応報

 櫓の上は見晴らしが良かった。

 ここは川からなだらかに高くなっているため、櫓からは河岸までがうっすらと見えた。

 先日の夕刻、彼らは川で木材を渡し、更に舟をも担いで陣に戻った。

 堀を渡るためだろう。

 ネイルスは投射機を下げさせて、砦の上に亜麻仁油の入った小さな瓶を並べさせた。

 蓋は油の染みた浅布でしっかりと巻かれていて、これに火をつけて投下するのだ。

 ヘルマインから木材と共に大量に輸入したのだ。

 お陰で胡椒、穀物、油、木材、鉄、他にも生活に必要な様々な物までが高騰した。

 便乗して値上げされたのだ。

 イクナスという男は実に賢い男だった。

 一国内であれば物の移動で済むものを、国を分けて偏りを作れば大きな商売になる。これを牛耳れば、幾らでも富を増やせる。

 実際に物を買い集めて値を釣り上げて高く売っただけで驚くほどの利益が出る。

 定期的に戦を起こせば何度でも稼ぐ事ができる実に良い商売だった。

 学院などという組織は、己の小さな欲得のために幾らでも踊ってくれる良い道具でしかない。

 その道具を金で操ってやって、国境でいざこざを起こしてやるのだ。

 今回も、ベイヤーはそのつもりだったし、上手くいっていた。

 戦の勝敗などどうでも良いのだ。

 両者に金を貸付けて、負けたら実利を生む資産を取り上げるだけのことだ。

 今のところはサルマンが優勢だった。

 ロンバルドの軍は、指揮官がサナエに何を吹き込まれたか分からないが、何の準備もなく平然と川を渡ったのだ。

 サルマンが必死に準備に取り組んでいた頃、ラムダもケニスも呆けていた。

 茶番の戦争で勝って見せれば良いだけだったからだ。

 上の方で既に話がついているのだから。

 しかし蓋を開けてみれば、状況がまるで違っていて愕然とした。

 相手は本気である。

 このままでは敗走して自分の身が危うくなる。

 ラムダは木材と舟を使い、橋をかけさせた。

 矢が飛んできたが、橋を架ける部隊には小舟を伏せて担がせて縦にした。

 丸太には麻縄を結び、二列縦隊で運ばせた。

 堀に橋を架けて部隊を進ませた。

 矢の雨が降った。

 幾人も丸太の橋の上で射抜かれて、堀に流された。

 その兵が隣の丸太にぶつかって、丸太を堀に落として被害を拡大させた。

 物資の差もあるが、砦の上の弓兵は、大きな盾を構えていて、殆ど傷を負わせられなかった。

 使い物にならない一万に大盾を持たせて、弓隊の壁を作っていた。

 右翼と左翼が交差するように矢を放っていたが、自分たちが放った矢を敵は回収して撃ってくるのだ。

 物資を与えているのと変わらない。

 逆に野晒しのロンバルドには面白いようにあたった。

 初日に表にいた一万も砦に上げたので、橋を渡れば砦に接近はできるのだが、油の入った壺を投げられて火達磨になり、自ら堀に飛び込む者が後をたたなかった。

 部隊を新たに投入しようと前に送ると、投射機が大きな壺を射出するので、援護も難しい。

 砦の攻略には四万では足らないのだ。

 そもそも、戦略自体がない。

