門出
脅迫
春分を過ぎて四の月に入ろうとしていたが、海の風は未だ冷たかった。
衛兵の縦列の間を馬に乗って進んだ。
ティルナビスの港にロンバート家の船を着けさせ、それに乗ってカレアンに向かう。
講和に向けて賠償金の工面と、没収した二十三人の資産を受け取りにゆくのだ。
既に書面で送っており、用意されているはずだった。
しかし、用意されていなかった。
ロンバルド・ゲラルト銀行の貴賓室に通され、支配人の応対を受けた。
用意されていないどころか、逆に支払い手続きはこちらでやらせて欲しいと説得しにくる始末だった。
サルマンも金を引き上げたため、かなり頭を悩ませているのだろう。
エルマは一通の手紙を支配人に渡した。
「リエナ・ベイヤーに渡せ」
支配人は受け取ったが、気が進まない様子で言った。
「ベイヤー様はお出掛けになっていらっしゃるため後日……」
「構わんぞ、義理の弟が挨拶に来るかもしれんと伝えておけ」
そう言った時、奥の扉が開いて女が入ってきた。
女は支配人から手紙を奪い取ると、部屋を出るように言い、エルマの前に座った。
「どう言うことかお聞かせ願えますか?」
「貴方が陥れた、可哀想な、義理の弟のことですよ。サルマンに引き渡され、今頃どこで何をしているでしょうね」
リエナの顔には焦りが見えた。
「何を知っている?」
「全てを」
エルマはにこりと笑って言った。
「あなたの義理の父がそれを知ったら、どう思うでしょうね」
「引き渡せ!」
「人に命令できる立場か? 丘の上の家に連れて行っても良いんだぞ?」
リエナは鬼の形相でエルマを睨んだ。
「条件は何だ?」
「私に従え。一度でも背いたら全て明かす。そうなればお前の子も、ただではすむまいな」
「生きている証拠を示せ」
「ダエグ王から預かっておる。お前の子にはお前の夫の血は入っておらんと言うではないか。立派な裏切りだな。今はどこぞの地下に放り込んである。いつでも会いにくると良い。まずは、渡した書類の通り、預けてある金を引き渡せ。話はその後だ。私は船に戻る。下手な真似はせぬことを勧める」
エルマはそう告げると船に戻った。
半時間ほど経った頃、船の前に大量の麻の袋が並べられた。
「義弟と会わせろ」
「随分と偉そうな下僕だな。己の立場を分かっておるのか?」
リエナは無言で頭を下げた。
「まぁ良かろう。乗れ」
リエナに続いて護衛が乗ろうとしたので、エルマは遮った。
「一人だけだ。護衛は乗せぬ」
リエナはカールーンに頷いた。
イリスは部下達に麻袋を積み込むように言った。
金貨が百枚入った袋が八百余ある。
八億グレインだ。
この半分の額は既にグリシャとシエラで回収済みだった。
これに加え、死んだ貴族の土地や屋敷も押収したので、途方もない額の資産が国庫に入れられた。
彼らは銀行だけでなく屋敷にも金を置いていたので、それらを合わせると30億ほどに膨れ上がった。
ロンバルドの農地の約六割を彼らが所有しており、奴隷同然の小作人を働かせて、その上がりを全て金に変えていた。
更に民から税を取り立てていたわけであるから、一体どうすれば金がないなどと言うことになるのか見当がつかなかった。
甲板で海を見ていたリーサにサエナが話しかけた。
「あの女に従うのか?」
リーサは開き直ったように答えた。
「従うしかあるまい。私は負けたのだからな。お互い子を持つ親だ。あやつらのように何もかも失って、路上で生きるわけには行かん」
「サナエは誰に殺されたのだ」
「兄だ」
「ラルゴがやったと? あの男に殺す度胸があったのか? 信じられん……」
「お前もよくよく考えたほうが良い。あの者達は侮れんぞ。今回の件、全て見透かされていた。最後はラルゴの愚かさ故だが、どこから漏れたのか……。よもや義弟からではあるまいな?」
リエナは答えなかった。
「やはりそうか」
リーサは薄々勘付いてはいた。
漏れるとすれば、エドムしかいない。
サルマンで捕まり、吐いたのだろう。
しかし、みすみす捕まるようなことがあるのか?
