第4話
顔が青みがかっているのは私もだ。窓を覆うカーテンが空色だから、そこに弱々しい夕日が差して、教室全体がまるでプールの底から周囲を見渡したときみたいに薄い青色になってしまうのだ。私も
「……あぁ、そう。スマホ、忘れちゃって」
「そうなんだ。おっちょこちょいだね」
自席まで早足で向かって、机の中からスマホを取り出す。と、手を突っ込んだ際に、柔らかくて薄い紙状のなにかに触れた。
取り出してみるとそれは、通信簿だった。こんなものを学校に忘れてしまうほど、私はずぼらな人間だっただろうか。私はそれとスマホを鞄にしまった。
動作の一部始終を見ていた
「
「そうみたい。あんまり良く書かれてなかったから、無意識のうちにショック受けて、通信簿なんかどうでもいいやみたいな気分でぞんざいに扱ってたのかも」
酷いねぇ、先生がせっかく書いてくれたのに、と
その笑顔が、いつもクラスで見る
「あれ、まだ学校内なのに『優等生モード』解除しちゃってていいの?」
「いいの。もうほとんどの生徒は帰宅するか部活に出るかしてるし、それに」
「それに?」
「
そう言って、
「ねぇ、今ヒマ? ちょっと喋ってこうよ」と
彼女は私と違ってスカートを折って穿いたりしないので、ポケットがある。スマホで時間を確認して「まだ門限まで時間があるの」と言って、そこへしまった。
ほとんど反射的に「いいよ」と答える私は、友人を駅前で待たせているという現状から、もう少し罪悪感を持つべきなのかもしれない。
× × ×
物腰柔らかで、男女に分け隔てなく接することもできるから、その人徳に思慕を寄せる生徒が結構な数いるような気がする。私もその一人だ。
「ねぇ、通信簿見せ合いっこしようよ」と
「
私が紙面を眺めながら何気なくそう言うと、
私は、
『模範生としてクラスを引っ張ってくれているような存在です。多数の生徒とも交流があるようで、それは彼女本来のリーダーシップの表れといえると思います。
授業態度や提出物の面もしっかりとしていますし、このままの姿勢で二学期以降も頑張ってほしいです』
それを聞いた
彼女が学内で常に発動している「優等生モード」を解除していいのは、学外や校舎の人気のないところか、私のそば。それが
一ヶ月くらい続いているといっても、私と
私の近くには
みんなでつくった世界観というか社交場というか、とにかくそういう「みんなの居場所」みたいなものを壊す権利は、私にも
だから私たちは、放課後たまたま顔を合わせたときとか、昼休み偶然図書室で居合わせたときとか、日常の些細な隙間みたいな時間に人知れずひっそりと会っていた。
私はお忍びデート感覚で勝手に盛り上がってしまっているんだけど、
……悪く思っていてほしくはないな。そんな考えがすぐに出てしまう私は、ばかみたいに恋する女の子だ。できるだけ会話が続くように言葉を選ぶ。
「小学校の頃の通信簿には、先生からなんて書かれてた?」
「えーっと、でも、ほとんど『勉強ができる』とか『みんなのお手本』とかそんな感じの言葉選びだったなぁ」
「ふうん、今とほとんど変わらないじゃん」
優等生だからねぇ、と
「でも、通信簿でふつう気にするところって、成績欄でしょ。どうして『担任から』が気になるの?」
「んー……。小学時代からのクセっていうか、トラウマっていうか……」
「トラウマ?」
「うん。親が、むかしは通信簿を隅々まで見る人だったから、よく『担任から』に書かれたことで説教されることがあって……」
小学時代を振り返ってみれば、不思議と鮮明に、当時の通信簿の「担任から」の欄に書かれていたことが思い出せた。
一、二年生の頃は、「活発で元気な子で、明るい性格ゆえにクラスでは人気者です」みたいなこと。
三、四年生の頃は、「落ち着かないところがあってクラスの男子とたびたび衝突することがありますが、強い意志がある子です」みたいなこと。
五、六年生の頃は、「積極的ではありますが、それが空回りすることが多い印象を受けます」みたいなこと。
私が通っていた小学校は二年ごとに担任が替わる。当時は奔放な性格をしていたから、大人の目には気に食わない存在として映っていたのではないだろうか。
授業中におしゃべりするわ、廊下は走るわ、クラスメイトとは喧嘩するわで、先生にも友達にも家族にも迷惑をかける。なまじ成績がいいことを自覚していて、それを鼻にかけている節もあったから、教師陣からの心証はあんまり良くなかった。
そんな性格をしていたものだから、当然通信簿にもそういう風に書かれてしまう。
自業自得ではあったけど、そのたびに親からお説教を受けたものだから、私のなかでは「担任から」から連想して、苦労した思い出が消えてくれない。
私がなんとなく他人の「担任から」が妙に気になってしまうのは、たぶんそういう過去があるからなんだと思う。特に、好きな人のものともなればそれは。
中学以降は、親は成績面をやけに気にするようになったため、小言を言われることがめっきり減った。
年をとるごとに、成績欄に目がいきがちになっていくのがふつうなのに対して、私はいまだに「担任から」の欄にびくびくしている節がある。
私の、小さくて些細な恐怖症にも満たない妙な観念。けどまぁ、この程度のものは人間誰しも持っている。コンプレックスとか、精神的な古傷とか。
つまんない話になっちゃったね、と私はごまかす。ちょっと無理して笑えば
その代わり、といえば代わりなんだろうけど。
ぽむっ、と。私の頭に。
「え……?」
「い、いやなんか
「……あんしんする」
「え?
「——……えっ、あっ、いや。な、なんでもない、ですよっ?」
ぽけーっとしているうちに洩れたとろけた言葉が、危うく
なんだよ、なんでもないですよって。
危ねぇ、と一人で安堵の息をつく。
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