百合ときどきクモリ。

安達可依

1.職員室とヱンジェル

第1話 

 私は、茅森かやもりのことが好きだ。一目惚れだ。茅森かやもりと同じクラスになった四月の初め、廊下側の席に座る彼女の横顔に、私は見事に打ち抜かれた。

 

 茅森かやもりは綺麗系というか美人系というか、そういう顔立ちをしている。肩にかかる程度の黒髪のセミロングは校則を遵守していて、制服に一切の着崩しがない。身長や体格は私とほとんど変わらない。手足が長くスタイルが良い。学内の男女に人気で、「しっかり者」とか「優等生」とか、そういう正統な評価を受けている。厚い二重の眼が穏やかな笑みで細まるとき、私はいつも胸の奥底がきゅっと締め付けられる。


 その甘い締め付けを意識するたびに、私は「あぁ、私はちゃんと恋をしてるんだな」と再確認させられる。


 私は自分に好きな人がいることを、友人や家族に吹聴してしまう人間ではない。自分一人で、大切に大切に温めておきたいタイプだ。

 文化祭終わりの寂しい空気や修学旅行の夜のいかにもな空気に触発されて、ぽろっと想い人の名前を口にしてしまうほど外向きな性格でもない。


 けれど、私と日常を共にする友人——住吉愛梨すみよしあいりは違うみたいだった。


「あぁぁ、今日で一学期が終わっちゃう……。小森こもりくんの顔が毎日見れてたのに、夏休みのせいでご尊顔を拝めなくなるぅ……」


 私のちょうど後ろの席の住吉すみよしは、七月の暑苦しい教室内というのにべたべたとまとわりついてきた。肩から回された彼女の手が私の胸元でクロスしている。

 べたつかないでよ、と住吉すみよしの手をはずそうとするが、運動部でそれなりに鍛えているそいつは「やだやだ」と言って抵抗する。帰宅部の私は力の差で完敗であった。


 一学期最後のHR。その時間には通信簿が渡され、学生たちは入学後三ヶ月間の頑張りなり怠惰ぶりなりを確認させられる。


 終業式はすでに終わり、あとはこのHRさえ済ませてしまえば、晴れて夏休み。渡された通信簿を見て一喜一憂するクラスメイトたちを、教室後方の席から眺める。

住吉すみよしさん」と呼ばれて、そいつは私に絡みつくのをやめて先生のところへ歩いて行った。ぽてぽてと教卓へ向かう住吉すみよしの背を、私は見つめる。


 住吉すみよしが通信簿を受け取る。

 通信簿を開いて中を確認する。

 そのまま膝から崩れ落ちるようにして、撃沈する。


 ……まぁ、なんとなく予想していたことだった。

 住吉すみよしはあんまり成績が良くない。文系科目理系科目まんべんなく苦手だし、長時間集中して机に向かうのも得意じゃないと本人も言っていた。


 けど、住吉すみよしの良いところは、テストが近づいてくれば、苦手なりにもなんとか成績を残そうと必死になれるところだ。

 素直に人に分からないところを聞ける気さくさや、もはや休憩時間の合間に勉強しているのではないかというペースで教科書を開くのだが「一切のノー勉でテストに向かえばテストを作った先生が可哀想だ」と心からの言葉を言える真摯さも持ち合わせている。住吉すみよしのそういうところは、周囲に敵をつくらない要因のように思えた。


 平たくいえば、いい女の子なのだ、住吉すみよしは。


 今だって、その成績の悪さを取り巻きの男女に見せつけて「二学期は心を入れ替えて勉強するから!」と声高々に宣言して笑いを取っている。

 そこに先生も加わり「まずは課題提出の期限を守るところからだな」とツッコまれて、更なる大笑いが巻き起こった。


 ……その、大笑いの一角に、彼女——茅森かやもりの姿が見えた。

 口元に手を当てて、お淑やかに笑っている。彼女といつも行動を共にする女子生徒が「見て見て」と教室前方の住吉すみよしを指差していた。彼女は、それに同調するように笑顔をつくっていたのだ。

 

 茅森かやもりは、すでに通信簿を受け取っていた。渡す先生の顔が驚きと賞賛で笑みをつくっていたので、彼女の成績欄にはハイスコアが並んでいるのだろうと予想できた。


 でも、私が気になっていたのは成績欄なんかじゃなくて、もっと別のところ。


 通信簿というのは「生徒の成績を記載したもの」というイメージが強いけれど、目を凝らして見ると案外色んなことがずらずらと書かれている。


 私が気になっていたのは——


「——芹沢せりざわさん。芹沢澪理せりざわみおりさん」


 名前を呼ばれていることなんか忘れてぽけーっとしていると、席に戻ってきた住吉すみよしに肩を叩かれる。

 

