第10話
ホットチョコレートの甘い香りが白いマグカップから湯気と共に漂っている。
「ここのホットチョコレートはボクのお気に入りなんだ。キミもどうだい?」
店内の客はダンと『それ』だけだ。あとは店員の少女が暇そうに店番をしているだけだ。
「立ってないで座りなよ。席、あいてるからさ」
「……壊れないか?」
木製の丸いテーブルが二つと木製の椅子が四つ。そのどれもがダンにとっては小さく心許ない。
「ははは、確かに。じゃあ、こうしようか」
そういうと『それ』は指を、パチンッ、と弾く。するとみるみるうちに木製の椅子は、まるで生き物のようにうねうねとうねり、ダンが座っても大丈夫なくらい大きく頑丈な物に変形した。
明らかに魔法だ。おそらく生物操作系の魔法だろう。しかも、かなり精度の高い。
「さ、どうぞ」
そういう『それ』は優雅な手つきで自分の向かい側の椅子にダンを誘う。だが、ダンはそれに座ろうとはしなかった。
「そんなに警戒しなくてもいいよ。それとも、怖い?」
「安い挑発だな」
さて、どうする。とダンは考える。このまま誘いに乗るか、それともさっさと買い物を済ませて帰るか。
いや、そもそも帰ることができるのか。おそらくこの場所、この店の中はこいつの支配領域かもしれないのに。
「警戒心が強いことだ」
「怪しい奴を疑うのは普通だろう?」
「まあ、そうだね。それが普通だ」
『それ』は楽しそうに笑っている。笑っているのはわかる。
そう、笑っている、ということはわかるのだ。笑っているという情報は視覚、聴覚から認識することができる。
しかし、肝心の『それ』が何なのかが認識できない。幾重にも重ねられた印象操作や認識阻害の魔法により、存在が偽装されすぎていて何が何だかわからないのだ。
本当に得体のしれない不気味な何か。そんな何かが美味しそうにホットチョコレートを飲んでいる。
「ボクは、普通の人間は呼んでいないはずだよ」
呼ぶ。どうやらダンはこいつに呼ばれたらしい。魔法でこの店に誘い込まれたのだ。
「なかなかいいモノが釣れたと思ったんだけど、勘違いかな?」
笑っている。それは明らかにダンを嘲っている。
ならば、とダンはそれを凝視する。
「無駄だよ。ボクの偽装を見破れる人間はそうそう」
「破る必要はない」
ダンは凝視する。とことん見つめる。
そいつはとても曖昧だ。男にも女にも見えるがそのどちらでもない。子供にも大人にも老人にも見えるがそのどれでもない。太っているようにも痩せているようにも見えるがそのどちらでもない。
見えているはずなのに何を見ているのかわからない。ならば、無理矢理理解してしまえばいい。決めつけてしまえばいい。こいつはこういうやつだ、と固定してしまうのだ。相手に勝手なイメージを押しつけて。
すると次第に見えてくる。はっきりと。
「……まさか、そんな方法で突破するなんて」
「ヒントを出しすぎだ。動けばすぐにわかる」
動き。そう、そいつは動いていた。指を鳴らし、ダンを向かいの席に誘い、カップを持てホットチョコレートを飲んだ。その動き、仕草、腕の動かし方や位置、持ち上げたカップの高さ、そのわずかな、しかし確実な情報からダンは相手の存在を固定した。
「どうやらボクの目に狂いはなかったようだね」
そう言うとそいつは自ら自分にかけていた偽装魔法を解除し姿を現した。
現れたのは子供だった。しかし、相変わらず男なのか女なのかはっきりとしない。
おそらく身長は140センチぐらいだろう。それはダンもそいつの動きから予測していた。
声も子供だ。まだ声変わりをしていない男児とも、幼い女の子の声にも聞こえる。
見た目も男女どちらとも言いがたい。腰の辺りまで綺麗に切りそろえられた青紫色の長髪、白い肌も、男の子にも女の子にも見える中性的な整った顔立ち。美少年にも美少女にも見える、完璧な美しさ。
