3.紙飛行機と傘

第11話

 補習で行われた確認テストなるものがびっくりするぐらいの低得点だったから、のお腹が底のほうからぐるぐる痛くなった。


 おはな摘みに行こう。そして、ついでにトイレの窓から紙飛行機を飛ばそう。このペケまみれのテスト用紙で紙飛行機でも折って。

 空にでもとばせばいくらか気が晴れるんじゃないかと窓から顔を出せば、なかなかの晴天。いやはや、私ってもしかして晴れ女なのかしら、と少しは気分が上がる。


 どうせとばすのなら、できるだけ遠くにとばしたい。……なんだったら、できるだけ遠くにとばして、こんな点数の紙なんかに二度とお目に掛かりたくない。

 私はスマホで「紙飛行機 ギネス記録」と調べて、スタイリッシュなセミみたいなフォルムに三十六点のペケ用紙を折って、窓からとばした。


 景気づけというか、紙飛行機に私の「何か」を託す意味で、 願いは込めた。

「あたまよくなりたい」。


 物理の成績は、通信簿に記載されているとおり「3」。

 期末テストでも平均点を少し下回るくらいの出来で、ほとんどが課題提出と授業態度によるポイントで生きながらえたといっても過言じゃない。

 他の教科はそこまで悪いわけじゃない。実際、理系科目以外は、友人から「めっちゃ良いじゃん!」と賞賛されるレベルに期末の出来は上々だったし。


 というわけで、神様。


「どうか、私の頭を良くしてくださいっ!」


 そう半ば冗談めかした声色で、紙飛行機をトイレの窓からとばす。

 なむなむと両手を合わせて、にこやかに紙飛行機を空へ送り出す。


 おお、すげぇ。めちゃくちゃとべる折り方を調べて作ったとはいえ、それは夏風に乗ってふわふわと空に向かって上昇していく。


 とべとべぇー、とちょっと調子に乗って、紙飛行機を応援してやる。

「あたまよくなりたい」という私の願いは空に運ばれ、きっと雲の上で暮らしている天使なんかが拾い上げてくれて、「なになにどれどれ」と叶えてくれるに違いない。


 うむ、私の将来は実に明るい。

 がははは。頭の良くない私にだって、きっと苦手教科を克服できる日が来るのだ。





× × ×


 翌日——夏休み茅森かやもりが「これ、校舎の敷地内で拾ったんだけど……」と変なを渡してきた。側溝にでも落ちたのものなのか、ところどころに汚れが。


「なにそれ」と私が首を傾げれば、茅森かやもりが「芹沢せりざわがとばしたものでしょ。ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と強引に紙くずを押しつけてくる。へにょへにょになった紙くずをよく観察してみると、それは、昨日トイレの窓からとばした紙飛行機だった。


 昨日私が紙飛行機に託した「あたまよくなりたい」という願いは、側溝の泥に汚れ、よく目を凝らしてみないとうまく読み取れない。

 どうやら私の願いは、雲の上の世界にいる天使に「そんなもん自分でどうにかしろ」と袖にされたようだった。地味に悲しい。


 私が無惨になった紙飛行機をしょんぼり見つめていると、茅森かやもりがため息をつく。


芹沢せりざわ。紙飛行機うんぬんより、その点数やばくない?」


 それはまさに、私のペケまみれののテスト用紙のことである。ぐさっ。

 私の声がちょっと震えだす。


「や、やばいのはやばいんだけどさ。というか、期末の物理爆死したから補習受けようと思って……、それで受けてみたら、自分の弱点が明確に露呈したっていうか」


 紙飛行機を解体して、テスト用紙にざっと目を通してみる。

 ……うん、基礎問題からボロボロだね。一問一答形式のエリアでもゴリゴリ点数が削られている。応用問題なんてものは、もう見るも無惨な部分点の嵐。


 テスト用紙を眺めていると、茅森かやもりが隣に並んできた。さらり、と下りた彼女の髪が優しくテスト用紙を撫でる。じっと回答スペースを眺めると。

 ……重い重いため息。


「……芹沢せりざわ。これはすごく、言いづらいことなんだけどさ」

「……言いづらいこと?」

「あんた、このままだと二学期の中間、絶対赤点取るよ」


 ……ま、マジですか。


「マジよ」


 私が目で訊ねると、真面目な顔をしてそんな残酷な未来を予言する茅森かやもり。未来予知の絶対神——茅森ラプラスの悪魔が爆誕した瞬間だった。悲しき未来に、私はもう涙目である。


