③アイバの村
ここのところ残業が多く忙しすぎたからだろうか、ぐっすり眠れていることに幸せを感じる。ポカポカとした陽気、頬を撫でる優しい風。演習場の野原で昼寝をした時のような感覚。願わくば一生目が覚めなくても良いぐらいの心地よさだ。
朝5時にスマホのアラームが鳴るとベッドから体を起こし、洗顔をした後に朝食を摂る。朝はしっかり食べる派なのでインスタントの味噌汁をささっと用意し、冷蔵しておいたご飯と夕飯の余り物を電子レンジで温めてテーブルに並べる。朝食を摂り終えたら歯を磨き迷彩服に腕を通し、服装を整えてからアパートを出る。起床から30分ほどでこれらを済ませ、自転車で職場に向かうのが毎朝の流れだ。
目が覚めればまた教育者としての1日が始まる。
なんて事を考えてたら顔に何かをぶっかけられた。最初は訳が分からなかったが、訓練中だった事を思い出し慌てて我に帰って飛び起きた。
しまった、うたた寝していた。
1人でわぁわぁと騒ぎながらびしょびしょの顔をぬぐい、一旦落ち着いてから周りを見ると何故か一面緑色。ここは屋上ではないらしい。
どこだここ…
隊舎の屋上でラックサックの指揮を執っていたはずなのに気が付いたら演習場のような所にいるではないか。
「あの…大丈夫ですか?」
声のする方向にいたのは10代半ばぐらいの女の子。壺のような物を抱いてこちらをジッと見ている。
「えっと…どちらさまですか?っていうかここ…どこ?」
女の子はキョトンとした表情をしていたが、よほど俺が怪しかったのか後ろに2歩下がってから質問に答えてくれた。
「………アイバ平原です。サンディー地方のアイバ平原。」
困ったな…。聞いたことのない地名が出てきたぞ。この子、もしかして不思議系女子か。俺にもそういう痛々しい時期があったけど、知らない人にいきなり自分の世界観をぶつけるほど俺はアホじゃなかったよ…。
質問がアバウトすぎたかもしれないのでもう少し具体的に聞くことにした。
「あー、都道府県で言うとどこになるのかな?ここって関西だよね?」
この質問だったら大丈夫だろう。見た感じ中学生っぽいし義務教育は大概終えてるだろうし。これで不思議ちゃん回答が来たらどうしたらいいものか…
「トドウフケン?………ごめんなさい。わからないです。」
不思議ちゃんよ、アナタもしかして学校行ってなかった感じの子なのか?それとも社会科とか死ぬほど苦手なタイプだったりする?見た目はしっかりしてそうなのに都道府県わからないって相当訳アリな感じがビンビンするぞ。
「と、とりあえずお父さんかお母さんは近くにいるかな?それか、誰でもいいから大人の人を呼んできて欲しいんだけど…」
話の通じる大人が出てきますように…
「母は私が幼い頃に他界しました。父は少し前に徴兵されてしまいここにはいません。村に戻れば祖父母がいます。2人とも足腰が悪いのでここまで連れて来られませんが。」
なんて重い家庭環境なのだろうか。不思議ちゃんの設定にしては重すぎる。せめてメルヘンな感じにしてほしいものだ。…なんて逐一ツッコミを入れている場合ではない。1秒でも早く現在地を特定して部隊に合流しなければまた上司にグチグチ文句を言われる。それに加えて無線機の行方がわからないままだ。確実に叱られる。
ここにいてもしょうがない。この子の祖父母に会って話を聞くことにしよう。
「悪いけど、君の祖父母の所まで連れていってもらえないかな…?」
いい歳したアラサーがこんなことをお願いするのも情けないと思うが今は非常事態だ。中学生でも爺さん婆さんでもなんでもいいから使えるものは使おう。
「えっ………うちに来るんですか………?」
露骨に嫌な顔をされた。
それもそうだ。見ず知らずのオッサンを家まで連れてくる少女がこの世にいたらそれは聖女か世間知らずのどちらかだ。この子の判断は正しい。まだ幼さも残っているのに立派なものだ。
感心している場合ではない。
「そこをなんとか!ほら、道に迷った自衛官が1人で困っているんだよ?ちょっとだけでもいいから助けてあげようって気になってこない?」
自分で言っておいてなんだか、なんて情けない自衛官なのだろうか。
涙が出てきた…
「ジエーカン?聞いた事のない種族ですね…」
この期に及んでまだ不思議ちゃんモードを発動しているのかこの子は。
「と、とにかく、俺はどうしても職場に戻らなきゃいけないんだ。ここが何処なのかさえわかれば後はなんとかして帰るから。だから君の家のお爺さんとお婆さんに会わせてほしい!」
藁にもすがる思いで手を合わせて頭を下げた。
「………………まぁ、会うだけならいいでしょう。ついてきてください。」
助かった。これで現在地の手掛かりが掴める。だがなぜ目が覚めたらこんな所にいるのだろうか…
と、ふと思った。
ドッキリか、はたまた抜き打ちの訓練か。
居眠りしているところを拉致して知らない土地に置き去りにする訓練なんか聞いたことがない。となるとドッキリの線が濃厚だ。犯人は誰だろうか…。大橋か、大隊長か…。
なんてことを考えている間に少女は水瓶を頭に乗せてスタスタと先に進んでいった。
慌てて少女の後を追いかけて木々のトンネルを抜けると、そこはまるで異世界だった。
目の前には草花たちで埋め尽くされた平原が広がり、平原のはるか先には隆々とした山脈が横一線に
「なんだあれ…?」
心の声が漏れてしまった。
「ドラゴンを見たことないのですか?さぁ、この道をまっすぐ進めばアイバの村に着きますよ。」
そう言うと少女は何事もなかったかのように歩き続けた。
どうやら俺はとんでもないことに巻き込まれてしまったらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます