2.ヱンジェルと紙飛行機

第6話

 は、芹沢せりざわのことが好きだ。一目惚れだ。芹沢せりざわと同じクラスになった四月の初め、窓際の席に座る彼女の横顔に、わたしは見事に打ち抜かれた。


 芹沢せりざわはギャル系っていうかっていうか、そういう雰囲気をしている。腰まで伸びた黒髪のロングは完全なる校則違反で、スカートがちょっとドキドキしてしまうほどに短い。身長や体格はわたしとほとんど変わらない。成績はわりと良いらしい。学内の男の子には密かに人気で、「垢抜けている」とか「無気力ギャル」とか、そういう清濁混沌とした評価を受けている。穏やかな笑みによって八重歯がちろりと覗くとき、わたしはいつも胸の高鳴りを止められない。


 その胸の鼓動を意識するたびに、わたしは「あぁ、わたしはちゃんと恋をしてるんだな」と再確認させられる。


 わたしは自分に好きな人がいることを、友人や家族に吹聴してしまう人間ではない。自分一人で、大切に大切に温めておきたいタイプだ。

 好きな人がいることで人にからかわれるのが得意じゃないし、自分の恋愛的な部分はできれば校内では隠しておきたい。わたしは、そういう性格をしている。


 、わたしは芹沢せりざわの頭に触れた感触がなかなか忘れられず、手にしていた文庫本に向かって「うわーうわー」と叫びたくなっていた。


 また、わたしは芹沢せりざわに寄り添うための行動として、自分がしたことは、正解といえるものではなかったのではないかと後悔していた。


 芹沢せりざわがぽつりと吐いた過去のトラウマ。

 芹沢せりざわは言い終わったあと、本当になんでもないって感じで笑ってごまかしてたけど、わたしはそんな彼女を本当の意味で励ましたり、根本的な救いになれるだけの言葉をかけてあげることができなかった。


 自分の、好きな人のことなのに。

 そういう意味では、わたしは芹沢せりざわに申し訳ないことをしたと思っている。


 次だ。

 次、芹沢せりざわに困った事が起きたら、わたしは身を粉にしてでも彼女のことを助けたいと思う。力になりたいと思う。味方になりたいと思う。

 これは神様に誓って。天使に誓って。うん、頑張れ未来のわたし。


 新しくできた信条を胸に、息を吐けば、自然と視線は夕日が差す窓のほうへ。芹沢せりざわが、何やら軽い足取りで曇天の下、敷地外へ駆けていくのが見えた。

 そろそろわたしも帰るか、と席を立つ。窓を閉めて施錠して、空色のカーテンが教室の一面をきっちりと覆うように閉めた。「優等生」が染みついた手つきに、辟易。


 委員会室の鍵を片手に、わたしは職員室へ向かった。緑化委員会は、グラウンドに隣接している部室棟のとある一室を拠点として色々と活動している。


 花壇の整備と水やりや、生物部と合同で学校菜園の運営をしたり、地域の小、中学生を引っ張って河川敷のゴミ拾いをしたり。


 夏休みだって、委員会活動で結構な時間が潰れる。

 花壇のおはなが枯れないように水やりをしなくてはいけないからそのたびに登校しないといけないし、ゴミ拾いボランティアなんてお盆を過ぎたあたりで三日間連続で慣行される。


 どうしてこんな委員会を選んでしまったのだろうと、ときどき後悔することだってある。……わたしはもっと、気楽に学校生活を送りたいはずなのに。


 ……なんて、考え事をしながら廊下を歩いていたものだから、危うく人とぶつかりそうになるのだ。


「あっ……」

「あっと、ごめんなさい。ちょっと、考え事してて」


 ぶつかりかけた相手に自身の不注意を謝ろうとしたそのとき、ふとわたしは、目の前で立ち尽くしている制服姿の女の子に目を奪われた。


 その子は私より頭一つ分小さくて、制服から伸びた手も足も驚くほど白かった。目鼻立ちがお人形さんみたいに精緻で美しく、地毛なのか染めているのか、綺麗なブロンドの髪をハーフアップに結っていた。


 見ず知らずの女の子の美貌にひかれて、思わず見つめるとすぐに違和感を抱く。

 彼女は、胸元にリボンをつけていなかった。


 この学校の制服において、リボンとは生徒の学年を象徴するもの。

 三年であれば、緑。二年であれば、青。一年であれば、赤。だけど、彼女はその象徴を持ってはおらず、リボンのない制服はどうにも妙な存在感を放っていた。


 女の子はじっとわたしを見つめたあと、「あの……」と今にも泣き出しそうな声を呟いてから、わたしに訴えかける。


「……すみません。ぼく、今日学校に入るの初めてなもので。玄関までの道のりを教えてくれませんか?」

「生徒玄関までの道がわからない? えっと、もしかして、あなたって転校生?」


 女の子は曖昧に頷く。その曖昧さは、首を傾げたのか、縦に振ったのかわからないぐらいだった。


 女の子は、声を震わせて言う。


「実は先程も、親切な人にここまでの道のりを教えてもらったのです。ぼく、忘れっぽいから記憶したはずの道順もすぐ頭から抜けちゃって……。どうか、ぼくを玄関まで連れて行ってくれませんか?」


