第3話
夜、帝都西第三公園。公園内には夜闇が満ち、その夜闇を魔晶灯の熱を持たない魔法の明かりが照らしている。
人は、いない。巡回している帝都警察の警察官の姿も見えない。
静かだった。昼間の騒がしさが嘘のように辺りは静かり返っている。
空には三日月が上っている。その月を見上げながらダンは思う。どこにいても月は同じなのだな、と物思いにふける。
「……よう、おっさん」
ダンは声のほうへ顔を向ける。
「今日も来たんだな」
「ああ、今日も来た」
ダンの視線の先。そこにいたのは背の高い女性だった。
女性だったが、どこか奇妙だった。
「んじゃま、遊ぼうぜ」
その女性は奇妙だった。炎のように赤い髪は地面に届きそうなほどに長く、それとは対照的に彼女の肌は人とは思えないほどに真っ白だった。腕と足も不気味なほどに長く、肌と同じように真っ白なボロボロのワンピースを身にまとっていた。
そして、彼女はうっすらと透けていた。
不気味な女が顔を上げる。長い赤髪の間から顔が覗く。
その顔は人のものではなかった。目がある場所には暗い穴があるだけで、口には鋭い牙が生えていた。
化け物。そうとしか言いようのない物がそこにいる。しかし、ダンは全く動じることがなかった。
十日ほど前、ダンはその不気味な女と出会った。夜の帝都を見て回ろうと思い立ち、散歩に出たとき彼女と出会った。
出会ってすぐに彼女はダンに襲い掛かって来た。それから毎晩のようにダンは彼女と組み手をしている。
組み手。ダンは彼女との戦いを鍛錬の一環だとしか思っていない。だが、実際は違う。
彼女はダンを殺しに来ている。ダンもそれに気が付いている。
けれど、ダンは全く気にもしない。むしろ本気で来てくれてうれしいとさえ思っている。
彼女が何者かをダンは知らない。彼女が何者だろうと気にもならない。単純に良い稽古相手だとしか思っていない。
その晩もダンと不気味な女は殺し合いを始めた。手加減なし、ルール無用。互いに急所を狙い、致命傷となる一撃を加える。
ダンは剣士である。と同時に魔法術師でもある。魔法と剣術のどちらをも高いレベルで習得し、それ以外の格闘術にも通じている。
不気味な女はダンの急所をためらいなく狙ってくる。ダンはそれをかわし、手で逸らし、相手にカウンターの一撃を放つ。
「ぐぼらっ!?」
不気味な女の半透明の体をダンの拳が貫き、不気味な女が後方へ吹き飛ぶが、女は空中で身をひるがえし地面に着地する。
ただの拳がその女に通じないことをダンは知っている。しかし魔力をベールのようにまとわせた拳なら女にダメージを与えることができる。
魔法拳。実体のない幽霊などの相手を倒すための基本的な技だ。魔法や魔力をまとわせた手や足で相手を攻撃する基本戦闘術である。
「もうお終いか?」
「うるせえ、まだだ」
女が立ち上がる。そして、まっすぐにダンに突撃してくる。その速さは人間の反応速度をはるかに超えていた。
だが、ダンにとっては造作もなかった。突撃してくる女をひらりとかわすと、すれ違いざまに女の腹に膝蹴りを食らわせ女を後方へと吹き飛ばした。
「が、ほ」
「遅い。実体がないのならもっと早く動けるだろう」
「う、るせえ。バケモンが……」
化け物。どう見ても女のほうが化け物に見えるのだが、その化け物を圧倒しているダンはおそらくさらに化け物なのだろう。
そう、ダンは本当に化け物じみていた。十日前に彼女と出会ってから毎日戦っているが、ダンはまだ一度も負けていない。十戦十勝である。
「ぜってぇ、ブッ殺す」
女は立ち上がる。立ち上がり、負けじとダンに襲い掛かる。
しかし、何度やっても歯が立たない。一撃食らわせるどころか触れることさえできなかった。
「くしょう、チクショウ。ぜってぇ、絶対に、殺す」
不気味な女は何度も立ち上がり何度もダンに襲い掛かる。そのたびに何度も吹き飛ばされ地面に膝をつく。
「チクショウ、チクショウ、チクショウ……」
数えきれないほど打ちのめされた女は悔しそうにそう呟き、真っ暗な穴しかない目でダンを睨みつける。その視線は普通の人間ならば恐怖で心臓が止まりそうなほど悍ましい。
だが、ダンにはまったく通じない。そもそもダンは普通ではないのだ。
「うん、かなり動きが良くなった。この調子でいけば更に強くなれるぞ」
などと明らかに普通ではない化け物に励ましの言葉をかけるくらいだ。
そう、ダンは普通ではないのだ。強さも感覚も。
「ウルセえ、黙れ。ムカツクムカツクムカツク――」
恨み言を言いながら不気味な女は消えていく。どうやら今日の鍛錬は終わったようだ。
「よし、いい運動になった」
女が消えたのを確認するとダンも家路につく。
十一勝目。今日もダンの完全勝利である。
「なかなか見所のある幽霊だ。うん」
ダンは知らない。その幽霊はかつて一夜にして帝国兵数百人を葬り去り、彼女をこの公園内に封じ込めるために何千人もが犠牲になったことを。
彼女が帝都の夜の怪異『血みどろのミザリア』と呼ばれ恐れられていることをダンはまだ知らない。
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