呆然自失

 三の月の中頃、ティベル河北岸にロンバルドの軍約4万が集結し、渡河を始めたと報告があった。

 王は前線のケニス・ホード将軍に迎撃命令を与えた。

 総勢一万の兵で布陣前に叩くよう指示したのだ。

 彼は渋々出ていったが、対応が遅く、既に半数近くが渡河し、陣を整えているのを見て、これを攻撃せず、敵が河を渡るのを黙って見ていた。

 その報告をダエグは前線に向かう途中に受けた。

 すぐに将軍を呼びつけた。

「何故攻撃しなかったのだ?」

「既に半分が渡河を終えていたため、無駄な損耗を控えました。しかしながらこのような砦があったとは聞いておりませんでした。ここで戦えば良い。何故攻撃命令を出したのですか?」

 ケニスは語気を強めて言った。

「まず、物見の報告では、お前が軍を動かしたのは伝令係が到着して一時間経った後だった。何をしていた?」

「戦の準備を……」

「敵軍の出現からそれまでに何故しておかない? 何故攻撃命令を出したかだと? 渡河の最中に攻撃すれば有利に戦えるからに決まっておろうが」

 ダエグは言葉を遮って言った。

 怒りを抑えながら言う口調が、冷酷さを感じさせた。

「お前に見せたいものがある」

 そう言ってダエグは書類を見せた。

 ケニスからファリスへ宛てた手紙である。

「対応を遅らせて劣勢に陥らせるとあるが、どう言うことか? お前からファリスに宛てた手紙だな?」

 ケニスは王を見たが返す言葉もなく、呆然としていた。

 何故これが王の手にあるのだ?

 ファリス様は…、まさか……。

「貴様の罪は重い」

「陛下……、挽回の機会を……」

「やらん。貴様のような無能に軍を任せるつもりはない。捕えよ」

 ダエグは一万の兵を砦の前まで一度下げた。

 ネイルスは一万の兵を見に行った。

 将軍の子飼の将校を集めると、任を解いてケニス同様捕縛した。

 軍警に調査させるためだ。

 調査は同時に行われる。

 口裏を合わせられないようにするためだ。

 そしてそこに自分の部下を配置した。

 各部隊長を集め、状況を説明してやると、動揺があったが、それはすぐに怒りに変わった。

 危うく敗走させられる所だったのである。

 将軍と配下の将兵の捕縛を伝えると、新たな将校を着任させた。

 将軍への怒りを敵に向けさせるように誘導はできた。

 ネイルスは砦内の櫓へ上がった。

 敵はおよそ四万。

 装備を見た限り、五千人程は傭兵で、中央前列に置いていた。

 彼ら傭兵はまず前金を受け取り、残りは戦後に払われる。

 勝った場合は報奨金も出るのだ。

 しかし死亡した場合は当然支払われない。

 彼らはギルドから、敵は訓練もしていない雑兵ばかりで、勝てる戦だと聞かされて集められた。

 傭兵部隊の中にロウ・ティボーはいた。

 彼も傭兵で、いつか道草でブレアスとタレイアを冷やかした男だ。

 ギルドの窓口で好条件で声を掛けられてやってきたのだ。

 集合地では馴染みの男達がいた。

 なんだお前も来たのか、と互いに声を掛け合った。

 ブレアスの姿はなかった。

 ロウは今横陣の中程におり、ゆっくりと前進していた。

 渡河の最中に現れた敵は、絶好の機会にも関わらず一切手を出してこなかった。

 敵が馬鹿で幸運だった、と皆口々に言った。

 窓口の男が練度が低いと言っていたのは間違いなさそうで助かったと胸を撫で下ろしていた。

 暫くすると、前の方がざわつき始め、不穏な空気が流れた。

 前の兵が邪魔で、先が見えない。

「おい何かあったのか?」

 周りの者に聞いてみた。

「なんか前に土塁があるらしい」

 土塁だって?

 奇妙に思った。

 そんな情報は貰っていなかった。

 馬上の将兵も何やら不穏な顔をしていた。

 もう暫く進むとようやく全貌が見えた。

 先程の一万の軍の後ろに、土塁ではなく砦ができていた。

「おい、こんなの聞いてないぞ、梯子なんて持ってきてたか?」

「いや見てないぜ。どうやって上がるんだ」

「貴様ら静まれ、出撃前だ」

 馬上の将校が言った。

「おいあれどう攻めるんだよ」

 そんなことを言っていると、第一軍に攻撃命令が下った。

 先頭の者から走っていった。

 妙だった、敵は動いてこないのだ。

 動かさないなら何故前に出ているのか?