 情報を取らず、敵の戦力や陣営を探りもしなかったのだから、あろうはずがない。

 そんな戦が続く中、ある日ネイルスは櫓の上で、妙な一団が渡河しているのを見つけた。

 総勢二百程度で、紅い幟を携えていた。

 ネイルスはハグリスとプルトを櫓に呼んだ。

 二人が登るとネイルスは尋ねた。

「あれは連絡のあった一団か?」

 あの紅い幟は間違いなかった。

「間違い無いでしょう。エルマ様です」

「と言うことは、この戦の絵を描いた張本人がいるわけか」

「どうするつもりか聞いているか?」

「そこまではまだ……」

 お前達もここで見ていけと、笑っていた。

 渡河した一団は本陣の手前で戦の動向を見ていた。

 圧倒的に不利な戦局なのは、誰の目にも明らかだった。

 自国の兵が射抜かれ、火に焼かれ、水に流されていた。

 その日の夕刻、前線の兵が傷だらけでヘトヘトになって陣に戻った頃、ラムダは王位が移ったことを知って愕然とした。

「ラムダとやら、随分と苦戦しておるな。損害はどれほどか?」

「……一万三千を失い、砦に手がかかりました」

「落とせるのか?」

「必ずや……」

「安心しろ、強力な助っ人を連れてきた。戦が大好きな連中だ。戦局を塗り替えてくれること間違いなかろう」

 エルマは自分の配下のものに指示すると、ロンバルドの制式武具を二十五人分揃えた。

「まさか……」

 ラルゴが怯えたような口ぶりで言った。

「そうだ。人々を死地に送り出した立派な覚悟を見せてもらおう」

 そう言うと、二十三人の貴族達に鎧をつけ始めた。

 彼らは泣き出しそうな顔で体を捩って逃れようとしたが、叶わなかった。

「ラムダとやら、明日は朝からこれらを最前列に立たせよ」

 二十三人の貴族達の顔は、血の気が引いていた。

「大好きな戦だ。存分に楽しめ」

「申し訳ございません!」

 唐突にラムダが地に伏して言った。

 それを見た貴族達も手をついて懇願した。

「何を謝っているのだ?」

「そのような号令はかけられません」

「馬鹿なのか? 行かねば、死ぬより辛いことが待っておるぞ」

 一同驚いて顔を上げた。

「敗北の申し入れに行き、賠償金の額を決めるのだ。お前達は爵位も財産も全て失い、此度の戦の戦犯として生きていかねばならん。それでも死んだ一万三千は戻ってはこん。どちらが良いか選ばせてやる。自分たちの不始末は、自分たちで贖え。甘えは許さん」

 どちらも地獄であった。

 鎧を着せられた者は、何も決断できず、無言で幕屋から連れ出された。

 中にはラルゴ、サナエ、リーサが残された。

「明日の昼まで時間をやろう。戦好きのあの者達の活躍をよく見ておけ。次はお前達の番だ」

「街を渡すと言ったであろう!」

「渡してやるぞ。責任を果たして生きておればな。己の不始末を他人に着せてのうのうと生きておられると思うなよ!?」

 ラルゴは膝から崩れて地に手をついた。

「助けてくれ」

「他国の王を薬漬けにして尊厳を奪い、混乱に乗じて戦を仕掛けて他国の資産を乗っ取ろうなど、度が過ぎておる。しかも民のためではなく己のためであろう。まさか自分の身だけは安泰だなどと思ってはおるまいな?」

