魔導剣士ダンは平和に暮らしたい

甘栗ののね

プロローグ

 初恋だった。


「巡回医師団の魔法術師だよ。安心しな、ボウズ」


 彼は無力だった。母が病死し、父は母を失ったショックで酒浸りになり、二人の兄たちも流行り病でまともに働けず、生活がどんどん悪くなるばかりだというのに、幼かった彼は家族を看病することしかできなかった。


「フィノン。お前さんはそっちを。あたしはこっちをやるよ」

「はい、師匠」


 彼は不安の中にいた。そんなとき、彼女たちが現れた。


 帝国巡回医師団。医者のいない村や町を巡回し、病気や怪我で苦しむ国民を助けるために日々活動する一団の中に彼女はいた。


 彼は今でも彼女の姿をはっきりと覚えている。ブルーグレーのショートカット、青空のような澄んだ青い瞳、肌は白く、手足はすらりと長く細身で、けれど弱弱しさなどどこにもなく、手慣れた様子で家族を治療してゆく姿を彼は今でも覚えている。


 彼女の名前はフィノンと言った。彼よりも少し年上の少女だった。


「安心して。すぐに治すから」


 そう言ってフィノンは冬の寒さと水の冷たさでボロボロの彼の手を優しく包んだ。そして、その手を離した時には彼の手には傷などひとつもなくなっていた。


 それが彼が最初に触れた魔法だった。


 フィノンは魔法を使う者だった。そういう人々を帝国では『魔法術師』と呼んでいた。


 フィノンは魔法術師だった。彼が一番最初に出会った魔法術師で、彼や家族の恩人でもあった。


 そんなフィノンに彼は恋をした。それが初恋だった。


「あ、ありがとう」

「いいの。これが私の仕事だから」


 フィノンと彼女の師匠は彼の家族を治療すると足早に次の場所へと向かった。その年は異常な寒波と流行り病により、彼の村だけでなく他の村でも病人が多く出ていたのだ。


 だから、彼がフィノンと顔を合わせたのはほんの少しの間だった。けれど、そんなフィノンに彼は恋をした。


 そんな彼は決意した。自分も魔法術師になろうと決意したのだ。


 それが8歳の頃のことだ。8歳でフィノンと出会い、初めて恋をし、自分の人生を決めた。


 あれから25年。彼は立派に成長した。


 立派な魔法剣士へと成長していた。


 そして、ついにその日が来た。


「探しましたよ、あなたを」


 そこはロガ帝国の首都である帝都。フィノンは帝都に存在する、帝国魔法術界の中心地『中央魔法術院』で働いていた。


「……どちら様かしら?」


 そこは帝都東第三公園。彼女が休日によくそこにいることも突き止めていた。


「そうですよね。覚えて、いませんよね」


 彼は覚えていた。けれど彼女は忘れていた。


「25年前。とある村で家族を助けていただいた者です」

「そう、ですか。申し訳ありません。覚えておりません」

「そう、ですか。いえ、いいんです」


 長かった。本当に長かった。


「実はあの時のお礼が言いたくて」


 長い長い時間が過ぎていた。


「ママ―!」


 本当に長い時間が過ぎていたのだ。


「ママ、この人誰?」


 彼女には家族がいた。


「どちら様だい? 知り合い?」

「いえ、昔、巡回医師団にいた頃の患者さんのご家族らしいのだけれど」


 彼女には夫と二人の子供がいた。


「いや、あの。申し訳ない。お邪魔してしまったようで」

「いえ、構いませんよ。それで、何か御用でしょうか?」

「ははは、いや、あの時、ちゃんとお礼をすることができなかったので。こちらにいると聞いて、あの時のお礼を、と思いまして。ははは……」


 なぜか、心が痛んだ。


「本当に、ありがとうございました」

「いいえ。私の仕事をしたまでですから」


 渡したい物もあった。けれど渡すことができなかった。


「じゃあね、おじちゃん!」


 彼女の娘が手を振っていた。彼はそれを見送るしかできなかった。


 幸せそうだった。とても幸せそうだった。


「わかっては、いたさ……」


 笑うしかなかった。彼は力なく笑った。


 彼女が帝都にいることは事前に知っていた。彼女が結婚していることも、子供がいることも知っていた。


 時間がかかりすぎたのだ。再会までに。


 だが、後悔はない。ここまでの25年は必要な時間だった。あの時、助けてくれた彼女に憧れて、自分も立派な人間になろうとして、必死に努力してきたのだ。


 後悔はない。だが、胸は痛む。


「……ありがとう」


 こうして彼の長い長い初恋は終わりを告げた。


「……渡しそびれてしまったな」


 そう言うと彼は荷物袋から小さな箱を取り出す。


 追いかけて渡そうか、と彼は一瞬考えた。考えたが、やめた。


「しかし、どうしたものか……」


 渡せなかった。だが、売り払う気にもなれない。かと言っていつまでも持ち歩くのも未練がましいような気がする。


「まあ、いずれどうにかしよう」


 時間はある。生きている限り。


「さて、これからどうするか」


 終わった。次はどうする。


 もう帝都にいる用事も無い。なら、また旅にでようか。


「……先生?」


 彼に声をかける少女がいた。


「やっぱりダン先生ですよね!?」

「……キミは、確か」


 一人の男の恋が終わった。そして、新しい物語が始まった。


 それは最強魔導剣士ダンの小さな小さな物語。

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