奴は学院が保護していたはずだ。
学院のある区画はファリスが子飼の軍人に警備させていたから、部外者は入れないはずだ。
よもや売り渡したのではあるまいか?
はっとして目の前の女を見た。
その顔には不安が溢れ、落ち着きのない様子で髪を弄んでいた。
この女の裏切りか。
義弟を殺すために売ったのだろう。
この女の夫は無能を絵に描いたような自称絵描きだが、弟は兄ほど愚かではない。
この女にとっては邪魔な男であるはずだ。
だが、殺されず、強請のネタに使われているのだろう。
リーサは顔には出さずに耐えた。
自分の立場を危機に陥れ、サナエの死の原因を作った女が目の前にいるのである。
海に落とせば復讐を果たせる。
だがそれでは駄目だ。
全てを失わせてやらねば気が済まん。
彼女の顔は冷酷な笑みに満ちていた。
王朝がアトワールに移っても、街は変わらず活気があった。
変わったことといえば、東西南北の第二門が常に解放されるようになったことだ。
第三門は開放したところで王宮があるため通り抜けられないが、それでも南北を通過するのに要する時間は減った。
現在南側の第二門前の広場で何やら建設が始められていた。
皆何ができるのかと気になっていた。
その建設現場でアゼルとオリガは作業を見ていた。
エリシアムにあった八角形の社によく似ていた。
規模はずっと大きいのだが、木造で高床になっていて、檜の厚い床板が綺麗に仕上げられていた。
「何を建ててるの?」
アゼルはデネブに尋ねた。
「開放型の議場だよ。誰もが話を聞けるようにな」
「へー。面白そう。椅子なんかも置くの?」
「いや、自分たちでクッションを持ってきて、そこに座ったり寝そべったりするんだよ」
「寝そべってもいいのね」
オリガは絵を描きながら尋ねた。
「いいんじゃないか?」
「誰でも使えるの?」
「どうだろうなぁ。分からん」
デネブは笑っていた。
民が政治を担う社会では情報が重要だとモルデスが言っていた。
多くのものができる限り細かな情報を持っていることで、より本質的な議論がなされ、良い結論を得られると。
理屈ではこうだが、実際には難しいから、まずは切掛を作るために公開議場を作ろうと言うことになったらしい。
多くの者に参加してもらうためだ。
一歩ずつ目標に向かって動いているのだとアゼルは感じた。
自分にも何かできないかと、アゼルは思っていた。
そんなことを考えながら、オリガと二人で街を散策していたのだ。
街はいつもと同じように見えた。
二人は西の門から街を出た。
その先は一面青々とした農地が広がっていた。
小麦は十ニの月の収穫祭の後に種が蒔かれるため、今の時期は随分大きく育っている。
もう数ヶ月経つと収穫の時期になる。
南方の稲作を行う地域はこれから苗を植える時期だ。
視界の右に小さくエルファト院が見えた。
ここは林の中に作られた寺院で、社は木造で作られている。
何年か経つと周期的に建て替えを行うが、その建材を林で育成している。
針葉樹が多く、杉や檜が植えられていた。
ロンバルドの北部地域は農業に加えて林業が盛んである。
育成中の樹木は枝を落として燃料に使われる。
また間伐と言って、大きく木を育てるために育ちの悪い木を切ったりして、それで炭を焼いて売るのだ。
これらの炭を、アゼルは鉄の鍛錬で使用する。
エルファト院で煙が上がっていた。
炊き出しだった。
寺院の者達は暖かいスープとパンを提供していたのだ。
大人も子供も皆列を作り、食べ物を貰っているのが見えた。
百人以上の老若男女が、その日に食べるものもないらしい。
炊き出しを行う寺院の神職らしき男が、あれこれと指示を出し、同じ神職や年の差のある子供達の集団が、それに対応していた。
