第14話
マリアレーサ・ラックローゼ。12歳。今まで何人もの家庭教師を病院送りにした超問題児。
ダンはラックローゼ家の執事であるレッケンに連れられてマリアレーサの部屋へと向かっている。
「噂はご存じかと思いますが」
「まあな。なかなか厄介な娘らしいな」
「はい、その通りでございます」
レッケンは否定しなかった。否定できないほどひどいのだろう。
「数えるのも嫌になるほどの人間がお嬢様のもとから逃げ出しました。何度も更生を試みましたが、ことごとく失敗しておりまして」
レッケンは屋敷に入ってから何度目かのため息をつく。悩み深く疲れ切った初老の男のため息だ。
「もう我々の手には負えません。しかし、こんなことが知られると……。いえ、もう知られていますか」
レッケンは、名家の名に傷がつく、とでも言いたかったのだろう。だがしかし、もう手遅れもいいところだ。
「どうして、こんなことになってしまったのでしょうな……」
小さかった。大貴族の執事ともなればもっと威厳に満ちた大きな背中をしているはずだが、今のレッケンの背中は疲れ切った老人のようだった。
「……こちらがお嬢様の部屋でございます」
ダンとレッケンは扉の前にたどり着く。その扉の向こうがマリアレーサの部屋なのだろう。
「くれぐれもお気を付けください。無理は、なさらぬように」
扉の前に立ったレッケンは相当緊張しているようだった。扉の前に立っただけなのに顔が引きつり冷や汗を流している。
レッケンは緊張しながらも扉をノックする。
「お嬢様、新しい家庭教師がお見えです」
そうレッケンが声をかけると少ししてから返事が返って来た。
「入りなさい」
澄んだ美しい声だった。その声は扉の向こうから聞こえてきているとは思えないほどダンの耳にはっきりと聞こえた。
「失礼、いたします」
レッケンが扉を開ける。その扉の隙間から部屋の様子が見えた。
名門貴族のひとり娘マリアレーサの部屋。その部屋は部屋の四方の壁が本棚になっており、その本棚にはびっしりと本が敷き詰められ、その部屋の真ん中に置かれた椅子でマリアレーサが本を読んでいた。
「ごきげんよう。そちらの方が、新しい家庭教師さん?」
威圧感。扉を開けた時から感じる凄まじい圧迫感。その圧力の中心に、いる。
マリアレーサ。その姿はダンの想像していたものとは違い、一見すると可憐な美しい少女にしか見えなかった。
小柄で華奢な体には質の良さそうな赤いドレスを身にまとっている。輝くような長い金髪は緩やかに波打ち、肌は真珠のように艶やかで白く、その瞳は新緑の若葉のように瑞々しい光を放っていた。顔立ちも整っており、涼やかで切れ長な目が印象的な美少女である。
しかし、その威圧感は普通ではなかった。普通の人間なら大人でもその場で膝をついて失禁しそうなほどの圧を放っている。
「相当な魔力量だ。だが、気にするほどでもない」
彼女の圧は彼女が有している魔力の量が常人を遥かに超えている証拠だ。一般人なら気を失うレベルの気迫である。
「失礼する」
ダンは部屋の入り口で硬直するレッケンを端に除けて部屋の中に入る。ダンの表情には動揺も驚きも見られない。
「へえ、すごいじゃない、大きな人」
部屋に入って来たダンを見て優雅に本を読んでいたマリアレーサは本を閉じて椅子から立ち上がる。そのマリアレーサの前にダンは歩み寄ると、マリアレーサを見下ろし、マリアレーサはダンを見上げてまっすぐにダンの目を見つめる。
「お名前は?」
「ダン・ダリオン」
「そう。まあ、どうでもいいのだけれど」
マリアレーサは大きな体のダンを上から下まで眺めると、それだけで興味を失ったのか無言でダンに背を向ける。
「レッケン、この方を屋敷の外までお送りして」
「しかし、それは」
「わたくしの命令が聞けないの?」
マリアレーサは後ろを振り向きレッケンを鋭く睨む。それだけでレッケンは顔を青くし足が震えだすが、なんとかこらえて言葉を続ける。
「旦那様からの言いつけでございます」
「家庭教師などいらないと何度も言っているでしょう? 本を読んで勉強しているのだから」
「しかし、それでは」
「あら、まだ逆らうつもり?」
部屋の空気が変わる。明らかな怒気を含んだ気迫が部屋に充満する。
「それぐらいにしておけ」
ダンはマリアレーサとレッケンの間に立つ。それを見たマリアレーサはダンを睨みあげる。
「弱い相手をいじめても面白くないだろう?」
「なら、あなたは強いの?」
「さて、どうだろうな。確かめてみるか?」
マリアレーサはダンにもう一度向き直る。
「家庭教師さん、あなたは何がご専門?」
「そうだな。しいて言えば戦闘魔法と剣術か」
「数学でも法学でもなくて?」
「そう言う小難しいのは苦手だ」
そう、ダンは苦手だった。一応、基礎的な魔法理論などは知っているが、それよりも実践で覚えたことのほうが多い。座って授業を受けるより体で覚えた方が早いというタイプなのである。
だからダンは魔法術師試験を受けることを躊躇っているのだ。実技はなんとかなるとは思うが、筆記試験には自信がない。
「ふふ、おかしな人」
マリアレーサはクスクスと口元を隠して上品に笑う。その仕草だけを見れば完璧に貴族のお嬢様なのだか、彼女の放つ雰囲気はそからにいる猛獣よりも恐ろしい。
「少し体を動かしたくなりました。よろしければお付き合いくださるかしら?」
そう言うとマリアレーサはにこりとダンに微笑みかける。その表情はまさに可憐な乙女のそれなのだが、ダンはその笑顔の向こう側に獲物を狙う獰猛な魔獣の姿を見た気がした。
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