第2話

 窓の外の、曇り空。むかし、なにかの児童小説で「天使は雲間から降りてくる」みたいな文を読んだことがあるのをふと思い出した。

「どうして雲間から?」と訊ねる主人公の女の子に、天使は言うのだ。「天使は雲の上の国で暮らしているの。だから、晴れの日は人の子の世界には降りてこれないの」


 ……えぇっと、それで、その小説のタイトルって何だっけ。


 うむうむ唸っていると、いきなり後方から肩を叩かれて、喉元まで出かかっていた小説のタイトルを呑み込んでしまった。……あうう、私の少女時代の思い出がぁ。


 そんな私の些細な落ち込みなんて気にせず、住吉すみよしは明るい声で言う。


澪理みおり。あたし今日部活休みだからさ、一学期お疲れ様ってことでカラオケ行こ?」

「カラオケ? またぁ?」


 私たちが暮らしている金武かなぶ市は、はっきりいって田舎だ。駅前はそこそこ栄えているけど、そこから数キロ離れてしまえば平気で一面田園風景になる。


 田舎は、都会に比べて娯楽というものが少ない。

 私たち高校生の遊び方といえば、駅前で色々な店を巡るか、自転車に乗ってちょっと離れたところにある大型ショッピングセンターに行くか、電車に片道三十分揺られて街に出るかの三パターンに確定してしまう。