不思議な光景だった。
働く子もいれば、炊き出しの列に並ぶ子もいるのだ。
何が違うのかが気になって、神職に尋ねた。
「あの、すみません。少しお話しできますか?」
「何でしょう?」
背の高いほっそりとした男だった。
先ほど皆に指示を出していた者だ。
「僕はアシェル・サラザードと言います。街の東門のあたりに住んでいます」
「そうですか、よく来たね」
にこりと笑う男に、アゼルは軽く会釈して尋ねた。
「そこで働く子と、列に並ぶ子の違いは何ですか?」
「これは、中々痛いところをつかれましたね」
「痛いところですか?」
「はい、我々は戦や病で親を亡くした子を引き取って、世話をしています。それが先ほどの子らです。一方列に並ぶ子は、最近ここに来た子もいますが、多くはずっとここに通っている子達です」
「彼らも同じように受け入れられないのですか?」
「我々にも限界があるから、全ての子供を受け入れては、寺院が継続できなくなってしまう。だから多くは受け入れられないんです」
「この炊き出しは寺院の皆さんのものを提供してるんですか?」
「違いますよ」
男は笑って言った。
「私たちが食べるものも、ここで提供しているものも皆多くの人からの寄進や寄付で成り立っています。我々が提供する種籾や苗、麹などの収益もありますが、大部分はそれで賄われています」
「炊き出しがない時はどうしているんですか?」
「余り大きな声ではいえませんが、多くは盗みでしょうね」
「こんなに沢山いるんですか……」
「実際はもっといるんです。我々神職は各地で寺院を開いて活動していますが、そちらでも同じです。この間の戦でまた多く亡くなったので、また増えるでしょう。貴族の農園が王家に没収されたので、そこの小作人達も実は戦々恐々としているんですよ。食べていけなくなるのではないかとね」
アシェルは暫く考えると、思いついたように言った。
「ねぇオリビア、うちからセリムさん呼んできてよ」
セリムと聞いて男は目を丸くした。
オリビアも急にどうしたのかという顔をしていた。
「ほら、デネブさんが今、議場作ってたでしょう? あそこで話し合うんだよ。何か良い知恵浮かぶかも知れないよ。おじさん一緒に来てくれませんか?」
おじさんと呼ばれ少し寂しそうな顔をした。
彼はまだ二十七だった。
しかし素直で真直な瞳を見て、男は断りきれず、少年について行くことにした。
オリビアは分かったと言うと東風に向かって走って行った。
「アシェル君、だったかい?」
議場に向かう最中、男はアシェルに尋ねた。
「はい、そうです」
「君は刀を作るのが得意なんだろう?」
アシェルは驚いた顔で男を見た。
「どうして知ってるんですか?」
男は笑って言った。
「去年の冬至祭にね、君のお母さんが刀を奉納してくれたんですよ。ほら、杖みたいな」
「あ、あれか。棒術をやる人がいたら使えると思ったのですがそんな人いませんでした」
恥ずかしそうに頭を掻いていた。
鞘や縁で突いても良いように厚く頑丈にして、巾木を通常の三倍程の長さに作り込んだ。
安定させるためだ。
その分摩擦も大きくなり、鯉口が浮くので、あて木を入れて隙間を調整させたり、柄と鞘の木材に樫の木を選ぶなど工夫を凝らしたものだった。
「そんな事はない。我々の護身術は棒術ですよ」
驚いたように男を見た。
「我々には買うお金はありませんがね」
苦笑いしていた。
「今祭殿に置いてありますよ。久しぶりに良い鋼が納められたので、神もお喜びでしょう」
「武器でも喜ばれるのですか?」
「人の手で作られたあらゆるものが喜ばれると思いますよ。見向きもされない石ころを鋼に変えて美しい形に作り変えるのは、人の知恵の結晶です。人を殺める道具ではありますが、それも使い方次第ですよ」
