3 墓地での出逢い


 冬の冷たい風が、美奈絵――ルミナエの伯爵夫人とは思えぬ質素なドレスと外套を揺らして過ぎていく。


 身に当たる風が刃のように冷たく感じるのは、ここが静まり返った墓地だからだろうか。


「エルレーヌ様……。花の一輪さえ摘んで来られず、申し訳ございません……」


 ルミナエは立ち並ぶ墓碑のひとつの前で膝をつき、両手を組んで祈りを捧げる。


 本当は、目の前の墓碑の下に眠る女性とは、顔を合わせたことすらない。


 だが、ルミナエにとって、エルレーヌは姉のように思っている相手だった。


 ――彼女は、ルミナエが嫁ぐ五年前に死んだザカッドの前妻なのだから。


 ザカッドや執事達からは、エルレーヌの死因は病死だったと聞いている。子爵家だった実家が領地経営に失敗し、没落したショックで寝つき、そのまま儚くなってしまったのだと。


 だが、いまならわかる。きっとエルレーヌは彼女を邪魔に思ったザカッドに殺されたに違いないと。


「エルレーヌ様……。私もまもなくそちらへ行くことになりそうです……」


 祈りを捧げ終えたルミナエは、感情の抜け落ちた声で物言わぬ墓碑へと語りかける。


 ルミナエに転生して早五日。絶望の涙はとうに枯れ果てた。


 馬車の事故から目覚めて以来、屋敷の使用人達はすでにルミナエが死んだ者のように扱っている。


 ザカッドが御前試合に出るまでは死なれては困るため、最低限の食事は与えられているものの、内容は石のように硬くなった黒パンとほとんど具のないスープだけ。


 部屋の掃除に来る侍女も、まるでルミナエが目に入っていないかのようにおざなりに掃除をするだけで、視線を合わせることすらしない。


 今日など、前妻のエルレーヌの命日なので墓参りへ出かけたいと話しかけた途端、悲鳴を上げられたほどだ。


 この五日間、ザカッドが御前試合に出られぬよう、殺される前に死んでやろうかと考えたことは何度もある。だが、この世界には魔術がある。ザカッドや使用人達に見つからぬよう、よほどうまくやらなくては、無理やり治癒魔術で命を長らえさせられるだろう。


 そうなった時、ザカッドにどれほどの責め苦を負わされるのか……。そのことを考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。


 こうして無為に時間を過ごしているうちにも、一歩一歩死へ近づいているというのに……。


「私にも、特別な力があれば……」


 ルミナエは無力感に唇を噛みしめる。


 知識が流れ込んで来て『贈り物ドナシオン』について知った時、期待しなかったと言えば嘘になる。


 自分も何か特別な力に目覚めれば、クズ夫から逃げ出せるのではないかと。


 けれど、急に力が強くなったということもなければ、魔術の才能に目覚めたわけでもない。


 ルミナエに転生しても、前世と変わらぬままだ。


 浮気夫には見向きもされず、いつ理不尽な暴力にさらされるのか怯え続けるだけ――。


「……私はこのまま……」


 何も変えることができず、今世でもクズ夫に殺されるのかと、地面についた両膝を包むスカートを握りしめ、絶望にうつむいた時。


「きみは……?」


 不意に近くで聞こえたいぶかしげな声に、ルミナエはびくりと肩を震わせて顔を上げ、声の主に目を向ける。


 墓碑が並ぶ間に設けられた石畳の通路に立っていたのは、ルミナエと年の変わらなさそうな青年だった。


「っ!」


 青年の姿を見た途端、ルミナエは思わず息を呑む。


 それは青年が冬だというのに大輪の白薔薇の花束を持っているからでも、上等そうな衣服に身を包んでいるからでもなく――。


 青年の美貌に、思わず見惚れてしまったせいだ。


 冬の曇天どんてんの下、そこだけ陽が射しているような金の髪。鼻筋の通った面輪は世の女性達が十人が十人とも魅入られてしまいそうな端整さで、理知的であると同時に凛々しさを宿している。


 いぶかしげにルミナエを見つめる瞳は若葉の緑色で、青年に見られているのだと思うだけで、ぱくぱくと鼓動が速くなってゆく。


 いったい、彼は誰なのだろうか。ルミナエの記憶をさらっても一度も会ったことのない相手だ。こんな美青年、一度でも会っていたら忘れるはずがない。


 息をするのも忘れたようにひざまずいたまま青年の面輪を見上げていると、青年がゆっくりと口を開いた。


「きみは……。すまない、わたしの記憶にはないのだが、シュテルク家にゆかりがある者だろうか……?」


 シュテルク家は、ザカッドの前妻・エルレーヌの生家だ。領地経営に失敗し、離散の憂き目に遭ったと聞いたが……。この見目麗しい青年は、シュテルク子爵家の関係者なのだろうか。


 どうやら誤解されているらしいと知り、ルミナエはあわててふるふるとかぶりを振る。


「いえ、違うのです。私はルミナエ・ヘルバズと申しま――」


「ヘルバズ!?」


「ひっ!」


 名乗った瞬間、青年から憤怒の炎が立ち上る。


 殺意すら宿していそうな苛烈な怒気を叩きつけられ、ルミナエはかすれた悲鳴を上げて尻もちをついた。


 全身から、一瞬で血の気が引く。がくがくと身体の震えが止まらない。


 それほど、青年からあふれ出した不可視の圧は激しく、重厚で。


 嫌でも前世で勝登に殴られた時の恐怖を思い出してしまう。

 だが。


「すまない!」


 謝罪の言葉と同時に、ふっと殺気が霧散する。


 両肩を優しく掴まれ、顔を上げた時には、目の前に片膝をついた青年の端整な面輪が迫っていた。青年がふとももに乗せた白薔薇の花束から、ふわりとかぐわしい薫りが揺蕩たゆたう。


「ヘルバズの名に思わず我を忘れてしまい……っ! 申し訳ない。あなたを怖がらせるつもりは……っ!」


 ルミナエを見る若葉色の瞳は心から申し訳なさそうだ。


「い、いえ……っ」


 何と答えればいいかわからず、戸惑いながらかぶりを振る。


「そ、その……?」


 この青年はいったい何者なのか。


 ルミナエのまなざしに宿る疑問に気づいたのだろう。青年の端整な面輪が苦しそうに歪む。まるで、いまにも泣き出しそうに。


「名乗りもせず失礼しました。わたしは、エルヴァン・シュテルクと申します。……ここに眠るエルレーヌの、弟です」


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