第7話 女王と蒸し風呂

 新都。

 女王ブリジットのために作られた入浴施設には露天ろてん風呂の他に、木造で建てられたし風呂がある。

 建物の中央にある囲炉裏いろりには焼けた石が置かれ、そこに水をかけて蒸気を発生させるのだ。

 ブリジットはこのし風呂を好み、よくボルドをともなって入浴していた。


「……それで怒ったソニアがベラにつかみかかり、そこからはもうお決まりの取っ組み合いだ」


 濛々もうもうとした蒸気が立ち込める中、ボルドは汗が流れ落ちるのを心地よく感じていた。

 すぐとなりではブリジットが同じく汗を流しながら子供の頃の思い出話を語ってくれている。 


「今はあんなに仲がいいのに、ベラさんとソニアさんは子供の頃にそんなにケンカしていたんですか?」


 目を丸くしてそう言うボルドにブリジットは快活に笑って言った。


「ケンカなら今だってするさ。だいたいベラがあの調子でからかって、怒ったソニアがムスッとしてつかみかかるところから始まるんだ。子供の頃から少しも成長していない」


 そう言って友のことを語るブリジットの顔は友愛に満ちていて、ボルドはそんな彼女の顔を見るのが好きだった。

 やがてブリジットは、ボルドがし風呂の熱気で赤い顔をしているのを見ると腰を上げる。


「そろそろ出るか」


 そう言う彼女に従ってし風呂の外に出ると、外気が火照ほてった体にヒンヤリと触れて心地良かった。

 ブリジットは外に用意されている湯桶ゆおけで体の汗を流すと、水風呂に身をしずめていく。

 ボルドも同じようにして水風呂に足を入れるが、ひざまでかったところで冷た過ぎて立ちすくんでしまった。

 ボルドは水風呂が苦手で、どうしても全身をしずめることが出来ないのだ。

 そんな彼を見てブリジットは優しく微笑ほほえむ。


「無理しなくていい」


 彼女の言葉に甘えて、ボルドは水風呂のへりに腰をかけた。

 そんな彼の姿を愛おしそうに見つめながら、ブリジットは先ほどの話の続きを口にする。


「何にしろ2人とも生き延びてくれて良かった。さすがに危なかったからな」


 南ダニア軍を迎え撃った新都攻防戦ではベラもソニアも瀕死ひんしの重傷を負った。

 だが2人とも生き延びて今はこの新都での日々を謳歌おうかしている。

 ボルドにとっても彼女たちは大切な友人だ。


「はい。お2人には長生きしてほしいです」


 そう言ったボルドは、ふいに胸の奥に言い表せぬ重い不安を感じた。

 彼が一番長生きしてほしいのは目の前にいるブリジットだ。

 だがブリジットは代々短命の家系であり、歴代のブリジットたちも40歳を少し越えたところでこの世を去っていた。


 異常筋力で人間離れした力を見せる彼女たちは、その反動で40歳を迎える辺りで急激に体が弱ってしまう。

 その運命からは逃れられないのだ。

 もちろん命に限りがある以上、愛する者との今生の別れは誰にでも必ず訪れる。

 だがボルドの場合はそれが他の人より早く来るのだ。

 そんなボルドの不安をその表情から読み取ったブリジットは立ち上がると、ボルドのとなりに並んで水風呂のへりに腰をかけた。


「ボルド。おまえにはアタシを看取みとって欲しいし、アタシがった後も長生きしてほしい」

「ブリジット……私も共にければいいのに」


 そう言うボルドの肩をブリジットは抱き寄せた。

 水風呂で冷えた彼女の体がヒヤリと冷たい。


「いいや。おまえは生きてアタシたちの間に生まれて来るであろう子供たちを見守ってやってくれ。それに……」


 そう言うとブリジットはボルドの目をじっとのぞき込む。


「おまえは生きてアタシのことを覚えていてくれ。こうして愛し合った日々のことを。そうしている間は、アタシたちの記憶は消えないだろう?」


 ブリジットの言葉にボルドはうなづいた。

 彼女の言う通りだと思った。

 彼女を愛した記憶を自分がこの頭に留めている間は、2人の愛は消えはしない。

 そんな風に思えてボルドは心が少しだけ温まったように感じた。


「分かりませんよ。もしかしたらサッサと他の誰かと再婚してしまうかも」

「なっ……だ、駄目だめに決まってるだろう! 女王の情夫に再婚は許されて……」


 そこまで言いかけてブリジットは押しだまった。

 ボルドがニコニコしているのを見たからだ。


「おまえ……アタシをからかっているな?」

「すみません。しませんよ。誰とも再婚なんて。私の身も心も一生あなただけのものですから」


 そう言うボルドの笑顔がまぶしくて、ブリジットは思わず顔が熱くなるのを感じ、照れているのをごまかすようにボルドに組み付いた。


「このまま水風呂に引きずり込んでやる! こいつめ!」

「ひゃっ! 冷たいですから! ご勘弁下さい!」


 嬌声きょうせいが響き渡る浴場にはふいに秋の風が吹き込むが、2人の熱気は冷めることはないのだった。

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