「ほら、澪理みおり。呼ばれてるよ」

「……おわっ」

「もう。澪理みおりって、たまにぼーっとして自分の世界に入っちゃうよね」


 住吉すみよしのからかうような笑い声を背に受けて、教室前方まで歩いて行く。先生から通信簿を受け取り、そのまま自席まで戻ってくる。

 席に着くと同時に通信簿を開いて中を確認すれば、後方からやはりそいつの声。


「うわぁ、澪理みおり成績めっちゃいいじゃん。ほとんど5と4」

「……そんなことないよ。ほら、物理と数学のとこ」

「どれどれ……って、3じゃん。別に悪くなくない?」

「うーん……」


 私の成績が悪くないのは、実のところ、住吉すみよしの影響だったりする。

 住吉すみよしが塩顔イケメンの小森こもりくん(女の子からの人気がめちゃめちゃ高かったりする)のことを好きになってからというもの、彼女はことあるごとに「自分磨き」を強調するのだ。

 

 ダイエットするのも「自分磨き」。

 化粧品一つ選ぶのも「自分磨き」。

 自分に似合う髪型を選ぶのも「自分磨き」らしくて、けれど日頃からコツコツ勉強して学問的精進に励むのはどうも後回しになってしまうらしい。なんじゃそりゃ。


「好きな人に好かれたい。好かれるためには自分磨きが必要なのよ!」


 三ヶ月ほど前に小森こもりくんへの執心を自覚した住吉すみよしが、帰り道、赤々と青春模様に燃える夕日に向かって叫んでいた。前を歩く高校生カップルが不審者を見るような目でこちらを振り返ってきたのが懐かしい。


 住吉すみよしはそれなりに変なやつだけど、その意気込みには共感できた。


 素敵な人に好かれるために、まずは自分を素敵にしよう。

 そうすれば「素敵」という共通点で、惹かれ合えるかもしれない。素敵な相手のために、自分も素敵でありたい。


 そんなひょんな動機といえば動機で、私はとりあえず勉学に励んでみたのである。


 恋する女の子はどんどん可愛くなるっていうけど、それはたぶん女の子たちが恋愛することで得た「恋エネルギー」的な何かで、容姿にも仕草にも言葉遣いにも磨きがかかってくる現象のことを指しているんだと思う。


 そういう意味でいえば、住吉すみよしは相当な「恋エネルギー」保持者といえた。


 住吉すみよしは、四月から七月の三ヶ月計画で、三キロのダイエットに成功している。

 住吉すみよしは、小森こもりくんに名前で呼び合うような仲にまで関係を育んでいる。

 住吉すみよしは、小森こもりくんと二人きりで八月の夏祭りに行くことを約束している。


 その結果、彼女は期末テストで恐るべく低得点の嵐に見舞われ、夏休み期間の補習授業が一日四コマペースで確定している。

 恋と勉学の天秤の傾き具合が、明らかに偏っている。……けどまぁ、結局のところ、住吉すみよしは普段の学校での暮らしを心底楽しんでいるように思えた。


「日曜日に小森こもりくんと水族館に行ってきたんだけど、そのときに小森こもりくんがね」

「やばいやばい! 次の英語の授業、小森こもりくんとペアになれるかも!」

「ねぇねぇねぇ、来週の遠足、小森こもりくんに同じ班ならないかって誘われちゃった」


 小森こもりくんのことを話す自分の顔を、鏡でも使って住吉すみよし本人に見せてやりたい。

 それはもう、可愛いのだ。女の子の魅力がそこに凝縮されたような、100%の笑顔。可愛さも美しさも綺麗さも全部混ぜ込まれたようなキラキラした笑顔。


 私は今こうして他人から賞賛されるぐらいの通信簿を手にしているけど、住吉すみよしのほうはどうだろう?

 住吉すみよしのテスト用紙は確かにペケまみれだったけど、ペケまみれにせざるを得なかった結果が、今こうして、小森こもりくんとの仲を育む要因として作用しているのではないか?


「自分磨き」で成功を収めたのは、私なのか住吉すみよしなのか。

 その答えは明らかで、私は、やっぱり住吉すみよしには色々と敵わないんだなと納得するほかなかった。


「夏休みさ、あたしにも勉強教えてよー」と、そいつはまた腕を絡ませてくる。今度は抵抗すらしなかった。どうせ抵抗しても勝てないのだ。


 私の通信簿の「担任から」の欄には、


「真面目で、日頃から成績を伸ばすことを意識しているようで、提出された課題や試験の解答にもその姿勢が現れているように思えます。

 ですが、クラスメイトとの付き合い方にやや消極的な傾向にあるようです。二学期からは、もう少し人と接することに注力してみるのも大切なことでしょう」


 と書かれていた。





× × ×


 今日の日程は正午を少し過ぎたあたりですべて終了した。私は、部活や委員会に意気揚々と出かけていく後ろ姿を眺めつつ、だらだらと荷物を鞄にしまっていた。

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