 ラルゴは何も言えなかった。

「自害の選択肢も加えてやろう。最も惨めで無責任な選択だがな」

 そう言ってエルマは、短剣を投げてやった。

 それを握り、エルマに駆け寄ろうとした時、傍に控えるイリスが、刀を抜いてラルゴの首元に付けた。

 何とも見事な抜き付けだった。

 ラルゴの手から短剣がカラリと溢れた。

「もう一本やろう。兄妹で胸に剣を当てて互いに抱き合えば、仲良く地獄に行けるだろう」

 そう言ってもう一本投げてやった。

 妹の目はもう焦点があっておらず、宙を泳いでいた。


 翌日の朝、二十三人の男が真新しい甲冑を着て中央の最前列に引き出された。

 男達は腕を縛られ、腰紐を連結されて、女の兵に引かれていた。

 見苦しく悶えながら、嫌だ嫌だと泣きベソをかいていた。

 あまりに滑稽で、傭兵達だけでなく、正規兵からも笑いが巻き起こった。

 この戦が始まって以来、ロンバルド軍から笑いが起こったのは初めてのことだった。

「見てみろ、あやつら笑っておるぞ」

 櫓の上で敵陣を見ていたネイルスがハグリスに言った。

 掃除か、とハグリスは思った。

 昨夜プルトがエルマに尋ねたが、ただ見ているように、とだけ返ってきたと言う。

「はっはっは、何か暴れておるぞ。はっはっは」

 女の兵が男達の縄を切っていた。

 そして女は最後尾へと向かった。

 ロウは一部始終を目の前で見ていた。

 最前列の中央に立つことになり、これは死ぬと思ったところに、真新しい将校用の甲冑を着た男が何故か女に縄で繋がれて出てきたのだ。

 何事かと思いずっと様子を見ていた。

 ロウは男の肩に手を置いて言った。

「おいあんた何やらかしたんだよ」

 ニヤついて声をかけると、男が逆上して言った。

「下民が私に触れるな!」

「は? 下民って何だよ偉そうに」

 ロウは顔を顰めて言った。

「私は貴族だぞ! 馴れ馴れしく触れるな!」

 また笑いが巻き起こった。

 男は何がおかしいのだと喚いていたが、貴族がこんな所にいるはずもなく、ますます可笑しくて、皆腹を抱えて笑い転げた。

 こうなると、何をやっても笑ってしまう。

 笑われていることに苛ついた男は、兜を叩きつけた。

 青白い顔と、よく手入れされた髪が顕になった。

「こんな所に貴族がいるぞ! ぎゃははは」

 笑い転げる兵達を、不安げにラムダは見ていた。

「号令をかけなくて良いのか?」

 エルマはラムダに言った。

「本当にやるのですか……?」

「お前もあそこに並んでみるか?」

「始めよ‼︎」

 将軍がいつになく大きな声で号令をかけた。

 進軍の太鼓が鳴らされ、将校が第一軍の出撃を命じた。

「おい貴族、命令だぞ。走れよ」

 男達は動けなかった。

 足を生暖かいものが流れた。

「うわっ汚ねぇ、こいつちびってる」

「おいおいおい貴族ぅ、チビってんじゃねぇよ」

 一際大声で言うものがあり、またしても笑いが巻き起こった。

「何をやっとるか! 進軍せよ‼︎」

 将校が怒鳴った。

 傭兵達は仕方ないので、貴族達の背中を押してやると、男達は嫌だ嫌だ帰りたいと泣きながら、押されて駆けていった。

 一人座り込んでしまい、後続に蹴飛ばされ、幾人もの男達が彼を踏みつけて行った。

 ある者は思い切り頭を蹴飛ばした。

 男達は隣の者のことなど見ていなかった。

 目の前にある砦がどんどん大きく見えてきた。

 堀の辺りに来ると、無情にも矢が放たれた。

 傭兵達は盾を掲げて矢を凌いだが、貴族達は背を向けて頭を隠した。

 矢は彼らの背に突き刺さった。

 傭兵達は矢の刺さった貴族を抱えて盾にしながら、丸太の橋を渡った。

 ハリネズミのように矢で覆われた男達を、本陣からただ呆然と見ている者達がいた。

 ラムダ、リーサ、サナエ、そしてラルゴである。

 傭兵部隊の中で、正規兵の鎧はよく目立った。

 彼らの体は矢避けに使われ、堀の対岸に打ち捨てられていた。

「嫌だ、嫌だ、あのような所になど行くものか……」

 ラルゴは譫言のように言った。

「頼むから許してくれ。お願いだ……」

「許しを乞う相手は私ではない」

 何でもするから許してくれと、足に縋りついた男を、エルマは膝で蹴り飛ばした。

 顎に当たり、ラルゴは目を回して倒れた。

 誰も介抱する者はいなかった。


 時の流れは時に非情である。

 太陽が高く上がっていた。

 エルマは冷や汗を拭うばかりのラムダに、軍を下げるように言うと、彼が指示する前に副官が後退を指示した。

「お前、名を何と言う?」

 男は胸に手を当てて自分かと確認すると、エルマが頷いた。

「ネメス・エラードであります」

 エルマは頷いて言った。

「ラムダ将軍はこれより重要な任務がある、これより軍の指揮を取れ」

「承知致しました」

 実直で賢い男だと思った。

 エルマは彼に任せると、ラムダについてくるように言い、ラルゴの様子を見に行った。

「決心はついたか?」

 地に座り込んで、空を見ていた。

「……、負けを認める……」

 言うが早いか、短剣で妹の胸を刺した。

 妹は笑っていた。

 涙が溢れていた。

 兄は妹を地に寝かすと、切先を胸に当て、妹の上に倒れるように覆い被さった。

 短剣はラルゴの胸に根元まで呑み込まれた。

「念を使ったな?」

 エルマはリーサに言った。

 リーサは泣いていた。

 サナエの頬を撫で、乱れた化粧を手巾で拭いてやった。

「ふふふふ……、もっと早くにやるべきだった。愚かな兄と兄思いの妹だった。私はこの娘を愛していたから。今日まで支えてきた」

 子供の頃、シエラの宮廷の庭園で二人で遊んだ記憶が蘇った。

 花を摘んで、彼女のために花冠カローラを作ってやり、頭にのせてやった。

 喜ぶ顔は今も鮮明に思い出すことができた。

 幼い日に兄を亡くし、孤独だった自分に懐いてくれて、孤独を埋めてくれた子だったのだ。

 公爵家の跡取りが、力を持たずに生まれたのだ。

 両親は兄を詰り、兄はその責めに耐えきれず、十六の誕生日に、身を投げた。

 自分には優しい兄だった。

 心の空洞を埋めたのが、サナエの笑顔だった。

 額に口付けて、何度も頬を撫でてやった。

 この愚かな兄は死して尚彼女の重荷になっていた。

 リーサは男の肩を掴んで転がしてやると、サナエの服を整えて、胸に手を置いてやった。

 オリガは天幕にあった花を持ってくると、リーサに差し出した。

 リーサはオリガに笑いかけて、ありがとうと涙を流して言った。

 そしてサナエの胸に手向けた。

 涙を拭い、覚悟を決めて立ち上がった。

「幼い日より妹のように可愛がってきた子だ。この子の責任は私が負う」

 気骨のある女だった。

 これだけの謀略を巡らし、進める手腕があった。

 その才を向ける場所さえ誤らねば、偉大な人物になっていたかもしれない。

 オリガとアゼルがこの二人のようにならなければ良いと、エルマは祈った。

 二人は一部始終を見ていた。

「ラムダ将軍、武装を解いて旗を持て」

 リーサが指示を出すと、ラムダはその通りに動いた。

 そして二人は陣の前に出ると、旗を掲げて敵陣へと歩を進めた。

 風が白い旗を靡かせていた。


 幕屋には王とネイルス、そして僅かな衛兵だけがいた。

 敵陣から白旗を掲げた男と、女が現れたと報告があり、今ここに向かってきている。

 講和を求めに来たのだろう。

 リーサとラムダは衛兵に連れられて幕屋に入った。

 誰も何も言わなかった。

「リーサ・グリーナ女侯爵である。我々はここに、この戦の終結を提案に来た」

 ダエグが尋ねた。

「条件を聞こう」

「我が軍は速やかに撤退する。また今回の戦について賠償を行う」

「金額はいかほどか?」

「……、1億グレインを支払う」

「なるほど……」

 ダエグは少し間を置いて尋ねた。

「ラルゴはどうしている? なぜ王が出てこない?」

「ラルゴは、本陣にて妹サナエを手にかけ、自らも命を断った」

 ダエグは目を伏せて頷いた。

「王位は誰が?」

「アトワールの正統な王家に譲位された」

「なるほど……」

 その反応を見てリーサは、ふと奇妙に感じた。

 何故ダエグはアトワールと聞いて不思議に思わないのだろうか。

 自分はその名を聞いて、思い出すのに時間を要したが、そのような反応もない。

 何故今になって現れたのか不思議でならなかった。

 まさか知っていた?

 まさか我々の計画を察知していながら逆手に取り、状況を覆して鉱山を奪ったのか?

 いやおかしい。

 鉱山を奪ったとしても、この状況にはなり得なかった。

 ロンバルドの財政は疲弊しただろうが、譲位などと言う状況にはなっていないだろう。

 こうなったのは、彼らが最後の札を握ったからだ。

 あの愚か者が捕まったから……。

 随分と沈黙が続いたように感じた。

「知っていたな?」

 ダエグは顔を上げてリーサを見た。

「あの者が描いた絵なのだな?」

 ダエグは頷いた。

 リーサは愕然とした。

 そして納得した。

「はははは…、私は策で敗れたのだな……」

 ダエグはラルゴが死んだと聞いて、言葉を失った。

 どんな言葉で罵ってやろうかと考えていたのだ。

 恨みを晴らそうにも晴らし切れぬと思っていた。

 しかし何とあっけないものか。

 目の前の女が可哀だとすら思った。

 驚いていた。

 ここまでの動きがあるとは予想だにしていなかった。

 滅ぶのはサルマンかも知れぬとさえ思っていた。

 あの者の言うとおり、勝ちを拾ったな。

 終わりにしよう。

「その条件で良い。其方がここに来たことには、敬意を表する」

 リーサは幕屋を出て自陣に戻った。

 正式な書面による講和はもう少し後になるだろう。

 ひとまず戦は終結し、ロンバルドは敗れ、王朝も終わった。

 兵の足取りは重く、皆俯いていた。

 傭兵達は命を繋いだことを神に感謝したかも知れない。

 ロウの足取りは軽かった。

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