第45話 女王の危惧

 日が暮れ落ちていこうとしている。

 建物の屋上から監視を続けて数時間。

 アーシュラの目は通りをはさんだ反対側の建物の前の道に向けられたままだが、いまだに目的の人物は現れない。


 幸いなことに道には街灯がいくつももうけられていて、灯かりが路地を照らしてくれるので、建物の前を行き交う人々の顔はアーシュラの目ならばある程度は判別できる。

 そして日がどっぷりと暮れ落ちてから1時間近く経過した頃、黙々もくもくと監視を続けるアーシュラの目が大きく見開かれた。

 街灯に照らされた路地を西の方角から進んできた1人の人物に目を留め、アーシュラはそれが記憶の中の人物と一致することを確信する。


(来た……あの男だ)


 今、商会の建物に向かっているのは、先日アーシュラが没落貴族の屋敷で見かけた人物だった。

 マージョリーと密会していた初老の男だ。

 その男は仏頂面ぶっちょうづらで建物に入っていった。

 アーシュラはそれを見届けると静かに息を吐く。


「ふう。確定……」


 そうつぶやきかけたその時、アーシュラは不意に背中に悪寒が走るのを感じた。

 何者かが建物の壁を上ってくる音がする。


(誰か来る!)


 アーシュラは即座に立ち上がり、屋上から飛び降りようとした。

 5階建ての高さだが、真下にある街路樹に向かって飛べば多少ケガをする程度で済むだろう。

 だが、そんなアーシュラの足元に向けて鋭く何かが飛んできた。

 アーシュラは咄嗟とっさにそれをかわすが、同時にもう一本飛んできた何かに肩口を切り裂かれてその場に倒れ込んだ。


「うっ……」

「なかなか反応がいいじゃねえか。てめえ何者だ?」


 そう言って屋上に姿を現したのは、頭を黒い頭巾ずきんおおった細身の男だった。

 アーシュラは危機感を覚える。

 ギリギリまで接近に気付かなかったこと。

 こちらの動きを予測した正確な投射。

 そして投げられたそれは投射用に作られた先のとがった特殊なきり状の武器だった。

 アーシュラだからこそ分かるが、目の前にいるのは間違いなく暗殺を生業なりわいにしている者だ。


鎖帷子くさりかたびらを着込んできて良かった)


 万が一に備えて衣服の下に着込んできた鎖帷子くさりかたびらのおかげで、肩口は衝撃を受けて衣服は敗れているものの肌は傷付けられていない。

 暗殺者ならば刃物に毒を仕込んでいる危険性も十分に考えられる。

 アーシュラは最大限の警戒をしつつ、相手を見据みすえた。


「あなたはあの商会の人間ですか?」

「さてなぁ。おまえこそ誰だ? 堅気かたぎの人間じゃねえなぁ。なぜあの建物を監視している? のぞき見は良くねえなぁ。小娘」


 そう言うと男は、今度は腰から抜いた短剣を手にアーシュラに襲いかかってくる。

 アーシュラも手持ちの短剣を抜いて応戦した。

 だがアーシュラが得意とするのは不意を突いた暗殺だ。

 真正面からの斬り合いはダニアの女としては強くない。


 それでも相手が街のゴロツキ程度ならばどうにでも出来た。

 だが目の前にいる敵は手強てごわかった。

 おそらく幾度いくども修羅場を経験していて手慣れたやからなのだろう。


「殺しはしない。おまえがどこの人間か吐いてもらわなきゃならないからな。だが抵抗できなくなる程度には痛めつけてやる。半殺しでも口はきけるからなぁ」


 そう言うと男は一気に攻撃の手を速めた。


「くっ!」


 アーシュラはこれを右手の短剣で受けながら、左手で腰袋の中から煙幕用の粉末袋を取り出そうとした。

 だが男がそんなアーシュラの左手を鋭く蹴る。


「うあっ!」

「させるかよ!」


 蹴られた勢いで思わず倒れ込むアーシュラだが、男は油断せずに短剣を構えた。

 並みの男ならば倒れたアーシュラを組みせようと馬乗りになっただろうが、男はアーシュラの反撃を警戒して無策に距離を詰めようとはしない。

 しかしその手に握った短剣で自分の動きを止める一撃を放つつもりだとアーシュラは直感した。


(くっ! ここまでの手練てだれがいるなんて誤算だった……やられる!)


 予想外の出来事にアーシュラは歯を食いしばるが、そんな彼女目がけて男は鋭く短剣を振り下ろした。 


 ☆☆☆☆☆☆


 昼の仕事を終え、館に戻って夕食をとったクローディアは、すっかり暗くなった窓の外を見て表情を曇らせた。


「アーシュラ……どうしているのかしら。あまり無理していないといいのだけど」


 クローディアにとって自分をしたって付いて来てくれる部下は皆大事だ。

 だがアーシュラはその中でも特別だった。

 幼き頃からのかけがえのない友なのだ。

 その隠密行動の技術の高さと彼女への信頼ゆえ、ついつい仕事を任せてしまうが、もしアーシュラに何かあれば自分は立ち直れないほどの悲しみに沈むだろう。 


(無事に戻って来て)


 クローディアは胸に手を当て、アーシュラの無事の帰還をいのるのだった。

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