鯛粥

 風が巻き上がり、波は高かった。

 船を寄せると接触しそうで寄せられない。

 だがこう酷くては、襲われることはない。

 カールーンの犬は怯えて船室で吠え続けていた。

 世界が揺れるなど初めての体験だろう。

 もう二度と乗りたがらないかもしれない。

 カールーンはハグリスの船で海に出ていた。

 戦が始まると海賊が暴れ出す恐れがあり、公社の船を護衛しているのだ。

 海が荒れる前にすでに一度襲われていた。

 ブレアスも乗船していた。

 「何故こちらに? 軍に加わるのも良かったんじゃないか?」

 舵を握るブレアスに尋ねた。

 カールーンは隣で舵角を見てやっていた。

 操船を覚えたいらしい。

「色々考えた末のことだ。俺の戦場はあれではない気がする」

 カールーンは分かったような気がした。

 ブレアスが従軍しないかネイルスに誘われた時、断ったのを聞いて驚いた。

 行くものだと思っていたし、同じく乗船しているルディスもそれは同じだったろう。

 何故か問われると、自分は一度国を捨てた身だからだと答えていたが、本心ではないだろう。

 ファリスを捕らえた時の彼の目は、怒りより悲しみが溢れていた。

 その後ブレアスはルディスと何やら話し込んでいた。

 なぜ行かないのかと、ルディスが詰め寄っていたのだろう。

 ここに彼もいるということは、理解を得られたのかもしれない。

 ルディスはブレアスを支える道を選び、港湾組合を離脱したのである。

「それに同じ気持ちでは戦えん。所詮は外様だからな」

「そうか。見つかると良いな。命を張れるものが」

 ブレアスはハッとしてカールーンを見た。

 舵がずれたのを見てカールーンが修正した。

 カールーンは笑っていた。

 嫌いじゃない笑顔だった。

 船を出すとアルバートが言った時、戦の最中に交易など、と軍人達は言っていたが、戦だからこそ必要なのだ。

 継戦能力に関わるのである。

 戦争で最も重要なのは後方支援である。

 物資が不足しては戦いを継続できないからだ。

 定期便の本数を減らして護衛を付け、キルシュとカルバドスの順に荷を下ろし、カルバドスで木材や鉄、油などを買い、キルシュに寄港して穀物を買って帰るのだ。

 3週間ほどの船旅だが、天候によっては一月を超える。

 カールーンはエルマから有用な兵器を受け取っていた。

 火薬と連弩であった。

 連弩は扱いが簡単で、操作法を教えて何度か使わせると、誰もが使うことができるため、弓の訓練期間を考えると画期的な武器だった。

 火薬はエリシアムの文学院と工芸院が共同で作ったものだ。

 山間部で雨が多く、硝石が得難いのをある方法で克服して作ったのだ。

 火薬を仕込んだ紙が導火線に使われていて、湿気は厳禁ということだったが、ここは残念ながら海だ。

 海賊船はキルシュを出て暫くすると後方に現れた。

 恐らく出航を見張っていたのだろう。

 船を寄せて乗り移るつもりのようだ。

 カールーンは船を寄せさせて、試しに煙玉を放り込んでみた。

 海賊船の甲板は煙で覆われ、混乱に陥っていた。

 なにが起きているか分からないようで、ただ煙から出ようと駆け回った。

 砂糖が燃えているだけだが、十分効果があった。

 その後炸裂弾を放り込んでやると、甲板が爆ぜた。

 爆発の衝撃で海賊が飛ばされて、ある者は海に落ちた。

 出端を挫かれ、彼らはもう戦える状態ではなかった。

 カールーンは混乱に乗じて、あっさり船を制圧してしまった。

 何とも手応えのない戦いだった。

 数を頼もうとも、連携できなければ一人を相手にするだけだった。

 船室を調べてみると、見慣れた封蝋の付いた手紙があった。

 カレアンの海運ギルドである。

 驚いたことにこの船はキルシュで登記された海運業者の船だった。

 つまり、カレアンの海運ギルドに所属する海運業者は他国で会社を隠れ蓑に海賊稼業をやっているという見本のような船である。

 証拠を回収して、彼らには必要のない金目のものを回収して、船倉に幾つか炸裂弾を放り込むと、船に戻った。

 浸水すれば船は傾いて、あっという間に海に飲まれる。

「何だ?、さっきのは」

 ブレアスは初めて見る火薬について尋ねた。

「エリシアムで作られた火薬というものだ」

「すごい爆発だな。船に穴が空いていた」

「うむ。少人数で戦うにはこういうものも必要になる。お陰で実に簡単に制圧できた」

 カールーンは木箱を濡らさないように船室に持っていった。

 戦争中ということもあり、輸送船の数を減らしたが、その分いつもの倍以上を積んだ。

 喫水が下がり、船足も遅い。

 天候の悪化は危険なのだ。

