第8話
カーテンの空色に染まっていたわたしたちは、しばし見つめ合った。ぽけーっと見とれているわたしはようやくハッとして、言い訳がましい言葉を並べてしまう。
「……あぁ、えっと。委員会の仕事で、ちょっと色々」
「そうなんだ。夏休み一日目なのに大変だね」
教室後方の棚に寄って、花瓶に手を掛ける。ちらり、と教室前方にある時計に目をやると、もう少しで時針が「十」を差すところだった。
夏休み一日目の、午前十時。委員会にも部活にも所属していなかったはずの
動作の一部始終を見ていた
「私、補習受けるんだ。物理の成績あんまり良くなかったし、
「……そう、なんだ。いや、ちょっとびっくりしてたの。なんで
「緑化委員会だっけ。水やり? 大変だね、手伝おうか?」
「い、いいよ別に。慣れてないと疲れるだけだし、これから補習なんでしょ」
言ってから、少しの後悔。仕事を一人でこなすのは結構大変だし、
けど、言わなくてよかったぁ、と高速てのひら返し。
彼女は夏休みだというのに、わざわざ勉強しに学校へ来ているのだ。その邪魔をする権利を、わたしは持っているはずがなかった。
わたしの些細な心の揺らぎで、彼女を翻弄してはいけない。わたしのわがままで、彼女を困らせてはいけない。
……
だけど、わたしの考えをひょいっ、と軽い調子で掬い上げるかのように、
ほとんど反射的に「いいよ」と答えそうになるわたしだ。はなを枯らすわけにはいかない。自分を制御するためにも、目の前の花瓶を力を込めて掴む。
「ちょっとだけ待って」と言ってから、わたしは廊下を駆け出す。花瓶は割れ物だから、もっと慎重に、優しい手つきで扱わなくてはいけないのに。
* * *
仕事をすべて終わらせ
彼女は自分自身の交友関係内でしか会話をしないし、クラスメイトとのコミュニケーションも少ないから、端的にいえば周囲からビビられている。怖い系ギャルじゃないかと。
「緑化委員って夏休みも仕事あるの?」と
「
わたしが机の上の物理の教科書を眺めていると、
彼女は頻繁にスキンシップを求めるぐらい甘えたがりのくせに、ときたま今みたいに冷たい視線で人を見る。緑化委員会の沽券など、全く気にしてないって感じで。
「周囲からの重圧」と言い換えられる正しくない期待に気疲れしていたわたしは、過剰な賞賛から発生する水圧に押し潰されそうになっているわたしは、
わたしと
密会は二週間に二、三回あるかないか程度で、実のところ、交わしている言葉数を裏打ちできるほど逢瀬を重ねているわけじゃない。わたしと
今回で、七回目の密会。
わたしは、しっかり数えている。ちょっと重いかなって自負してるところもあるけど、やっぱり好きな人との逢瀬の回数は自然と数えてしまう。
あのときはこんな話をしたなぁ、と一人寂しい孤独な夜に
この前はあんな話をしたよね、と花壇に水をやりながら、はなに話しかけることもあった。はなに頻繁に喋りかけると、よく育つらしい。
わたしは密会感覚で勝手に盛り上がってしまっているんだけど、
……好きであってもらいたいな。そんな考えがすぐに出てしまう私は、恋に盲目になった恋愛体質な女の子だ。
完全に油断していたわたしは、すっとんきょうな声をあげてしまう。
「——ほえっ!?」
「もう。
しっしっしっ、といたずらっぽい笑みを浮かべた
ぞくぞくと遅れて鳥肌が立っていく。間抜けな声を出したのを思い出して、じくじくと羞恥心が育っていく。
やったなこのやろう、と、ぷにっと頬をつついて反撃すれば、「私は女郎だ」となぜか誇らしげに胸を張る
むぅ、と睨んでやれば「あら怖いこと」と冗談めかしてせせら笑う。会話のペースも握られマウンティングにも失敗したわたしは、ただただ
抵抗できるのは、口先ばかりの言葉だ。わたしは言った。
「
「
「
「
「
「
「
それから、続けるべき言葉を見失う。さっきまでの意地が、そこらへんでふっと冷める。わたしの「怒りエネルギー」的ななにかがしょんぼり心の奥まったところへ帰宅してしまったがゆえに、わたしはひとりぼっちでただ呆けるほかなかった。
言葉を探す。
「
今度は口に出して言葉を探してみる。
「
頭のなかの連想に頼ってみる。
わたしはす——
「
そう必死で言葉を探していると。
恥ずかしげもなく、気障ったらしさもなく、自分でもびっくりしてしまうぐらい、ほとんど無意識的に自然に。
「好き」と。
そんな言葉がわたしの心から
「
正しくない言葉は続かない。
だけど、正しい言葉だからといって、それを口にできるかどうかは別問題だ。
わたしは、
それは確かに正しいことだけど、それを口にしてしまえば、これまで二人で交わしてきた言葉とか、育んできた関係とか、そういうものが全部壊れてしまうのではないかと思ってしまった。
だからわたしは口を噤ぐ。「
好き。
その言葉を相手に伝えて、世の中の恋人同士たちは愛を育んでいるという。
今のわたしにはできそうもなかった。意地がなくて、
わたしはなんとか現状をごまかす言葉を探して、
「ばか」
とだけ言って、ぷいっと
よかった、教室のカーテンが空色で。太陽がそこに差して青色のスポットライトになり、舞台上のわたしの真っ赤な顔を隠すことができたから。
窓からは先程まで太陽を覆っていた雲たちはどこへやら、今となってはどこまで真っ青な空を覗くことができた。
「ばか」と言われて目を白黒させている
好きって簡単に言えないから恋なんだろうなぁ、と頭の片隅みに育っていた考えをどこか遠くに、地球の外とか宇宙とかに放ってしまって、今度はわたしが冷たいサイダー缶を
それは呆けている彼女の手から奪ったもの。
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