの穴をふさぐことができるかもしれません。ですから……。お願いです。わたしを助けると思って、頼ってくださいませんか? 知ってしまった以上、姉と同じ境遇にいるあなたを放っておくことなどできないのです!」


 すがるようなまなざしに、返す言葉がとっさに出てこない。


 エルヴァンがもう一度両手で強くルミナエの手を握った。


「逢ったばかりのわたしに信じてほしいと言われても、難しいのはわかっています。頼りないと思われても仕方がないでしょ――」


「いいえっ!」


 考えるより早く、言葉が飛び出す。


「シュテルク様のことを頼りないなんて、思うはずがありませんっ! 私を助けようとしてくださった方なんて、いままでひとりもいなかったというのに……っ! あなたのその言葉だけでどれほど救われたことか……っ!」


 ルミナエの激しい口調に、エルヴァンが驚いたように目をみはる。


 大きくあたたかな手をルミナエはぎゅっと握り返した。


「ですが……。ザカッドはいまや『ドナシオン』の力まで得ているのです。それがどれほどのものなのか、私にはわかりませんけれど……。ザカッドは騎士団長というだけでなく、間もなく行われる御前試合で優勝する気でいます。そんなザカッドに抗して、もしあなたの身に何かあったらと思うと……っ! 不安と申し訳なさで死んでも死にきれません……っ!」


 エルヴァンの真心だけで、もうルミナエの心は救われた。だからこそ、これ以上の迷惑はかけられない。


 ルミナエの言葉に、エルヴァンがいぶかしげに眉をひそめる。


「死にきれない……? それはどういうことですか!? いったい、あなたは何を隠しているのです!? それに……。『ドナシオン』の力なら、あなたも持っているではありませんか!」


「え……?」


 エルヴァンの言葉に、ほうけた声がこぼれる。


「わ、私にも、『ドナシオン』の力があのですか……?」


 『ドナシオン』の力は転生者に多く発現する力だそうだが、発現の仕方やどんな力が発現するのかは、人によって異なるらしい。


 現に、ザカッドはすでに発現しているようだが、ルミナエは自分自身に特別な力なんて感じたこともない。


「わたしはこれでも、魔術学院を首席で卒業した魔術師です。ふれれば、相手が持っている魔術師としての力量を感じ取ることができます。あなたには、間違いなく魔術に関する『ドナシオン』の力が宿っています」


 いぶかしむルミナエと視線をあわせ、エルヴァンが力強く頷く。


「わ、私にも……? で、では……」


 絞り出した声が、否応なしに震える。


 ルミナエにも『ドナシオン』の力が宿っているなんて、信じられない。けれど、絶望の中示された一縷いちるの望みに突き動かされ、口が勝手に言葉を紡ぐ。


「もしかしたら、ザカッドの魔の手から逃れられる方法があるかもしれないということですか……?」


「それを見つけるためにも、わたしにあなたの事情を教えてもらえませんか?」


 包み込むようなエルヴァンのまなざしは、まだ逢ったばかりなのに、彼ならば信じられると――信じるならこの人しかいないと、心が訴えかけてくる。


 エルヴァンの手のあたたかさに、凍りついていた感情が融けていく心地がする。


 気がつけば、ルミナエはこくりと頷いていた。


「シュテルク様……。今度は、私の話を聞いていただけますか……?」


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