 断れば、大粒の涙でより訴えかけられそうな雰囲気だった。

 なるほど、転校生ね。だから、校内地図もほとんど把握できていない、と。


 ならば、親切にするほかない。転校した新しい環境で、そこの在校生に冷たく扱われもされようものなら、彼女は次の登校日まで不安を抱えることになるだろう。


 わたしは自然と「優等生モード」を起動する。柔らかな笑みと声色をつくって、女の子の手を握り「泣かないで。一緒に生徒玄関まで行ってあげるから」と言った。

 女の子は「本当ですか?」とわたしの瞳の奥を覗き込んでくる。彼女の青い瞳は驚くほど澄み切っていて、鏡のように、わたし自身の情念がうつり込みそうだった。


 委員会室の鍵を返却し、再度女の子と手を繋いで、生徒玄関を目指す。


 ぽてぽて二人で歩きながら、わたしは女の子に暇つぶしがてら話しかける。


「転校生なんだよね。名前はなんていうの?」

「アマツカといいます。『エンジェル』と漢字で書いて、天使あまつかといいます」


 アマツカ……あまつか……あぁ、なるほど、天使あまつかね。

 脳内変換で漢字をイメージして、可愛い苗字じゃん、と彼女に微笑みかける。


「わたしはね、茅森かやもりっていうの。茅森朱理かやもりしゅり。よろしくね」

「こちらこそよろしくお願いします、茅森かやもりさん」


 天使あまつかちゃんがにっこり笑顔を返してくる。本当に美しい顔だ。私の庇護欲に似た感情が触発されてしまい、自然と天使あまつかちゃんの頭に手が伸びる。


「あっ……」


 天使あまつかちゃんはちょっと驚いたような顔をして、


「それ。さっきぼくに道案内してくれた人もやってきたんですよ」


 嬉しそうに微笑んだ。か、可愛いすぎるんだけど、この子……。


「……天使あまつかちゃんに道案内した子って、どんな人だったの?」

「えっと、なんか見た目がちょっとギャルっぽくて、なんだか遊び慣れてそうでさばさばしてて、たくさんの男の子を使役してそうな、そんな雰囲気でした」


 見た目がギャルで、遊び慣れてそうで、さばさばしてて。

 それでいて、たくさんの男の子を使役……って、なにそれ、女王様か何か?


「それとそれと、道案内してもらってる間はなんだか無気力にぽけーっと自分の世界に没入してて、その横顔は結構凜々しくて綺麗でした」


 無気力にぽけーっとする癖があって、横顔が凜々しい女子生徒。


 天使あまつかの情報からその雰囲気に近しい女子生徒を探してみたけど、そんな属性マシマシな女の子など、この学校には存在しない。


 うむうむ唸りながら歩いていれば、すぐに生徒玄関に着いてしまう。天使あまつかちゃんは先程の涙はどこへいったのか、またにっこりと笑ってぺこりと頭を下げた。


「本当にありがとうございました。この恩は絶対に返させてもらいますので」

「いやいや、たかが道案内くらいで、恩だなんて」

「そうもいかないです。何かぼくに叶えてほしいお願いとかがあったら、何なりと言ってください。裸で逆立ちして校内一周でも、しますよ」


 そんな面白い願い事なんかしないよ。


 わたしは天使あまつかちゃんの冗談に笑った。スマホを見れば、門限が近づいてきていてそろそろ本格的に帰らなくてはならない。


 天使あまつかちゃんに「それじゃあ、またね」と、手を振って駆け出す。「ばいばいです」と振り返す彼女の美顔は、夕日に照らされていっそう綺麗だった。


 校門を抜けて交差点に立つ。そこで、そういえば天使あまつかちゃんって何年生なの? と訊ねなかったことに気づく。そもそもあの子は、リボン自体つけていなかった。

 でも天使あまつかちゃんは恩返しどうのこうのって口をついて喋っていたし、たぶん転校生だろうから、呑気に構えてもいてもきっとまた会えるだろう。同校の生徒と顔を合わせる機会なんていくらでもある。


 見上げた空は、曇り空。割れた雲間から一筋の光がおりてきていて、それはちょうど校舎の屋上付近に当たっていた。

 天使あまつかちゃんに「お願い」と言われて、ほとんど無意識的に脳裏を掠めたのは「好きな人と恋人になりたい」という願望だった。


 だけど、好きな人のことを周囲に吹聴するのはわたしの性分に反するし、第一、いち生徒に「お願い」としてそんな妙ちきりんなことを頼むのはおかしい。

 それに、他人に「自分と好きな人の間を取り持て」だなんて、そんな面倒な仕事を頼めるのは、恋に盲目になった恋愛体質な人間の願い事だろう。わたしはしない。


 いつか、安いアイスでも奢ってもらおうか。天使あまつかちゃんに。

 そんな本気でもないことを考えながら、わたしは気楽そうに空にふよふよ浮かんでいる厚い雲を眺めた。夕方からは雨かしら。





* * *


 翌日。わたしは夏休み一日目だというのに、ぴっしりと制服を着て、朝八時には学校に登校していた。なんのためにって、委員会活動である花壇の水やりするためだ。

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