 そう訝しく思っていると、前の男が減速して、後ろの男がぶつかってきた。

「何やってるんだ、後ろつかえてるぞ! さっさと行けよ腰抜けが!」

 と言い放った時、地鳴りと共に左の方から声がした。

「降りるな! 水だ!」

 水が大勢の兵をさらった。

 塹壕と思われた溝は堀で、不用意に降りた者達が水で流されたのだ。

 堀は二間(4m)ほどの幅があり、東西に伸びていた。

 水量が多い上に流れも早く、入るのは無謀だった。

 更にこの時期なら、雪解け水で体温を奪われ、動けなくなるだろう。

 その時敵陣から大量の矢が放たれた。

 盾を翳し体を守った。

 既に何人もやられていた。

 ロウは近くに倒れている死体を背負った。

「てめぇ……、何しやがっ……」

 まだ息があったようだが、今は間違いなく死体だった。

 ロウは死体を担いで後退命令を待った。

 しかし号令はかからなかった。

「指揮官は何やってる⁉︎ この状況が見えてないのか⁉︎」

 他の生存者も死体を担いで矢を凌いでいた。

 隣にいた男が運悪く脚を矢で貫かれ、横倒しに転がると、矢が次々と突き立って、絶命した。

「指揮官頭おかしいんじゃないのか?」

 隣の男が悪態をついていた。

「死体で橋作れないか?」

「お前最初の奴見てなかったのか? あっという間に流されたよ」

 この軍の本陣にいたラムダ・スレイマン将軍は、状況が飲み込めていない様子で前線を見ていた。

「話が違う……」

 思わず口に出たが、本人は気づいていなかった。

 部下はそれを聞いていた。

「将軍、ご指示を。第一軍が壊滅します」

「後退させろ……」

 本陣で後退の太鼓が鳴った。

 皆急いで下がると、矢の雨も止んだ。

 前に出て堀の前で死体を担いでいるだけで半数以上が死んだ。

「この軍やばいぞ、敵の練度より将軍がアホだ」

「馬鹿な味方は敵よりタチが悪いぜ」

 傭兵達は悪態をついた。

 傭兵達は武功より生存に頭を切り替えた。

 本陣は荒れていた。

 攻め手に欠けるのだ。

 堀を渡る手立てがなかった。

 大将が呆然としており、部下達はそれぞれが勝手に喋り出し、全く統制が取れていなかった。

「将軍、我々の後ろは河です。手を打たねば、壊滅です!」

 そうしているうちに待機中の陣に動きがあった。

 幕屋から出てみると、陣の前方が焼けていて、兵が悲鳴を上げていた。

「報告! 敵陣から投擲があり、被害が出ています。油を撒かれた模様!」

「陣を下げるように言え!」

 将軍は放心状態だった。

 副官の男は、シエラに報告し、対応を待つことにした。

 将軍は戦ができる状態ではなさそうだった。

 状況は直ぐにシエラにもたらされた。

「吉報か?」

 サナエは伝令に尋ねると、彼は答えた。

「敵陣は砦化されており、堀を進めず、矢と投擲機のため損害が出ております。スレイマン将軍の様子がおかしいとのこと。指示が出せない状況です」

 サナエは絶句した。

「砦だと? そんなものいつからあったのだ? 軍は何故それに気づかなかったのだ?」

「なにぶん胡椒農園の手前あたりのため確認ができませんでした」

「堀なら渡れば良かろう。渡河に使った船があるだろう! 何としても砦を落とせ! さもなくば命はないと思え!」

 サナエは半狂乱で伝令に伝えた。

 伝令はまた、馬を乗り継いで陣に戻った。

「砦だと? 農地を拡大するのではなかったのか?」

 サナエは酒の入った瓶を床に叩きつけた。

 一方サルマンの本陣は活気があった。

 初日はごく短時間の戦闘だったが、損害は全くなく、敵軍三千余りを削る大勝利だった。

 ハグリスの策が見事な成果をあげ、兵に少量だが酒が振る舞われた。

 ケニス将軍の尋問の経過が報告された。

 それによると敗戦でも降格はなく、ファリスから褒美を出すと言う約束があったようだ。

 そのため練兵や偵察もほとんど行っておらず、ただそこに野営していただけだったと言うのだ。

 呆れた男である。

「つまりあの一万は全く使い物にならんわけだな?」

「その通りです」

 ネイルスは口惜しそうにそう答えた。

「何も動いておらねば今頃壊滅していたと思うと背筋が寒くなるな」

「誠に……」

「ネイルス、よく働いてくれたな。ひとまずこれまでのお前達の働きが今日の成果を生んだのだ」

「ありがとうございます」

 ダエグは砦を回ると言って幕屋を出た。

 護衛がそれに従った。

 兵を労いにいったのだろう。

 一方的に敵を壊滅させたとあって砦の兵は皆良い顔をしていた。

 一方外の一万について、部下の報告を聞くと、士気は低いままだということだった。

 後方に下げるように指示した。

 外に置いて戦わせても消耗するだけだった。

 彼らは砦に入り、初日の勝利を喜ぶネイルス麾下の兵を見て、更に肩を落とした。

 この戦で奴らは使えんな、とネイルスは思った。

 幕屋の外に出ると、ハグリスの姿があった。

 ネイルスは彼に向かって杯を掲げ讃えると、一息に飲み干した。

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