負けヒロイン

「裕介先輩、楽しそうでしたね」


 ファミレスを出て、帰り道。日奈を送ると別方向に向かった裕介を見送ったあと、ぽつりと零してしまったように言った言葉は、冬らしい凍った空気に消える。

 歩く帰路も、不思議と静かに感じた。


「まあ、な」


 付き合いたてなんだから、その言葉は伝えられない。二人の背中を押して、付き合うようにサポートしたのは俺と、夏華だったが、その言葉を目の前にぶつけるには、今の彼女はあまりに弱々しく見えたからだ。


「……いいなあ」


 それは、何に対して向けられたものだったのか。吐いた白い息が少しずつ消えていくと、夏華はゆっくりとこちらを向いた。


「……ありがとうございます」


「何がだよ」


「気づいてますよ。私、裕介先輩みたいに何でもかんでも鈍感になるつもりはないので。先輩が私が傷つかないように考えてくれてることとか、私を悲しませないように言葉を選んでることとか」


 困ったように笑った夏華は申し訳無さそうに口を開く。


「ですから、もう気にしなくていいんですよ? 私も、少しずつ乗り越えていかないといけないんですから」


「馬鹿言うなよ。そんなすぐ壊れちまいそうな顔しやがって」


「あいた! ま、前髪が崩れます!」


 少し強引に前髪をごしごし撫でてやると、少し大げさに反応して、抗議の目線を向けてきた。じとっとした目で身長差故か少し上目遣い気味になり、その可愛らしさに一瞬どきりとしてしまう。


「……先輩、そんなんだから彼女出来ないんですよ」


「うっせ」


「先輩も早く裕介先輩みたいに彼女を作っちゃえばいいのに」


 まだすねている様子で、少しだけ投げやりに、夏華は言う。


「ばか言え。言っただろ? 俺はお前に彼氏ができないうちには彼女なんて作んねえよ」


「……そうでしたね。先輩の、謎の約束」


 だって、もしそうでもしないと、お前のことを支えてやれるやつがいなくなるだろ。今にも崩れそうなのに。


「謎ってなんだ、謎って」


「だってそうじゃないですか。おかしいですよ。なんで先輩の彼女を作る作らないの話に私が関係するんですか?」


「まあそもそも俺に彼女なんて出来ねえだろ? あんまり意味はない約束だし、気にすんなよ」


「うーん、そうでもないと思うんですけどね……」

 

 夏華は俺をじっと見つめると、「うん」と首を縦に振った。


「先輩は全然モテない男じゃないと思いますよ。鈍感なだけじゃないんですか?」


 また、こいつは勘違いしそうになることばっかり……


「……」


「な、なんでまた前髪……!」


 もう一度、前髪をがしがしと強めに撫でる。心に広がるなんとも言えない小っ恥ずかしい感情をぶつける様に。満足して、ぱっと手を離すと、むう、という表情で不満そうにこちらを見つめてくる。


「なあ、どうなんだ」


「どうなんだ……って、何がです」


「……整理、つきそうなのか?」


 目線を一瞬逸しかけて、やはりじっとその目を見つめた。夏華の表情は、再び暗いものとなる。


「……そう簡単にはいきませんよ。やっぱり私は好きだったんです。でも、いつかは絶対に整理つけなきゃいけないんですよ。だって私は、裕介先輩だけじゃなくて、日奈さんも大好きなんです。それに、裕介先輩と日奈さんは本当にお似合いで、幸せそうで……私なんかが、邪魔をしていい関係じゃないから」


「そう、か……」


 あの二人の背中を押すことになった、俺と夏華。だが、夏華は裕介のことが好きだった。

 それでは、なぜ夏華は裕介と日奈が付き合う様に協力したのか。それは、あの二人が両思いで、それでいてお似合いだと思ったからだ。

 それに、夏華は徹底して祐介に見られていなかった。祐介は、とことん日奈のことだけを見つめていた。

 

 俺と夏華が協力し始めたときには、もう負けていたのだ。戦う前から、勝ちの目を潰されていたのだ。だから、背中を押すことにした。全ては、大好きな先輩たちのために。


 夏華はいわゆる「負けヒロイン」だ。


「まあ、俺がいるから大丈夫だな。何か裕介に言いにくこととかあれば、俺に連絡でもしてくるといい。俺は相変わらず暇だ」


 空気を戻すように、わざとなんでも無いように明るく言う。それも気がついてくれているのだろう、夏華は少し無理に笑った。


「はい。……こういうときに、先輩がいてくれてよかったなって思います。多分、私一人だけだったらもっと苦しかったと思うから」


 夏華は俺の顔から目を離し、ただ前をじっと見据えた。


「……先輩。なんでこんなに好きなのに、私は駄目だったんでしょうね」


「……」


「すいません。変なこと聞いちゃいましたね。寒いから、頭が働いてないんです。意味なんて無いので、気にしないでください」


 そういった顔が、あまりに痛々しくて、俺は夏華越しに、恋の痛みを知った。


「……お前はいい女だよ。きっと他にいいやつが見つかるさ」


「あはは、なんか、月並みな言葉ですね」


「うっせえ。俺にそういうところで期待するなよ」


「知ってますよ。そういうところも先輩のいいところですから」


 ちょうど、夏華の家に着いた。裕介の家の隣の一軒家だ。


「じゃあ、先輩」


「おう、じゃあな」


 お互い、小さく手を振って別れる。これが、俺たちの関係だった。

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負けヒロインな後輩のことが気になって仕方ない すずまち @suzumachi__

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