奪還

 シェプールはキルシュの東にあった。

 アトリア山脈南部の水源から流れる河の支流を使って堀を作り、また下水もここに流していた。この水が南部の農地の用水として使用される。

 この辺りに住む者は河の水は絶対口にしない。

 堀の幅は広く、橋を渡る以外は、汚水に浸かりながら渡る以外なく、侵入者はその匂いですぐに判別される。

 堀に沿って城壁が作られていて、その門を潜らねば街へ入れなかった。

 明らかな軍人風の男より、商人風の出立の方が通過は簡単だ。

 ハグリスは一度倉庫に戻ると、二頭立ての荷馬車に、葡萄酒の樽を満載した。

 それに加えて幾つかの空樽も用意した。

 武器などを隠すためだ。

 翌日の朝、彼らは城門をくぐった。

 城門での衛兵とのやりとりは、ダナンたちの方が圧倒的に上手く、予想以上に短時間で抜けることができた。

 馬車を停められる大きな宿に部屋を借り、街の様子を見て回ることにした。

 年の瀬を迎え、街は慌ただしくも賑やかだった。

 多くの物資が運び込まれていた。

 ハグリスの葡萄酒も、宿屋に向かう最中に幾つかの樽が売れた。

 何かと問われ葡萄酒だと言うと、珍しかったのか、試飲させると言い値で売れた。

「この辺りは米の酒が主流だからな。葡萄酒は珍しいのさ」

 ハグリスは上機嫌だった。

 街の主要な通りには、溝が切られていて、その溝を辿ると、幾つもの穴の空いた厚い鉄板が被せられていた。

 大雨が降ると。この穴を通じて排水するようになっていた。

 街を歩いていると、時折悪臭がする場所があった。

 下水の匂いが上がっているのだろう。

 それは裏通りの見通しの悪い路地にあった。

 特に見張りは立っていないし、誰も寄り付かなかった。

 カールーンはラグナに目配せし、そこを離れた。

 侵入場所は見つけられたため、宿からここへ向かう道を確認するために歩いた。

 下水道への通路と思しき場所は、中央の南北に伸びる大通りから裏の路地に入ったところにあった。

 この街は北側が王宮や行政のある区画で、南側が市街地となっていた。

 堀に架かる橋は東西と南にしかない。

 下水は恐らく北から南に大きな空間が作られている。

 それがどこに繋がり、行政区のどの辺りに出られるのか、調べる必要があった。

 潜入担当の三名は街が寝静まるまで休んだ。

 夜半に起き出して、ボロ服を纏うと、三名は外に出た。

 夜間は彼らが頼りだ。

 カールーンは犬を連れ出した。

 音を立てぬよう静かに歩いた。

 犬も無駄に鳴かないのが助かった。

 時折警備が回っているようだが、彼らは堂々と明かりを灯して歩いていたため、回避するのは難しくなかった。

 目的地は匂いでわかった。

 煉瓦の積まれた小屋に入ると、鉄の扉で塞がれていた。

 それをこじ開けて、階段を下った。

 皆頭巾と面布をかけていた。

 地下は比較的深く、下水道まで下りると松明に火をつけた。

 炎が揺らいでいた。

 やや風が流れていた。

 中央部には堀の水が浅く流れていた。

 両脇に通路が作られていた。

 流れの方向から、下流が南だろうと推測し、南側の出口を確認しに向かった。

 犬もついてきていた。

 最初は腰が引けていたが、カールーンが行くと、仕方なくついてきたのだ。

 この場所では流石に彼らの鼻も使い物になりそうにない。

 南側の端は階段になっており、出入り口付近は石の壁で目隠しがされていた。

 何と城門の内側から入ってこられるようになっていた。辺りは花壇になっており、樹木も植えられ、まさか下水道への通路があるようには見えなかった。

 今度は逆に北側に向かうと、下水は続いていたが、通路は壁に阻まれてそれ以上進めなくなっていた。