 住吉の言うカラオケは、駅前にある。きっとそこには今頃、夏休み前日の開放的なテンションで浮ついた学生たちがうじゃうじゃしているのだろう。


 夏休み前日の解放感には正直共感できるし、自転車に乗って遠いショッピングセンターに行くのなら午前から計画したほうが色々と遊びやすい。

 今から電車に揺られに行くのも勘弁だし、だから、住吉すみよしは無難に駅前で遊ぼうって言ってきたんだろうけどさ。


 だけどさぁ、もっと根本的な問題。


「カラオケは行ったばかりじゃん。また行くの?」


 いくら田舎に遊ぶ場所がなくとも「飽き」という問題がある。

 けれど、どうやらその手の問題は住吉すみよしには関係がないようだった。


「えー、いいじゃん。行こうよぉ」


 甘えたような声を出す。お決まりの、首元にその柔らかい腕を絡みつかせながら。


 えぇい、鬱陶しい。抵抗はしないものの、私は住吉すみよしに、胡乱げな目と尖らせた唇でもって「行きたくないですオーラ」をどうにか伝えようとする。伝われぇ。

 だけど、その必要もなくなった。真夏日に絡み合う私と住吉すみよしのもとへ、一人の女子生徒が近づいてきたのである。


「いいじゃん、カラオケ。小読こよみも行きたいな」

小読こよみ! 行こう行こう! 小読こよみ澪理みおりとあたしの三人で!」


 声をかけてきたのは、水城小読みずきこよみ。日中は大抵、私と住吉すみよし小読こよみの三人で過ごすのが常で、体育や授業で班をつくるときはいつも三人で固まっていた。

 住吉すみよし水城みずきは中学からの仲だ。お互いに名前で呼び合っているし、距離感が近くても嫌そうにしない。物言いに遠慮がないし、スキンシップも一般に比べて多い。


 私は高校入学時になんとなく二人の間に挟まった。席順が近かったのと、選択科目が同じだったという、ほとんど偶然で生まれたような仲だけど。


 今日は木曜日。水城みずきは図書委員会に入っていたから、木曜の放課後を一緒に過ごすことができなかったはず。

 それなのに今日はどうして? 首を傾げると、水城みずきが私の顔色から色々察したようで、妙に弾んだ声で言った。


「夏休み前日ってことで、今日は特別に図書室が開かないの。委員会活動なし」


 なるほどね。


「今日だけはフリーの木曜日。小読こよみ澪理みおりともカラオケ行きたいなぁ」


 ……なるほどねぇ。


 水城みずきがせがむようにかわいらしい声を出す。小読こよみは一年生ながら塾に通っていたりするので、土曜日曜であっても簡単に連絡がつかない。

 ようは、水城みずきと学外で遊べる機会というのは稀少なのだ。水城みずき側の要望もあって、私は「じゃあ、行こうか」と言うほかなかった。


「やった。澪理みおりと遊べるの久々。小読こよみ、色々とたぎっちゃうなぁ」


 私が首を縦に振れば、にっこり笑顔の水城みずき


「え……? 澪理みおり、あたしが誘っても全然乗り気じゃなかったのに……?」


 私が首を縦に振れば、引きつった顔の住吉すみよし


 そういうコントみたいなノリが何気ない日常に差し込まれるのは、どうも得意じゃない。だけどそれを「軽薄だ」と言えるほど、私は烏滸がましい人間でもない。

 人付き合いに「面倒」という言葉を当てはめられるほど私は孤独に慣れていないし、けどまたに二人の内輪ノリに胃もたれしそうになるときがある。


 人付き合いで発生する波の正と負の起伏にさらわれている私が、実は、気楽に砂浜に流れ着けるような浮力を求めているのも、正直な話。





× × ×


 住吉すみよしがカラオケに電話をかけると、現在満室らしく、次に部屋が空くのは午後四時頃になるとのことだった。「住吉すみよし」で予約を入れた。


 駅前は浮かれた学生たちで溢れ返っていた。予約まで時間を潰そうにも、ゲームセンターにも本屋にも色んな高校の学生服がちらついて窮屈な思いをした。

 私と住吉すみよし水城みずきはそんな賑やかな界隈から少し離れて、落ち着いた雰囲気のこじゃれたカフェに入った。


「よくこんなお店知ってるね」と住吉すみよし水城みずきも驚いたような顔をした。私は二人と違って部活にも委員会にも入っていないから、自由な放課後を過ごすことができる。その時間を使って、ふらふらと街中をほっつき歩いてカフェ巡りするのが私の趣味だった。住吉すみよし水城みずきが隣り合うようにして席についたので、私はその対面に落ち着く。


 テーブルについてそれぞれ注文を済ませる。店員が席から離れたのを見計らって、水城みずきが「いたね」とニヤニヤ顔で話し出す。


 話題は、駅前でちらっと見かけた同じクラスの男の子のこと。


小森こもりくん。駅前のハンバーガーショップに、いたね」

「もう。いいじゃん別にぃ。学校とか店とか、小森こもりくん見かけるたびにあたしのことからかうのやめてよぉ……」

「そんなわけにはいかんよ。恋する親友は、存分にイジらんともったいない」


 恥ずかしそうに俯く住吉すみよしと、意地悪な笑みを浮かべた水城みずき。ぷにぷにとつつかれる住吉すみよしのほっぺたが赤い。私は、仲睦まじい二人をぽけーっと見つめる。


愛梨あいりは、やっぱりああいう感じの男の子が好きなの? 確か、中学の頃に好きになった男子も小森こもりくんと似た雰囲気だったよね」

「ちょっとやめてよ、昔の男の子引っ張ってきて、あたしの好きなタイプ分析するの。プライバシー、プライバシー」


 住吉すみよしは拗ねたように唇を尖らせる。けれど顔つきこそ嫌そうにしていながらも、語気や声色から、どこかこの会話を楽しんでいるように感じるのはどうしてだろう。


 店員が注文したものを運んできてくれた。これからカラオケでお金を使うことになるので、一番安いホットココアである。

 ふぅーっと液面に息を吹きかけると、もわもわっと湯気が立ちのぼって、私と、住吉すみよし水城みずきの間に半透明なカーテンができあがる。


 住吉すみよし水城みずきは恋愛トークをどんどん白熱させる。

 恋人ができたらこういうシチュエーションに憧れるとか、運動部と文化部ならどっち? 的な話とかが、ぽんぽん私の頭の上を飛び交う。その手の話題についていけない私は、両手でカップを持って窓の外をぼんやり眺めていた。


 厚い雲が学校のほうにどんどん流れていくなぁ、夕方からは雨かしら、とかそんなことを呑気に考えていたとき、水城みずきが、


澪理みおりは、どんな子がタイプなの?」


 がふっ。

 こっちに話題が振られるとは思っていなかったので、ココアを吹き出しかける。


「あつっ!」


 動揺で手元がぐらついて、手の甲に熱々のココアが一滴はねた。ぺろりと舌で舐めてから、ハンカチを取り出して拭う。

 そんな私の間抜けな一部始終を見ていた住吉すみよしが獲物を定めたようにニヤつくと、水城みずきの耳元に寄って囁いた。


澪理みおりって、恋バナとか苦手なんだよ。意外でしょ? なんか見た目からしてたくさんの男の子とか使役してそうだけど、純粋な乙女なんだよ」

「使役ってなによ、使役って」


 言い方というか、言葉選びが酷い。私は女王様なんかじゃないぞ。

 不満げに息を吐けば、今度は水城みずきが乗っかってくる。


「へぇ、意外。小読こよみ澪理みおりって、それなりに遊んでるっていうか、さばさばしてるっていうか、そういうイメージ持ってたから」

「あんたら、人を見た目で判断しすぎ」


 判断するでしょ、そりゃあ、と住吉すみよしが口を挟んでくる。まだ一年の七月だし、人に近づくためには外見だって人相をはかるための重要材料。


 えぇい、塩顔イケメンフェチの面食いは黙っとれい。あ、でも、面食いだから人を見た目で判断しても仕方ないかぁ……って、違うか。

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