そう、完璧なのだ。まるで作り物のように、不自然なほどに。
ただ、それなりに地位の高い人物なのはわかる。身にまとっている濃紺のスーツは見るからに上等な布だとわかる。スーツの下に着ている同じ色のベストもその下の白いワイシャツも、閉めているスーツと同じ色のネクタイも、履いている黒い革靴も全部が全部かなり高そうだ。
「そんなに見つめられると照れるよ」
そう言うとそいつはダンを挑発さるようにスッと目を細める。
目、瞳。そいつは黄金の瞳をしている。
「ボクの名前はル・トー。正式な名前は長ったらしくてね。面倒だからそう名乗っているしそう呼ばせてる」
そう言うとそいつ、ル・トーはダンを見上げる。もともと身長が低い上に椅子に座っているので、ダンの顔を見るのも大変そうだ。
「さて、そろそろ座ってくれるかい? 首が疲れちゃうよ」
ダンは覚悟を決めてル・トーの向かいの席に腰を下ろす。
「注文は? 飲み物の一つでも頼むのが礼儀だよ」
「……同じ物を」
「同じ物、ね」
ル・トーは何かを企んでいるような笑みを浮かべてから店員を呼び、自分が飲んでいるホットチョコレートと同じ物を注文する。
「さて、ボクも名乗ったんだから、キミもだ」
「ダン・ダリオン。ただの魔剣士だ」
「キミは魔法が使えるようだけれど誰に教わったんだい?」
「デルエンドロ・バガンという旅の男だ」
「デルエンドロ、ね」
ル・トーはデルエンドロの名前を聞いた途端、何とも言えない複雑な表情になる。
「あの男に弟子入りしたの?」
「知っているのか?」
「まあ、ね。でも、弟子か。あいつが弟子ねえ……」
どうやらル・トーはダンの師匠を知っているらしい。しかも、それなりに詳しく知っていそうだ。
「しかし、それなら納得もいく。キミのその筋肉モリモリ具合にも」
「魔法使いは体が命、と嫌と言うほど叩き込まれたからな」
「だろうねぇ」
ル・トーは呆れたような面白がっているような、そんな笑顔を浮かべながらホットチョコレートをすする。
「お待たせしました。どうぞ」
二人が話をしているとダンの分のホットチョコレートが運ばれてくる。ダンはそのカップの黒いドロッとした液体をしばらく眺めてから、カップを手に取った。
「……ぐ、う」
「どうだい? ボクと同じ物は?」
「……あま、すぎる」
ダンは一口飲んでみて注文したことを後悔した。それほどそのホットチョコレートは甘かったのだ。
「疲れたときは甘い物だよ」
「限度と言うものがあるだろう」
ル・トーは美味しそうにホットチョコレートを飲んでいる。ダンは一口で後悔しもう一度口を付ける気にならないほどに甘ったるい液体を美味そうに飲んでいるル・トーが信じられなかった。
「キミ、仕事は?」
「日雇いで働いている」
「つまり定職には就いてないわけだ」
「そうだが」
カップをテーブルに置いたル・トーはダンを上から下まで眺める。ダンとル・トーの身長の差はダンが座っても全く縮まっていないため、ル・トーは相変わらずダンを見上げるような状態で、彼をじっくりと眺めまわす。
「キミ、ボクのところで働く気はないかい?」
「何者かもわからない相手の言葉を聞き入れろと?」
そうである。ダンはまだル・トーがル・トーという名前だといことしか知らないのだ。そんな相手の誘いを受け入れられるわけがない。
「ああ、そうか。ボクの仕事を教えてなかったね」
そう言うとル・トーはスーツの内ポケットから銀製の懐中時計を取り出しダンに見せた。
「改めて、ボクはル・トー。まあ、周りからは名前より学長って呼ばれることのほうが多いかな」
ル・トーが取り出した銀時計の表には大学の校章が刻まれていた。
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