 しかし松明を翳して対岸をくまなく見てみると、通路があった。

 ここからでは対岸に渡れないため、手前にあった橋まで戻り、対岸を進んだ。

 通路に入り、階段をゆっくり上がると、入ってきた時と同じ鉄の扉があった。

 先ほどと違ったのは、こちら側は隙間から薄明かりが漏れていた。

 ゆっくり扉を横に引くと、僅かに開くが、錠前がかけられていた。

 鉄の棒を使えば破壊できるかもしれなかった。

 今回は諦めようかとラグナとブレアスが顔を見合わせていると、カールーンは鞄から鉄の角棒を取り出すと、錠前の輪に差し込んで、力ずくで押し下げた。

 バキンと音がして、錠前が外れた。

 人が来る気配もなく、カールーンは角棒を器用に使って錠前を外した。

 ゆっくり扉を開くと、錠前を回収してゆっくりと進んだ。

 その先は開けた空間になっているようで、人がいる気配があった。

 彼らは暫くそこで待った。

 すると足音が聞こえ、扉を開けた音がした。

 カールーンはここで待つように伝えると、ゆっくりと広間に出た。

 詰所らしい。

 扉に耳を当てると、遠ざかる足音が聞こえた。

 カールーンは手招きした。

 扉を静かに開けると、通路になっていた。

 その先に階段があり、階段の脇には物置のような空間があり、道具が置かれていた。

 三人と四匹はそこで見張りをやり過ごそうと考えた。

 カールーンはここで待機するように伝え、一人階段を上がった。

 階段の先は通路になっており、左右に道が分かれていた。

 右の通路の先にはすぐに扉があり、外からは衛兵の声が聞こえた。

 反対側にも扉があったが、こちらはやや距離があり、扉の先からは音も聞こえなかった。

 扉は内側から太い閂がされていた。

 カールーンはこれを外すと、ゆっくり扉を押して、隙間から外を覗いた。

 静かな闇があった。

 恐らく市街側だろう。

 カールーンは目印に先程の錠前を外に投げた。

 そして閂を掛けると、地下へ降りた。

 皆にここを出るように促すと、下水道を通って入ってきた場所から地上に上がった。

 カールーンは状況を説明すると、錠前を投げ捨てた場所を突き止めに向かった。

 場所はすぐに判明した。

 南北を走る大通りを北に向かった先には、行政区に入る大きな門があり、その左に小さな扉がある。

 そこの前に落ちていた。

 つまり階段を登った先の右側の扉は行政区側に通じているのだ。

 しかしそこには歩哨が立っている。

 何人いるか不明だった。

「少し偵察にゆく。皆は物陰にいてくれ」

 二人は頷くと、路地裏からカールーンを見ていた。

 カールーンは鞄から鉤縄を取り出すと、城門の上に向かって放り投げた。

 カツン…

 小さな音がした。

 上手く掛かったようだ。

 縄をつたって壁を登った。

 慣れたものだ。

 あっという間に城壁の上に出た。

 上から見下ろすと、三人の兵がいた。

 皆地面に座り込んで話をしているようだった。

 巡回の衛兵も今のところ姿はなかった。

 ふと、城門の上に空洞があり、下りの階段が見えた。

 そこを下るとその先に扉があり、開けることができた。

 どうやら大門の中のようで、反対側にも同じく扉があった。

 その扉に入ってさらに進むと、先程地下から上がった先の通路に出た。

 ついでなので、先程壊した錠前を壊れたまま元の扉に引っ掛けておいた。

 再度城壁に上がり、今度は鉤縄を帯に引っ掛けて、縄を適当な突起に回して断端を下に投げた。

 そして縄を握りながらするすると降りた。

 二人と合流すると、皆で宿に戻った。

 宿でようやく話し合いができた。

「行けそうか?」

 ブレアスが尋ねた。

「十分可能だ。部隊は何人いる?」