 最短距離では行かずに、悪天候から逃れるように迂回して進んだ。

 最短で二日のところを三日かけて航行し、キルシュで荷を下ろすと、その足でカルバドスへ向かう。

 ブレアスには初めての街だ。

 キルシュからは新たに護衛が増えた。

 ヘルガが船を出したのだ。

 物資の不足を補うために穀物を満載していた。

 これを売って北方の交易品を買って市場に流すのだ。

 戦の開始前後から、船の海難事故が増えていた。

 天候のせいもあるが、多くは海賊である。

 彼らの動きが活発化していたのだ。

 待てど暮らせど自社の船は帰ってこないし、荷も下ろしていないせいか荷主から矢の催促が来るのだが、何が起こっているかわからない。

 保険で賄おうとしても、証拠がないの一点張りで、積荷の損害や船の損害が賄えず、倒産する。

 そんな業者は枚挙にいとまがなかった。

 それでヘルガは動き出したのである。

 殊更酒場で穀物を運ぶと吹聴して周り、海賊を釣り上げるのだ。

 ヘルガの船を餌にして海賊を呼び込むと、外洋に出て間も無く二隻の船が現れた。

 どちらも身軽なのか船脚は早く、ヘルガの船はたちまち追いつかれて挟まれた。

 そこにカールーンはさらに外側から挟んで、最初に煙幕を張る。

 そうなるともう何も見えないので、連弩を集中砲火すると、面白いように無力化できた。

 反対側の船は、仲間があっという間に殲滅されて、腰が引けて攻めて来なくなった。

 その間に回り込んで、同じようにしてやるが、今度は最初から炸裂弾を放り込んでやると、彼らはもう何もできなかった。

 彼らは別の海域で襲った船の積荷を別の港で書類を偽造して下ろして金に変えていた。

 その書類がきれいに残っていたから、それと金も合わせて取り上げてしまう。

 被害者にのちに分配してやるのだ。

 船は後腐れがないように、きっちり沈めた。

 乗組員は魚の餌で、船は魚礁となる。

 海の害虫駆除のようなものだ。

 だが船長だけは捕らえた。

 いつものように手足を縛って樽に放り込んでしまった。

 関節が硬くなって伸びにくくなるから、捕縛には丁度良い。

 その後も何隻か襲ってきたが、その度に返り討ちにしたので、ハグリスの船は喫水が下がって危険なところまで来た。

 麻の袋が八十袋以上並んでいる。

 全部金なのだ。

 これ以上来られては困るため、カルバドスで吹聴するのは控えた。

 ヘルマインは畜産が盛んで、塩漬けの肉や魚などが多く輸出された。

 自国の穀物生産量では畜産業が維持できず、飼料を輸入に頼らざるを得ないため、ヘルガの持ち込んだ穀物は歓迎された。

 しかし彼らも高値で買っては採算が合わないため、互いに譲歩して、肉や亜麻の種、木材などを割り引く代わりに穀物も割引いて売却した。

 キルシュの貿易公社も胡椒を下ろして自社の支店倉庫に放り込むと、目当てのものを購入してカルバドスを出た。

 他の船からすると、限界まで荷を積んでいるのが一目でわかる。

 海賊には格好の獲物だろう。

 キルシュに向かう最中、ハグリスの船が襲われた。

「蝿のような連中だな。どこにでもいる」

ブレアスが呆れた顔で言った。

「全くだ。もう金は詰めそうにない」

 カールーンは襲ってきた海賊船の舵のあたりに集中して煙幕を張って、炸裂弾を放り投げた。

 航行不能にしてやるのが一番効率が良いからだ。

 稀にマストに直撃して、帆が倒れてしまうことがあったが十分な戦果だ。

 キルシュに着くと、公社の船は港に寄港したが、カールーンとヘルガは崖下の秘密の港に船を入れた。

「久しぶりだ。事はうまく運んだみたいだな」

 ヘルガはブレアスの肩を叩いた。

「あぁ、ダナンや兄の協力もあったからな。なんとか形にはなった」

「カレアンの女狐が裏切ったって?」

 面白そうな話には耳が早いようだ。

「あぁ、この男がエドムを引き渡した」

 そう言ってカールーンを紹介した。

「初めまして、カールーン・ビエナと言います。貴方のお父上にはお会いしたことがあります。私はまだ十二の歳でしたけどね」

「ギムリス殿と一緒だったのか?」

 カールーンは頷いた。

「はははは。女狐はあんたが敵方だと知らずに任せているのか? 海賊狩りなどして大丈夫か? あやつに漏れたら帰ってこられんぞ?」

 ヘルガは歯を見せて笑っていた。

 この女は淑やかさはまるで無く、粗野なのだが妙に惹きつけられた。

 話していると実に楽しい。

 まるで旧友と再会したような気分にさせる。

 ブレアスはそんなことを思いながら、二人が話すのを聞いていた。

「ところで、お前従軍しなかったのだな」

「あぁ」

 ブレアスは素気なく答えた。

