わたしの見ている世界

 同じクラスの福島とべえちゃんは、音楽の趣味が結構近いことがわかり、CDを貸し借りするようになった。べえちゃんはお兄さんの影響なのだそうだ。兄妹で趣味が合うのっていいよな、俺んちの家族は全然理解なくて白い目で見られるからさ、家では隠れて聴いてんだよ。あらそうなのじゃあ美術室で聴いてけば、ということになったという。

 よりによってそこに幼馴染の平野が来ることがあるなんて誤算だっただろう。隠し事をこうして隠しきれないタイプ。それが、福島というやつなんです。


 それにしても絵心とは無縁な福島が美術部に入部するのは、ちょっとおかしいと思ってしまった。正直言って芸術センスなんてない。端的に言って、キャラじゃない。

 でも、ここはカモフラージュで美術部をやっている、潜りの娯楽場なのだ。

 美術室は校舎の一階の端にある。窓枠には雑巾や刷毛や絵の具バケツがいつも干してあり、その外にはすぐそこに桜の木が茂っている。道路の車の音と、体育館の運動部の声が、遠くの方から半々くらいに届く。その部屋の中で音楽が鳴っていると、放課後の学校でここだけ時間の流れが違っていた。


 その時間の流れと、秘密を共有するような放課後に惹かれて、結局わたしもここに入部届を提出した。

 部員は他に、三年生が二人、二年生が三人。一年生はわたしたちだけ。というより他にいなかったから我々がここに落ち着いたのだ。みんなわたしたちを当たり前に受け入れ、鳴っている音楽を気にする人もいなかった。美術室には他に美術準備室もあったし、作業する場所に困る人もいなかった。火曜日と水曜日、隔週の金曜日がわたしたちの作業の時間という形に落ち着いた。


 風景の絵を見るのがわたしは好きだったけど、べえちゃんはそれ以外にも物とか人とか、抽象画らしいものとか、いろんなものを描いていた。

 べえちゃんが描くのは、輪郭を書いてその中を塗り絵みたいに塗るようなお絵描きの絵じゃない。最初に画用紙にアクリル絵の具を置いていくときには何が描かれるのか想像できない。それがだんだん形が表れてきたり、急に何を描いていたのか気づく瞬間があったり、近くで見ているとわからないものが遠くからわかったりした。空なら青、木は緑なんて描き方でもなくて何にでも何色も使った。最初は奇抜だと思ったけど、現実の景色には一色だけのものなんてないのかもしれないと、遠目にぼんやり見ているときに思った。

 そうしていくら見られていてもべえちゃんは全然気にならないらしく、真正面や横から覗き込むのも自由だった。勢いよく動く絵筆を目で追うのはいつも気持ち良かった。

 わたしはそうして絵を見学する他は、図録や画集を読んでメモを開き、宿題をしたり、べえちゃんの絵の具のパレットを洗うのを手伝った。福島はCDをかけて音楽雑誌をめくり、べえちゃんに「これ何のバンドの曲?」と聞かれるとちょっとうれしそうにし、そして気まぐれに筆を取ってみたりといろんなことをやっていて、べえちゃんだけが真っ当に美術部員らしい活動をしていた。

 それでも、活動というのは習慣のようなもので、そうして過ごしていると一学期の終わり頃にはその日々はしっくり落ち着いてきているのだった。


 うっかり一番乗りになった美術室で、どこに座ろうか迷いながら入り口近くにカバンを置いた。期末テスト終わりの廊下は息を吹き返したように活気づいていたけど、美術室の静けさは変わっていなかった。

 ほどなくして来たのは福島だった。べえちゃんだけいないのはめずらしい。何しろ真の美術部員は彼女なので当たり前だけれど。福島はわたしを見て「おー」とだけ言うとすっかり慣れた足取りで後方の机にカバンを置く。

 教室の後ろの棚には備品が積まれている。古い新聞紙や発泡スチロール、ペンキの缶、予備のスケッチブック、その一角にラジカセとCDたちも備品の顔で納まっている。周りは積まれた椅子や寄せて置かれたパーテーションや畳んだ段ボールなどがあふれる。棚からわたしも読みかけの図録を引っ張り出す。

 福島はラジカセを出し、机の間に落ちている延長コードにコンセントを刺す。ういん、と頼りない機械音がして電源が入ったのがわかる。さらにちゃちな音を立ててラジカセからCDを乗せるトレイが出てくるのを、ぺろと舌を出すロボットみたいだと思ってしまう。舌に乗せたCDを飲み込み、健気にきゅるきゅると消化して機械は再生を始める。

「これ最近の収穫」

 眺めているわたしをひまそうだと思ったのか福島がわたしにCDを見せた。見せられたところで特に返事も浮かばず「なんかシュールな絵だね」とそのジャケットデザインを見て思ったままを言うと、それがむしろ彼には正解の答えだったらしく、満足げな顔をするのでそれはそれで面倒くさいななどと思う。

「あ、そっちのは見たことある」

 自分からも何か言おうと、福島の手元にあるもう一枚を指してみる。

「これ? 狂気?」

「なに?」

「狂気。っていうアルバムタイトル」

「じゃなくて、写ってる物を理科室で見たことがある」

「ああ、三角プリズムをね」

 会話がかみ合わない。見当違いなことを言ったみたいだけどまあいいか。わたしは本に目を戻す。最初にわたしに音楽を聞かれて気まずいような顔をした福島だけど、今はむしろわたしの興味をひかせたがっているようにも見える。

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