第9話
サイダー缶の冷たさにやられた
あれ、と思って、わたしの手にある缶と、
「それ、奢り」と。
「なんか
おつかれーって感じの。
奢りというか、労いというか。
そんなゆるゆるした理由で、わたしに与えられたサイダー缶。「飲みなよ」と微笑む
持って帰ろうと思った。
夏休みの思い出として、冷蔵庫のなかに閉じ込めて、ぬるくなってしまわないように、ずっとずっとひやして。冷蔵庫のとびらを開けるたびに、その缶を見つけて、
「飲まないの?」
「……うん。えっと、今のど乾いてないし」
「奢った身としては、今ここで気持ちよく飲み干してくれたほうがいいんだけど」
「ちゃんと飲むから。家に帰ってから、よぉく冷やして」
わたしは安心感に目を閉じた。このときのわたしの顔は、苺みたいに真っ赤だったと思う。それを隠してくれたのは、空色のカーテンから差した太陽の光。
缶を抱きながら、そこでふとカーテンが大きく波打っていることに気づいた。窓から入り込んだ風、という外力を受けて、ふわふわと浮き沈みをみせる。
その隙間から見えた青空。雲ひとつない青空の高い位置に、青春模様に燃えた太陽がゆっくりのぼっていく。夏の太陽は高い。
貰って嬉しかった、サイダー缶。けど、その嬉しさには、実は、大きな大きな忖度が働いている。その忖度を、恋と呼ぶ。
ようは、好きな人に、
誰かになにかを奢ってもらうのは、日常のなかにありふれた些細な出来事だけど、そんな些細な出来事を
増していくわたしのなかでの
それらは、わたしにとってあまりに大きなもので、心の底から貰って嬉しかったもので。
だから自然と「
ねぇ、今度さ。わたしにも奢らせてよ。駅前とかてきとうにふらついてさ。
そんな風に、わたしがお返しを申し出ようとした、そのときだった。
わたしと
それは、
「ごめん。そろそろ補習始まっちゃうから、行くね」
時間切れ。
彼女には、行かなくてはいけない場所があるようだった。
……だけど、
「……あのさ。その、私、明日も補習受ける予定なんだけどさ。えっと、
わたしは驚いてすぐに言葉が出なかった。
彼女の言葉にはつまり、わたしが学校に来る確証がとれれば、
「うん。来る。明日も、来る」
わたしは焦って若干噛みつつ、はにかんでそう答えた。
* * *
翌日。委員会開始時刻になっても、
休みの連絡もなく。結局、いつものひとりぼっちの委員会活動に元通りだった。
気まぐれに、昨日とは仕事に着手する順番を変えてみる。今日は、中庭の花壇に水やりをするところから。
中庭から見上げた四角い空には、厚い雲がいっぱい浮かんでいる。遠くのほうでゴロゴロと鳴っているくらいだから、おひるあたりでひと雨くるんじゃないかしら。
ジョウロで水を注ぎながら、
昨日
また、昨日までのわたしは
「
だけど今は違う。
昨日までのわたしは確かに、水やりをすることに「枯らしたくない」という後ろ向きな理由を与えていたけど、今のわたしは違う。
仕事を終わらせて教室に帰れば、
今日からのわたしは、
正直にいえば今のわたしには、「この大変な仕事をこなせば
わたしは、仕事の「見返り」として「この後
その二つを並べてよく観察してみると、それらは全く同じことをしているいえた。
これは正しい言葉だ。
昨日までの自分と今日からの自分は、やっぱり明確に違っている。わたしはもう、「枯らしたくない」の一心で水やりをできる人間じゃなくなっていた。
水やりをしに学校へ行けば、
そこでようやく
好きな人がいればそれぐらいの画策をしても、まぁしょうがないよねぇと。
だから今日からのわたしは、ひとりぼっちで仕事をしていても苦を感じないのである。むん。強いぞ、今日からのわたしは。
ジョウロを傾けながら花壇を眺めていると、ふと思いついたことがあった。
「このはなが綺麗に咲いたら一本摘んで、
……だけど、呟いてみてからやっぱりやめた。
中庭で育てられているリーガルリリー。
高貴さを彷彿させるような純白の花弁を持つ、夏の花。だけどその実、高すぎる気温には弱く、水を欲するくせに多湿な土壌には向かない、脆弱でお世話が面倒な花。
そんな、わたしがこつこつ水やりをして育てたはなを突然プレゼントをされても、
そんな考えがよぎったから、わたしは自分からはなを摘みに行くのではなく、
それに。
リーガルリリーは、香りが強く。
はなつ花粉が刺激的過ぎるから。
* * * * *
「こんにちは、
背後から小鳥がさえずるような綺麗な声でわたしの名前が呼ばれた。
聞き覚えのある声だなぁと振り返ると、わたしの傍らに、真っ白なリボンをつけた制服姿の女の子が立っていた。女の子は花壇をうっとりとした目で眺めていた。
「
「綺麗ですね、このはな。なんてお名前なんですか?」
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