「何か気になることでもあったか?」

「そう言うわけではない。ただ気乗りしなかっただけだ」

 ヘルガはブレアスの目をじっと見た。

「戦う相手を探してるのか?」

「そう言うわけでもない。ただ、フェリスの反応を見たら、妙に白けただけだ」

 ヘルガはブレアスの肩を叩いて言った。

「一杯飲んでいけ。カルバドスから仕入れたものがある。中々上ものだぞ。カールーンも来ると良い」

 そう言って二人の背中に手を回し、連れて行ってしまった。


 王都を奪還しに行くと決めた日、バジルに誘われた。

 余程思い詰めた顔をしていたのだろうかと思わず苦笑した。

 招かれたのはアルサード酒造の応接間だった。

 もう誰もおらず、バジルは帰りに酒の肴を買った。

 大きな黒鯛だった。

 血抜きされていて、鮮度も良かった。

 バジルは応接間の囲炉裏に火を起こして、鉄の鍋に火を起こした。

 買ってきた鯛を手際よく捌くと、頭とアラを鍋に放り込んだ。

 切り身は生のまま切り、醤油で食べろと言って差し出した。

 ほのかな甘みが良い。

 酒は米の醸造酒だ。

 何とも爽やかですっきりとした香りが鼻を抜けていった。

 魚によく合う。

「何を思い詰めとる?」

 バジルは鍋で煮ている汁の味を確かめながら言った。

「分からんのだ」

「何がだ?」

「俺には敵がいない。戦う理由がない」

 なるほどと、バジルは思った。

「力を注ぐものが見つからんのか?」

 ブレアスは頷いた。

「国を出て以来、戦に出るのが虚しくなった。虚しさを埋めるために時折大会などにも出てみたが、あれは見せ物であって戦いではない」

 バジルはアラを取り出して、頭から頬肉などを削いで、鍋に放り込み、残った切身を適度にほぐして、鍋に入れた。

「お前は戦う理由を探していると思っておるだろうが、それは思い違いかもしれんぞ?」

 ブレアスはどう言うことかと言いたげな顔でバジルを見た。

 バジルは醤油を少しと塩を摘んで鍋に入れ、米を生のまま放り込んで蓋をした。

「お前は居場所を探しとるんだ」

「居場所?」

「そう。人間は一人で生きていてはいかん。いかんし、生きてはゆけん」

 鍋がパタパタと動くので、バジルは蓋の上に重しをのせた。

「世帯を持てと言っているわけではないぞ。そりゃ持つのは良いことだと思うがな。志を同じくするものに出会えたら、それは素晴らしいことだ。何かしたい事はないのか?」

 ブレアスは小さな杯に注がれた酒を飲みながら、思いを巡らせた。

「よくわからない。今はまだ人の思惑に流されていて、それに抗えないでいる。だがどう進むべきかも分からん」

 バジルは蓋を開けて米の様子を見た。

 匙で掬って幾つか口に入れると、再び蓋を閉じた。

「役割や目的を人から与えられるのはそれほど難しい事ではない。組織に属してそこで力を振るえば良い。それはそれで大変な事なのだが。だがお前は幸か不幸かそこから出たわけだ。自分の意思ではなかったかもしれんがな」

 バジルも杯に口をつけた。

「おぉ、よくできとる。あいつも良いものを作るようになったな」

 息子のことだろう。

「何じゃったかな?……、おぉそうだそうだ。お前は組織から出て自分で探さねばならなくなった。孤独に負けて道を外れなかったのは立派なことだ。だがお前の心はもっと違うことを求めとる。それは、お前の中に探しても見つからんのだよ」

「俺が決めることではないか」

 バジルは鍋の蓋を開けて同じように米の様子を見ると、良いだろうと言って、香草を適度に手でちぎって鍋に入れると、椀に盛った。

 鯛の粥だ。

 匙と一緒にブレアスに渡した。

 口をつけてみると、何とも美味い。

 鯛と米の甘みが広がった。

 醤油の香りがわずかに香り、さらに香草が甘さを引き締めた。

「鯛はそれだけでも十分美味い。だが少し足してやるとこんなに美味い。不思議だなぁ。お前はこの鯛みたいなもんだよ。一人で生きられんこともない。だがより大きなことがしたければ、一人では成せん。お前の祖父も歩んだ道だ。あいつは組合を作った。放り出したがな」

 バジルは酒で喉を潤すと、続けた。

「だが何かを作ると言うのは大変な事だ。自分の思いだけでは成せん」

「どうしろと言うんだ」

「簡単だ。もっと人と関わって、話せ。お前が経験したこともないことを他人は経験しておる。それを聞いて、見て、世界を広げてみろ。きっとその力を奮いたくなる場所があるはずだぞ」

 ブレアスは粥を食べ、酒を飲んだ。

 俺は鯛か?

 などと思いながら、粥を啜った。

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