「三百だ」

 ラグナが答えた。

「それだけの数を城門に入れることのほうが難しいな」

 カールーンが頬杖をついて考えていると、ブレアスが口を開いた。

「先日届いた穀物の輸送ということでは難しいのか?」

「さすがに三百人はなぁ」

 ラグナも同意した。

「荷馬車に麦の袋を積んで、真ん中にスペースを作ったら何人入れる?」

「せいぜい五、六人というところか」

 カールーンは言った。

「表に護衛で六人つけて、車両を三十輌か。それなら町人にに成りすまして入り、荷馬車に武装を積んだほうが確実だな」

 ブレアスの案にラグナは頷いた。

「三百人の兵を潜伏させる場所の方が問題だぞ」

 ラグナの指摘は正しい。

 ブレアスは頷くと、更に提案した。

「兄に相談してみよう。輸送の人手ということで公社の倉庫に入れられないか聞いてみよう」

「明日の朝一番に戻るぞ」

 皆頷いた。

 翌朝はブレアス、ラグナ、そしてカールーンの三名がキルシュに戻ることになった。

 キルシュの邸宅に戻ると、ラグナは昨夜の案を将軍に提案した。

 ブレアスは公社に行き兄に相談した。

 幸い小麦は十分残っていて、シェプールに送る予定もあった。

 そして物資に武装を紛れさせるのは十分可能ということだった。

 また公社の人足は既に休暇で不在なので、兵の潜伏も十分可能だということが分かった。

 ブレアスは直ちに手配を頼んだ。

 そして将軍の邸宅に戻ると、状況を説明した。

 将軍はブレアスの話を聞くと、その案を承諾した。

 皆すぐに準備に取り掛かった。

 公社の倉庫から小麦を積み出し、武装を紛れ込ませたのは、将軍の部下三百人全員である。

 あっという間に半分を積み込み、第一陣が出発したのが昼過ぎのことだった。

 半数の軍人が私服のまま堀を通過し、車両十台がアルバートの先導で、公社の倉庫へ運び込まれた。

 大晦日の日も同様に荷を積み込んだ。

 その日は慌ただしかった。

 荷を解いて武装し、外套を羽織って少しずつ裏通を通って、三百人が下水道に移動していった。

 そして全員が地下に集まった頃、既に日は傾きかけていた。

 正面の大門にネイルス将軍とラグナ、そして五名ほどの部下と縄で縛られた男が現れた。

 ネイルス将軍は大門前の衛兵に、陛下にご報告したいことがあると言って城門を開けさせた。

 門は僅かに開かれ、将軍たちが通過するとすぐに閉じられた。

 大通りを真直に北上すると王宮があり、最初の広間が謁見の間となる。

 その奥に王の宮殿がある。

 そこまで行き、崩御を明らかにして罪人を捕縛するのが目的である。

 一同は真直に進んだ。

 その様子をカールーンは城門の上から見ていた。

 既に階段下の小さな物置のような場所に、数名の兵と共にブレアスは待機していた。

 行政区側の人通りはまばらで、衛兵も少なかった。

 九時の鐘が鳴り響いた。

 その音は地下にいるブレアスの元にも届いた。

 始めようか。

 ブレアスは物置から出ると階段を上がり、扉を開けた。

 すると座り込んで談笑していた衛兵は驚いて、慌てて立ちあがろうとしたところをブレアスの膝が顎をとらえた。

 更に扉の反対側にいたものがブレアスを襲おうと腕を伸ばした時、扉の中から頭を殴られて気絶した。

 そして三人目はそれをただ見ていたところ、縄をつかって振り子のように落ちてきたカールーンがぶつかって、仰け反りながら倒れた。

 まさに電光石火の急襲撃だった。

 三人は衛兵を扉の中に引き入れて、身ぐるみを剥ぐと、軍人三人に手渡した。

 そして、地下から二百九十七人の部隊を呼び寄せ、中央通りを謁見の間に向かって進軍させた。

 ブレアスは弓と鏑矢を手にすると、天に向かって放った。

