第1話

 帝国はたった一人の魔女に敗北した。


 50年前、北大陸の覇権を握ろうとする帝国に一人の魔女が宣戦布告を行った。


 魔女の名はエンテレシア。後に魔女皇と呼ばれる女である。


 当時の帝国の有する軍事力は北大陸一と言われていた。正規軍100万、その他数十万と言う大軍勢を有しながら、帝国は魔女一人に敗北し、帝国の軍勢は大崩壊したのである。


 しかし、その大敗北は意味のある敗北だった。帝国は倒れ、当時の皇帝は失脚。そしてその皇帝の座にエンテレシアが座ったのである。


 エンテレシアが皇帝の座に納まるとすぐに彼女は大改革を行った。彼女は戦争状態だった他国と和睦し、拡大拡張路線から内需拡大路線へと方針を転換。国民への魔法教育を推進し、教育、医療、福祉制度の整備も積極的に行った。


 魔女皇エンテレシア。彼女が何を考えているかは誰にもわからない。しかし、結果だけを見れば彼女が賢帝であることは明らかだった。


 大敗北から50年。滅び去るかと思われていた帝国は未曾有の大発展を遂げている。


 物流に革命が起こった。魔法で動く魔動機関車の誕生と帝国中に大規模鉄な道網が敷設された。魔動機関車の更なる改良と冷蔵冷凍車両の登場し、これにより安定的大規模高速物流が可能となった。


 人口も爆発的に増えた。乳幼児死亡率は改善され、平均寿命も伸び続けている。今では帝国の首都である帝都は500万人もの人間が暮らす大都市になっている。


 人々の生活も豊かになった。物流網の発展、魔動冷蔵庫や魔晶石ラジオの普及、住環境の整備により衛生面も改善され、衣食住や教育や福祉、情報伝達などの面においては50年前とは比べものにならないほどである。


 時は新帝国歴51年。帝国には魔動機械文明が花開き、人々は平和に豊かに穏やかに暮らしていた。


 そんな帝都の片隅に一人の男が暮らしている。


 男の名はダン・ダリオン。今年で34歳になる独身男である。


 ダンは数週間前に帝国にやって来た。二十数年間探し続けていた女性に会いにである。


 そして、それは叶えられた。彼女と再会し、彼女に助けられたお礼を言うことができた。

 

 そう、目的は果たされたのだ。しかし、なぜだか満たされるよりも喪失感のほうが大きかった。


 そんなダンは次の目標を見つけられずにいた。何十年も国内外を放浪し続け、目的の彼女であるフィノンと再会しても恥ずかしくない立派な人間になろうと努力を続け、その目標が達成できたのだが、その次が見つかっていなかった。


 それでも腹は減る。それでも働かなくてはならない。


 ダンは今、日雇いの仕事を転々としている。


 帝都は今も大きくなり続けている。増え続ける人口を収めるため新たな住宅が建築され続け、増え続ける人々の生活を満たすため毎日鉄道を通って帝都に荷物が運び込まれている。


 ダンは今日、駅で荷役を行っていた。魔動機関車に積み込まれた大量の荷物を降ろし、帝都の外へと運ばれる荷物を積み込む作業を早朝から日暮れまで、途中休憩を挟みながら丸一日続けていた。


「いやあ、すごいねあんた」

「はは、体力には自信があるので」


 同じ現場で働く男たちに紛れてダンも荷物を運ぶ。だが、ダンはそんな男たちの中でもひときわ目立っていた。


 それもそのはずで、ダンはとても大きかった。背丈は二メートルを超え、その腕は女性のウェストよりも太く、その足は大木のようにガッシリしている。胸板は装甲列車の装甲板のように分厚く、背中はまるで鉄の壁のよう広く重量感と威圧感がある。


 しかもそんなダンの巨体には無数の傷があった。それも単なる切り傷や刀傷ではなく、想像もつかないような怪物に付けられたであろう傷が体のあちこちに刻まれているのだ。


 ダンはとても目立つ風貌をしていた。そんなダンはもちろん当たり前のように日雇い仕事を始めた初日から周りの人間に目をつけられた。


 しかし、ダンは何があっても動じなかった。というか、何をされてもビクともしなかった。


 難癖を付けられ殴られようが蹴られようがまったく気にもしなかった。むしろダンを殴った男の指が折れ、ダンを蹴った男の足にはヒビが入るほどにダンは頑丈だったのである。 


 そして、ダンはとても力持ちだった。十人がかりで運ぶのがやっとの荷物を片手で持ち上げ、朝から晩まで働き続けても息ひとつ乱さなかった。そんな規格外の体力を持つダンは、最初の頃は気を使い仕事を覚えるためにゆっくりと作業をしていたが、今では普通の作業員の数倍の作業を行うまでになっていた。


「荷下ろし、終わりました」

「お、おう。ご苦労さん」

「いや、しかし、早すぎるんじゃねえか?」


 ダンはまったく疲れることを知らなかった。そんなダンを周囲の人間は頼もしく思いながらも、どこか気味悪くも感じていた。


「あいつ、本当に人間か?」

「新型の魔動機械かなんかじゃねえのか?」


 と疑う者まで現れる始末である。


 けれどもダンはそんなことなどまったく気にも留めない。ただただ自分の仕事をこなし続け、手が空けば他の作業員の手伝いをし、気味悪がられながらも数週間であっという間に皆の人気者、頼れる怪物と呼ばれるようにまでなっていた。


 怪物。化け物。


 まあ、確かにその通りだった。


 ダンは人の姿をしながらもどこか化け物じみていた。


「ほれ、今日の給金だ」

「ありがとうございます。頂戴いたします」


 その日も無事に一日の作業を終えた。ダンも他の作業員たちと同じようにその日の給料を受け取り、家路についた。


「……平和だ」


 平和だった。荷役作業はキツイ仕事で、環境もよくはないだろう。荷役作業員たちは肉体労働者の例にもれず血の気が多く、いつもどこかでケンカ騒ぎが起きていたが、それでもダンにとっては平和な仕事だった。荷物の下敷きになり大けがを負う者も命を落とす者もいるが、それでもダンにとっては平和そのものだった。


「しかし、賑やかな場所だな、帝都は」


 日が暮れていく。ダンは家路につく人々とすれ違う。


 帝都は人が多い。早朝や深夜はともかく、日中は人だらけだ。


 そんな大勢の人間の中、ダンに声をかける人物がいる。


「先生!」


 ダンはその声のするほうに顔を向けると、少女が手を振りながらこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「今日の仕事はお終いですか?」

「ああ、リーサも講義は終わったのか?」

「はい! 聞いてくださいよ先生! 今日も教授が――」


 少女、リーサは輝かんばかりの笑顔で今日の出来事を楽しそうにダンに報告する。これがリーサの最近の日課だ。


 そして、彼女にとって一番の楽しみ。


「先生は今日何かいいことありましたか?」

「いつも通りさ。いつも通り、平和だった」


 日が暮れていく。


「もう、いつもそればっかりじゃないですか」


 穏やかに日が暮れていく。


 

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