「なるほど……」
アシェルは何か考えているようだった。
議場では屋根が組まれ、梯子を掛けて瓦を並べていた。
「これはまた変わった建物だ」
男は屋根で作業する男たちを見て言った。
高床で八本の柱に八角形の屋根があった。
壁などはなく、全て解放されていた。
「ここは何のための建物ですか?」
男が尋ねるとデネブが答えた。
「開放型の議場だよ。議論をする場所だ。ここで出た結論を政策立案の叩き台にするそうだよ。上に上申できるんだそうだ」
「ほほぅ、これまでにない新しい試みですね」
「あぁ、だから誰でも参加できるように、壁はないんだそうだ」
「なるほど、面白い」
男は顎に手を当てて、興味深そうに見ていた。
「あんたはどうしたんだい?」
「私は、そこのアシェル君に連れてこられたんですよ」
アシェルはオリビアを探しているようだった。
「へぇ、何かあったのかな?」
「ふふふ…」
「ねぇデネブさん、ちょっと僕ダイアムさんとモルデスさんを探してくるから、この人と待っててくれる?」
「あの二人なら王宮にいると思うぞ」
「ありがとう!」
アシェルはそう言って手を振って、北へ走って行った。
王宮と聞いて、男は笑っていた。
ちょうどその時、オリビアが議場に現れた。
「あれ、アシェルは?」
「何かダイアムとモルデスを探しに行ったよ。おやセリムさん、お元気ですか?」
オリビアに声をかけられたデネブがセリムに気付いて声を掛けた。
「えぇお陰様で。おやおや、アルナスではありませんか」
セリムは久しぶりに会えて嬉しそうだった。
「セリムさん、ご無沙汰しております。しばらくお姿を見かけなかったので心配しておりましたが、お元気そうです何よりです」
「いやいや、そうでもないんじゃ。少々遠出をしたら腰を痛めてしまって、東風の主人に助けてもらっていたのです」
「そうだったのですか。もう具合はよろしいので?」
「ははは、もう歳ですから、治りも遅くなりましたが、なんとか一人で歩けるようになりましたよ。しかし、こんなところで会うとはなぁ。何かあったのかな?」
セリムが怪訝そうに尋ねた。
「アシェル君に連れてこられましてね」
「ほほぅ。アシェル君が。知り合いだったのか?」
「いえ、彼のお母様とは何度かお目にかかっていますが、彼とは初めてなんです」
「そうだったか。で、本人はどこに行ったのかな?」
セリムはアシェルを探して辺りを探した。
「もう少しで戻ってくるでしょう。まだ作業中ですが、そこにお上がりください」
デネブが二人を議場に上げた。
「ここは何の場所なんだい?」
セリムの疑問に、アルナスが教えてやった。
「中々面白い試みだ。ここに呼ばれたと言うことは何か議事があると言うことかな?」
セリムは腰を下ろしながら言った。
少し顔を顰めていて、まだ痛いのだろう。
デネブがクッションをいくつか取ってきて、皆に手渡した。
これは助かると、セリムは一枚を尻に敷いて、他のいくつかをまとめて肘掛けにした。
「恐らく、貧困層の対策についてでしょうね」
「何と、彼はそんなところに目をつけたのか」
「えぇ、偶然エルファト院の炊き出し風景を見て、院で面倒を見ている子と炊き出しに並んでいる子の違いについて質問を受けたんです」
「中々鋭い質問だな」
「えぇ、私には頭の痛い問題ですし、答えに迷いました」
アルナスは苦笑いして頭を掻いた。
「確かにこれからまだ増えるだろうから、対策を講じねばならんだろうなぁ」
セリムも顎に手をやって思案した。
その時アシェルが二人の男を連れてきた。
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