5 彼は、自分に姉を重ねているのだ



 墓地の外に待たせていた貸し馬車に乗せられ、エルヴァンに連れていかれた先は、ルミナエが足を踏み入れたこともない高級な宿だった。ルミナエの粗末な服装では確実に門前払いされる格式の高さだ。


「あ、あの……っ、シュテルク様……っ!」


 怖気おじけづいたルミナエの足がもつれそうになる。と、エルヴァンが振り返って身を屈めた。


「大丈夫です。わたしと一緒にいれば止められることなどありません」


 鼓膜を震わせた優しい囁き声にぱくりと心臓が跳ねる。身を起こし、背筋を伸ばしたエルヴァンは、まるで華麗なドレスを纏った貴婦人をエスコートするかのようにルミナエの手を取り、ロビーを進んで行く。


 周りの客達や従業員の視線が場違いなルミナエ突き刺さるが、ルミナエは顔を伏せ、早足でついていくほかない。


 途中、エルヴァンが足を止め、従業員に何事か指示を出した。


 エルヴァンに導かれるまま二階の客室のひとつに通され、テーブルにつくよう促される。部屋の立派さに圧倒されていたルミナエは言われるままに従った。


 部屋に通されてすぐ、きっちりとお仕着せを着こなした若い従業員がお茶と軽食を運んできた。


 目の前に置かれた見るからにおいしそうなサンドイッチやスープに、思わず口の中に生唾なまつばが湧く。


 ルミナエとなってから、ろくな食事をとったことがない。枯れ枝みたいな手足は女性らしいまろやかさとは無縁のみすぼらしさだ。ザカッドが顔を合わせるたびに罵声を浴びせ、決して連れ歩こうとしないのも仕方がない。


 こんな自分がエルヴァンにエスコートされて歩いていたなんて、どれほどの失笑を買っただろうかと思うと、いまさらながらエルヴァンに申し訳なくなってしまう。


 ルミナエが謝罪を紡ぐより早く、自分の前にはティーカップだけ置かせたエルヴァンが優しい声で促す。


「どうぞ、遠慮なさらずお食べください。……ろくに食事を取られていないのでしょう?」


「っ!?」


 見てきたような口調に、息を呑む。


 驚いて視線を上げたルミナエが見たのは、いまにも泣きそうに歪んだエルヴァンの端正な面輪だった。


「あなたの様子を見て、長年の疑問に確信が持てました。どうか、食事をしながらわたしの話を聞いていただけますか? ……大切な姉を助けられなかった情けない弟の懺悔ざんげを……」


 ルミナエに向けられた切なげなまなざしに、なぜエルヴァンがルミナエと話したいと望んだのか、ようやく気づく。


 きっと、エルヴァンはルミナエにエルレーヌを重ねているのだ。


 だからルミナエなどにこれほど優しくしてくれるに違いない。


「わかりました……。私などでよろしければ」


 ルミナエなどが役に立てるとは思えない。けれど、まるで己を責めているかのように端整な面輪を歪め、ルミナエを通して亡くした姉を見ているエルヴァンを放っておけなくて、こくりと小さく頷く。


 ほっとしたように表情を緩めたエルヴァンが、すぐに遠い目をして視線を伏せる。沈痛な表情で紡がれた声は、低く昏かった。


「わたしが魔術を学ぶため、オルジェン王国に留学したのは、十三歳になったばかりの十年前のことでしたでした。ですが、わたしが留学して一年も経たぬ間にクゼルズ王国との間に戦争が起こり……」


 騎士を重んじるクゼルズ王国と、魔術師を重んじるオルジェン王国は、建国当初から仲が悪い。


 小規模な紛争は幾度も起こっているが、十年前に起こった戦争はかなり大規模で四ヶ月ほど前に和平が結ばれるまで、両国の交流はほとんど絶たれたような状況だった。


 当時二十歳になったばかりのザカッドが緒戦で大きな戦功を上げ、出世の道を歩むきっかけになったため、ルミナエも多少は知っている。


「幸い、わたしが留学していた全寮制の魔術学校は、出身国にかかわらず実力で評価される環境だったため、恩師の力添えもあり、わたし自身は向こうでの生活でさほど苦労はしなかったのですが……」


 ぐっ、とテーブルの上に置かれていたエルヴァンの手が強く握り込まれる。まるで、激情を無理やり抑え込むかのように。


「わたしがあちらで暢気のんきに暮らしている間に、両親と姉は……っ! 没落した両親が、わたしを巻き込むまいと、あえて連絡しなかったのだろうというのはわかります。当時、まだ学生だったわたしは、何の役にも立たなかったでしょうから。けれど……っ!」


 エルヴァンがさらに強く拳を握り込む。自分の手のひらを爪で突き破りそうなほど、強く、固く。


「もし、知っていたら、せめて姉だけでも助けられたかもしれなかったのに……っ! いやっ、ザカッドの噂を知っていたら、決して姉を嫁がせなどしなかった! 頼りになる両親も亡く、弟とも音信不通で、姉はどんな思いであの外道に……っ!」


「シュテルク様……っ!」


 このままでは自分で自分を傷つけてしまうのではと心配になり、思わず向かいに座るエルヴァンの拳に手を伸ばす。


 そっとふれると、エルヴァンが驚いたように身体を震わせた。


「も、申し訳ありませんっ!」


 あわてて謝る。ルミナエなどがエルヴァンにふれていいはずがないというのに。


「いえ、謝らないでください。……すみません、こんな暗い話を……。ですが」


 エルヴァンの若葉色の瞳に、剣呑な光が宿る。


「わたしは、姉はあの外道に殺されたに違いないと考えています。証拠こそありませんが、間違いありません。クゼルズ王国へ戻ってきてからの短い間だけでも、女遊びに浪費に賭博、気に入らない者への暴力行為など、どれほど悪い噂が集まったことか……っ!」


 怒気をほとばしらせながら告げたエルヴァンが、不意にまなざしを上げ、いたわるようにルミナエを見つめる。


「そして先ほど、あなたと逢って確信しました。――あなたも、あの外道に苦しめられているのでしょう?」


「っ!?」


 エルヴァンの問いに、息を呑む。


 心の奥にほのかに灯ったのは、希望の光だ。


 もしかしたら……。亡くした姉をルミナエに重ねているエルヴァンならば、ザカッドに殺されかけている自分を助けてくれるかもしれない。けれど。


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