 笛の音が響き、謁見の間にたどり着いたネイルスの元に届いた。

 ネイルスは謁見の間の扉を開けた。

 酷い匂いが鼻をついた。

 玉座には王の抜け殻があった。

 その脇にファリスの姿があった。

「随分と悪趣味だな」

 ファリスは立ち込める腐敗臭も気にしていないようだった。

「やっと来てくれたのでね。嬉しさのあまり陛下にもご覧になって頂きたくてね」

 ネイルスは玉座の前に進み出た。

「ならば、認めるのだな?」

「何を言っているのか。これはあなたの罪だ」

 ファリスが腕を上げると、周囲から衛兵が二十人ほど現れた。完全武装で槍を構えていた。

「反逆者だ。捕えよ」

 衛兵は輪を縮めるように少しずつ近づいた。

 ネイルスも部下も、剣を抜いた。

「その男は守れ。決して殺すな」

 部下達は中央にエドムを置いて、それを取り囲むように円陣を組んだ。

「早く捕えよ!」

 そうファリスが指示した時、彼の背後にブレアスがいた。

 ブレアスはファリスの振り上げた右腕を掴むと、右肩を押さえつけて軸足を払った。

 侯爵はあっという間に腹ばいにさせられ、捕縛された。

「なんだ貴様ぁ! あうぁぁぁっ…」

 ファリスは痛みに耐えられず叫んだ。

 衛兵の周りを百名以上の軍人が取り囲んでいた。

「武器を捨てろ。調査が済むまで命は預けてやる。尤も、陛下のあの姿を見ても平然としておる奴らだ。死は免れんだろう。どうする? 今死ぬか?」

 ネイルスがそう告げると、顔を歪ませながらも衛兵達は武器を捨てた。

「アルバレス、良くやってくれた」

 ブレアスは頷いて、侯爵を一旦拘束から解いた。

「無礼者が…。下民が私に触れよって…」

「ベロニク侯爵、叛逆をお認めになりますか?」

「反逆ではない。陛下を救って差し上げた。貴様こそ私に手を挙げるとはどういうつもりか?」

「あなたの反逆は全てこの男から聞いておりますよ」

 ネイルスの後ろにいた男が引き出された。

 それを見てファリスは狼狽した。

「そんな男は知らん! 無関係だ」

「捕縛せよ」

 ファリスとその衛兵は捕縛され、投獄された。

 謁見の間に現れなかった二百名は学院を包囲し、関係者を全て捕縛した。

 その数ニ十名を超えた。

 更に施設内の捜索を行い、多くの書類を押収した。

 そしてエドムの話のとおり、阿片を発見した。

 その日のうちに学院壊滅と王の崩御を公表しようとしたネイルスを、カールーンは止めた。

「何故だ?」

「策があるからです。オセル王の崩御は年が明けてからご公表ください。学院の壊滅は、何があっても伏せてください」

「どんな策だ!?」

 ネイルスは語気を強めて言った。

「カレアンの裏をかくためです。今夜お話ししますので、直ちに情報の拡散を止めてください」

 ネイルスは部下に指示を出した。

 行政区画からは誰一人出さぬように、人員を増やして封鎖し、学院名簿に名の上がったものは全て自宅軟禁か、あるいは捕縛した。

 ネイルスは王宮の奪還に成功し、その日のうちに王宮から逃れた王太子を呼び寄せた。

 その年の最後の日、王の死からおよそ二月をかけて、ついにサルマンは一つの陰謀を砕いた。

 その夜、謁見の間にて会議が設けられた。

 玉座は空のまま、皆絨毯の上にクッションを敷き、そこに腰を下ろした。

 会議には王太子も参加した。

 年は28、物静かな男だった。

「カールーンよ、どんな策か申せ」

 カールーンは答えた。

「発案者から話しましょう」

 そう言うと、一人の男を招き入れた。

 ハグリスであった。

 彼はまず名を名乗ると、策を話し始めた。

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