第13話

 帝国には貴族がいる。帝国が敗北し皇帝がエンテレシアに変わったことでその地位が危ぶまれたが、結局は今も残っている。


 ただ、状況は昔より悪くはなっている。金銭的にも立場的にも。


 その原因のひとつが教育だ。学校が設立され、無償で誰でも教育が受けられるようになったことで、地位の高い者たちが知識を独占できなくなったからた。


 知は力であり知識は武器である。文字が読めるだけで契約や交渉で不利になることが減り、計算ができるようになれば金で騙されることが少なくなるだろう。


 帝国民は昔よりも確実に賢くなっている。つまり力を持ち始めたのだ。


 そうなると今まで知識を独占してきた貴族階級の者たちの立場が危うくなってくる。今まで威張り散らして平民を馬鹿にしていた貴族が、その平民より馬鹿だと知れたら貴族としての誇りも威厳も霧散してしまうだろう。


 貴族は平民より賢くなければならない。その強迫観念が貴族たちを突き動かし、そのプレッシャーが彼らを追い詰めてもいるのだ。


 そのため今の帝国貴族の大学進学率はかなり高い。自分たちがそこらの平民よりも賢いのだと証明するために必死なのだ。


 今の貴族の子供たちはとても忙しい。貴族としてのマナーはもちろん、学校に通って勉学に励み、家でも家庭教師を雇って勉強をし、それ以外にも習い事を複数掛け持つなど遊んでいる暇など無いに等しい。


 貴族としての立場を守るために彼らは相当苦労している。特権階級と言えども安心デキないことを彼らは自覚している。


 そんな厳しい現代貴族の一つがラックローゼ家だ。帝国がまだロガ王国と呼ばれていた時代から続く名家中の名家である。


 そのラックローゼ家のひとり娘がマリアレーサだ。

 

 貴族の中でも一目置かれる上級貴族のひとり娘。そして、ラックローゼ家始まって以来の問題児。


 噂によると赤子の時から問題児だったようだ。乳を与える乳母を殴り飛ばして気絶させたとか、歯が生えてすぐに人の指を嚙みちぎったとか、教育係の男たちをことごとく病院送りにしたなど、かなり暴力的な話がいくつもある。


 それが本当の話なのかは定かではない。ただし、今まで乳母が何人も入れ替わり、彼女の家庭教師が何人も辞めていったことは事実だ。


 ラックローゼ家の当主である彼女の父はほとほと困り果てていた。どうにかしてマリアレーサを貴族らしいまともなレディーにしたいとは思っているのだが、最近ではマリアレーサを怖がって誰も彼女の家庭教師を引き受ける者はいなくなってしまった。どんなに高額な報酬を出しても一人も集まらないのだ。


 まあ、集まったとしても一週間と持たないだろう。なにせマリアレーサは気に入らない者には容赦がなく、マリアレーサに目を付けられた者が屋敷を逃げ出さなかったことがないぐらいだ。


 ダンはそんな超が付くほどの問題児の家庭教師になってしまった。リーサが大学の学生課にある就職支援窓口から紹介されたらしい。


 そして、その窓口でもこの案件が訳ありであることは一応伝えられたようだ。


 ようだが。


「貴族のお嬢様の家庭教師です! 先生にはぴったりですよ! 多少問題があっても先生なら大丈夫!」


 と輝くような笑顔で勧めて来たのだ。


 一応、リーサから相手のことを教えてはもらった。ダンも用心のため相手がどんな人物なのかを自分でも調べた。でこの有り様。問題児も問題児だ。


 しかし、断るわけにもいかない。リーサが苦労して探してきてくれたのだ。今更、やっぱりやめた、とは言えない。リーサがガッカリする顔は見たくはない。


「まあ、どんな相手でもミスリルドラゴンの群れよりはマシだろう」


 暗黒大陸で出会った白銀色のドラゴンの大群。斬撃や打撃はおろか魔法攻撃も通用しない化け物の集団を相手にしたときに比べたらどうと言うことはないだろう。


 と言うことでダンは今、帝都郊外にある大きな屋敷の門の前にいた。


「……無駄に広いな」


 鉄格子の門の間から見える庭。庭を貫き門から屋敷の入り口へと続く石畳の道。道の両脇に並ぶ糸杉の街路樹。そしてその道の先にたたずむ大きな屋敷。いかにも上級貴族様が住んでいそうなたたずまいお屋敷である。


 ダンは門の脇に立つ衛兵に声をかけ紹介状を見せる。


「……どうぞ」


 門が開く。その門をくぐる前にもう一度ダンは衛兵に視線を向ける。


 紹介状を見た衛兵の表情が一瞬強張っていた。どうぞ、と一言しか発していなかったがその声にも緊張が見られた。


 やはり、何かあるのだろう。とダンは考えながら屋敷の敷地内へと足を踏み入れる。


 それからは何事もなく屋敷の前にたどり着いた。一応警戒はしていたが、何か危険なものの気配は見られなかった。


 そして屋敷の入り口の前には執事らしき初老の男性がダンのことを待っていた。


「お待ちしておりました、ダン・ダリオン様」


 執事らしき男がダンを見上げる。ダンはその男の顔を見て、その男がかなり疲れている様子であることを察する。


「わたくしは執事長のレッケンでございます。どうぞ、お見知りおきを」


 レッケンと名乗った男はダンに深々とお辞儀をする。その姿、その所作のひとつひとつに乱れがなく凛々しくもあったが、どこか力強さに欠けていた。


「お話は伺っております。しかし、その」

「経歴を証明する物がないからな。疑って当然だ」


 この仕事を受けた際、雇い主のほうへダンの経歴を伝えてはある。だが、それを証明するものは何もない。いくら単身でグリフォンの巣を殲滅したとか、暗黒大陸で三年間過ごしたとか、マグマタイタンを討伐したなどと言っても、それを証明する何かがなければ誰も信じないだろう。


 それにダンは魔法術師資格も持っていない。魔法は使えるのだが試験を受けたことは一度もないのだ。


 となるとダンの実力を証明できる物は何もないことになる。それでもラックローゼ家はダンを家庭教師として迎え入れようとしている。どうやらそれほどまでにこの家は追い詰められているようだ。


「期待は、しておりません。何度も、何度も裏切られましたので」


 レッケンは悲痛な面持ちで深いため息をつく。その表情とため息だけで彼の今までの苦労が見て取れるようだった。


「ですが、どうか、どうかお嬢様を」


 衛兵の様子やレッケンの姿を見て、ダンは思う。


 面倒な仕事を引き受けてしまったか、とダンは思った。

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