 思わず茅森かやもりに縋りつく。


悪魔ラプラスさん、わたくしめは、どうしたらその未来を回避することができますでしょう?」

「うん、勉強するしかないよね」


 悪魔ラプラスさんの回答は、それはなんともう単純明快だった。

 そりゃそうだよね。うん、実は私だってわかってて聞いたとこあるある。


 でもさ。


「勉強してこの点数なんだよね……。私やっぱり、理系科目は向いてないのかな」

「勉強して……? 三十六点……?」


 私のまさかの告白に、もう声が出ないといった感じでショックを受ける茅森かやもり

 おい失礼だぞ。

 じろりと睨んでいるうちにも繰り返すように「ありえない……」と呟かれ、そこらへんで私の豆腐メンタルはぐしゃぐしゃになって潰れた。……ぐすん。


「はぁ……。勉強してその点数なら、それはもう勉強方法が悪いとしか言えない」

「……勉強方法って、それってもう根本的な話じゃないですか」

「そうよ。ここまで悪いなら、根本的に勉強方法から見直すとこから」


 あう……。


「例題とか基礎問題以前の問題ね。まずは用語を暗記するところから」


 あうあう……。


芹沢せりざわの回答傾向から察するに、公式の意味もろくに理解していないくせに問題文に出てきた数字をそのまま脳死で代入しようとする浅はかな癖があるし」


 あうあうあう……。


 ぐさぐさぐさ、と茅森かやもりの厳しい指摘が刺さる。

 痛い痛い痛い。私は胸元を押える。ふらりと足元が揺らぐ。


 とびかけた意識と靄がかった視界で、茅森かやもりが少し頬を赤らめてもごもごと唇を噛んでいるのが見えたけど、今はそれどころじゃない。

 もやもやとした脳内で、まるで私を嘲笑うかのようにびゅんびゅん飛び交う物理定数。気体定数Rに、万有引力定数G……。


 そこで判明した残念なことだけど、私のすっからかんな脳みそにはそれ程度の物理定数しか入っていなかった。……ますます私の物理知識の無さが露呈していく。

 いや、どんだけ勉強できてないの私、とツッコんだところで救いはない。あったのは、「これから勉強すればもっと伸びるね!」的な軽薄な伸びしろのみである。


 あぁ、私の将来、未来は暗い……。紙飛行機に託したはずなのに……。


 ずぅぅぅん……と落ち込んでいると、私を救ってくれたのは、神様でも天使でも逆説的に姿を現した伸びしろでもなく、目の前に立っていた悪魔ラプラスさんだった。


 茅森ラプラスさんは、どういうわけか言いづらそうなことを口にするかのように、ちらちらと私のことをうかがい見ると。


「……わたしでよければ、勉強みてあげるけど」

「……え?」

「わたし、期末テストで物理満点だったし。人に教えるのは……あんまりやったことないけど、これも良い機会だなって思うし……」


 もじもじ、と指差遊びをしながら文句を連ねる茅森かやもり


「いや、でも。私ばか過ぎて茅森かやもりに迷惑かけちゃうかもだし……」

「わたしが教える側で、芹沢せりざわが教わる側。迷惑なんて今更でしょ」

「でもでも……。今って夏休み中だし。茅森かやもりの自由時間奪うのはちょっと……」


 好きな人に、そんな私本位な問題を抱えさせるわけにはいかない。


 全科目で優秀な成績を得られる茅森かやもりが「勉強方法から見直すレベル」だと言うのだ。矯正とか指導って程度の話じゃない。

 私は明日から、補習のあとに担当教師を捕まえてちょっとずつ個人的な指導を求めようと内心決め込んでいた。


 だけど茅森かやもりの先程からの言葉から察するに、私の意思よりもさらに強固な熱意で「わたしに指導させて」と言っているような気がしてならなかった。


 私が「こんな面倒なことを茅森かやもりに……」的なことを言えば。

「むしろそれぐらいの面倒くささが可愛いのよ」とかよくわからないことを言い。


 私が「人に教えるのって、難しいらしいし……」みたいなことを言えば。

「難しさも面倒くささもどんとこいよ」とか妙に自信満々な態度で言い。


 そこまで言ってくれるのなら、と私はそこでようやく頷ける。

 茅森かやもりは「それじゃあ、さっそくこのテストの復習からいこうか」とやっぱり妙に生き生きとして言って、私の前方の席に座るのだった。


 その前向きな態度は、茅森かやもりの心のどの部分から湧いてくるのか。

 私には、悪魔ラプラスさんの行動原理がなかなか読み取れないのだった。

 





× × ×


 それにしても、と茅森かやもりが私の教科書にマーカーをひきながら言う。ひかれた色は、赤。私も茅森かやもりも一年生だから、同じ赤色リボンを胸元に付けている。


芹沢せりざわに、紙飛行機をとばして遊ぶなんていう、いなたい趣味があるとはねぇ」

「誰が田舎者か。風流と言いなさい」


「いなたい」だなんて言葉が会話のなかで出てくる茅森かやもりって、ちょっと変だ。

 茅森かやもりは「そうね。風流といえば風流ね」と苦笑いした。私はそれにシャーペンを振り回しながら少しおじさんっぽく「風流の心を忘れちゃいけないよ」と説教した。


「春には桜を見て、秋には紅葉を狩る。四季を慈しむ心は大切なのである」

「四季を慈しむなら、夏と冬にも、平等にものを提示しなさいよ」


 茅森かやもりの冷静なツッコミに、私はちょっと考えてみる。

 春ははな見、秋は紅葉狩り。とすれば、夏と冬は……。


「夏には蛍狩り、冬には雪見がある」

「雪見って、それ……。だいふくじゃない……」


 茅森かやもりがなんか、しらーっとした目でこっちを見てくる。やめてぇ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る