自分をつき動かす何かについて
バナナ以来、福島もきちんと絵を描き続けていた。意外、とわたしが思っているうちに夏休みを終え、絵は増えていた。
それが文化祭に向けて進められていることにわたしが気がついた頃、絵は三種類九枚になっていた。バナナ以外はCDジャケットではないらしいが、どれも模写だった。花とか缶とか。
「福島、文化祭はそれでいくの?」
べえちゃんが聞く。べえちゃんは床に広げた模造紙を足まで使って押さえて描いていた。わたしがのぞくと「これは構想中の下描き」と言う。
「まだどれ採用するか決まんねーなぁ」
福島は描いた絵にまだ納得がいかないらしく、首をひねっている。
「文化祭って、親も見に来るの?」
「さぁ。どうかね」
わたしの質問に福島は意外に軽く答える。
「別にいいけどね。見に来られても」
そう言って福島は、わたしに「作戦」を聞かせた。つまり、バナナの絵はそのまま見れば有名な絵の模写で、音楽が好きな人から見ればジャケットだとわかるもので、もし親が見に来て、万が一指摘されたとしても「有名な絵だから描いた。音楽は関係ない」と言い逃れができる。ということ。
「真似じゃないよ」福島は言う。
「オマージュってこと」
「模写とは違うの?」
わたしが聞くと、えーと福島は唸る。
「平野んちこそ来ないの?」
今度は福島が聞く。
「だって、わたしは何も展示しないし」
「なんか描いたりすればいいのに。せっかくなんだから」
それは弱小バドミントン部に所属だけしていた中学の福島だったら、まず言わなそうなことだった。
「絵なんて授業以外で描いたことないから絶対下手だもん」
「それ間接的に俺のことも下手って言ってる?」
「違う違う」
急いで否定した。福島の熱意に水を差すつもりなんてない。でも結局、
「わたしには福島とかべえちゃんみたいに、描きたいって思うものがないから」
それに尽きるのだった。
中学の美術、ずっと三だった。可もなく不可もない平均の三。最低限はできているけどそれ以上はなし。
見た通りに描きましょう。そんなふうに教わってきて、絵とは見えたものを再現することだと、再現度の高さが評価だと、それ以外考えたことなく平均点を取ってきた。いや、そうでなければと思い込んでいただけだったのかもしれない。
美術室で見ていた絵画たちの、何に惹きつけられるのだろうと考えていた。
最初、わたしにはどれも奇怪に見えた。どうしてこんな描き方をするんだろう、どうしてこんなものを描いたんだろうと思ってばかりだった。
わざと変に描いているとしか思えなかったりもした。
神話の世界も精神世界も、見過ごすしかないような日常もあった。
ある本には、見えたままを描くことがどれだけ難しく新しいことだったかという話があった。本当は何が見えているのかと問いかけるような絵もあった。
あったのはきっと、描きたい気持ち。それを絵にぶつけている。ぶつけずにはいられなかったパワーのような引力のようななにか。
福島の描く絵を応援したかった。福島は音楽を聴いて、音楽を好きになって、その気持ちをぶつけるのに、自分で歌ったり演奏する代わりに絵を描いている。それも、何を描けばいいかわからなくてCDのジャケットを描いている。
わたしにも好きなものはたくさんある。でも自分がそれを作り出そうなんて考えなかった。作る側になるということは、未完成や不完全な状態を見続けなければいけないということで、それよりも完成された姿を楽しむのが一番幸せだと思っていた。ご飯食べてばかりじゃなくて作れるようにならないと大人になって困るでしょう、なんて話とは違う。ずっと楽しむ側だけにいられる。なんでわざわざそれを、乗り越えようとするんだろう。
ずっと前から遡ってメモを開いた。
香りのする消しゴム。ラメのペン。イニシャル入りのキーホルダー。冬の太陽のにおい。水族館で買ってもらったイルカのスノードーム。夕方と夜の間の空の色。
書きためた、自分の好きなものたち。
シロップ漬けの桃。ざりざりのクリームブリュレ。帰り道でどこかの家の夕ご飯の香りが漂ってきたとき。髪を切ったばかりの揃った毛先の感触。新しいノートの紙の手触り。
こういうものを集めるためにメモがある。
模様替え。衣替え。春休みの最終日(夏休みはだめ)。テラス席。金木犀。歯医者さんのにおい(誰にもわかってもらえないけど清潔な気分になるからわたしは好き)。秋になって最初にニットを着るとき。友だちからなんでもない用事で電話が来るとき。
メモをめくる。
お昼の廊下の窓から見える景色。ポプラの木がさらさら揺れる様子。暇な昼休み。試験終わりの放課後。遠くから聞こえる吹奏楽の練習。夏の雨上がり。アイロンをかけたシャツ。鈴子の声。べえちゃんが何か言って福島が笑うとき。気がついたら美術室で四人になっている時間。
それから、どうしたかったんだろう。
クロード・モネ「睡蓮」。マグリット「光の帝国」。ゴッホ「ローヌ川の星月夜」。ラファエロ「システィーナの聖母」。レッサー・ユリィ「夜のポツダム広場」。フランシス・ディクシー「オフィーリア」。ジョン・エヴァレット・ミレイ「初めての説教」。フェルメール。ターナー。レンブラント。それからフルネーズ。
美術室でのメモ。
わたしの好きなもの。自分を確かめるようにメモをめくった。書いたときの気持ちを思い返す。嘘偽りのない好きなもの。だけど。
わたしの好きは、お気に入り、と言った方が近い。それだって毎日を彩るには充分だけど、やったことのないことをやらせるような、見たことのないものを見ようとさせるような、自分を突き動かすものじゃなかった。
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