秘策

 キルシュ貿易公社の辺りは商館が多く立ち並び、とても賑やかな区画だが、そこから裏路地に入ると雰囲気がガラリと変わる。

 裏路地といっても小さな路地ではない。

 馬車がすれ違って通行できる大きな通りだ。

 そこには表通りのような賑やかに飾られた店舗はなく、看板が掛けられているだけの殺風景な建物が幾つも軒を連ねていた。

 そこを筋骨逞しい男達が忙しそうに荷を運んで行き来していた。

 倉庫街である。

 港に揚げられた荷はまずここに運ばれ、取引される。

 その一角に、アルサード酒造という酒蔵がある。

 ここでは2種類の酒を扱っていた。

 米の醸造酒と、麹を使った麦の蒸留酒である。

 サルマンでは米が栽培され、これらが主食になり、酒も米を使ったものが多い。

 キルシュの倉庫では熟成を行なっていて、それらが港から出荷されていく。

 この酒蔵の主人がバジルである。

 今は酒造りは息子のハダルが取り仕切っていた。

 この酒造の酒の輸送を引き受ける業者の一つに、南洋貿易サザンシートレーディングという会社があった。

 ティルナビスからグリシャまでの輸送を担っており、ティルナビスとキルシュを行き来していた。

 ハグリス・フォーラーは最後の瓶を荷馬車に積み込むと、港に向けて出発した。

 港では先行した荷馬車から船に積み込んでいた。

 この酒は癖がなく、飲みやすい酒で、人気もあるのだが、瓶を使うのが難点だ。

 輸送中に割れることがある。

 蒸留後に希釈して、熟成用の瓶に移したら、三年以上寝かせてそのまま出荷される。

 中には十年というものもあるため、細心の注意を払って輸送される。

 そのため輸送業者は厳選されていた。

「社長、東風から手紙を預かってます。例のすごい美人からですよ」

 ハグリスは手紙を受け取ると、礼を言って懐に収めた。

 瓶を船室に運び終えると、船を見送って事務所に戻った。

 倉庫街の外れの小さな倉庫だ。

 先程荷揚げしたばかりの小麦で倉庫はいっぱいだった。

 既に買い手があり、明日の昼までに倉庫は空になる。

 ハグリスは椅子に腰掛けてコーヒーを飲みながら手紙を開けた。

 読み終わると火をつけて器に放り込んだ。

 ハグリスは部下に倉庫を任せると、街に出た。

 一月ほど前から、街に古い宮廷衣装を着た男を見るようになった。

 その男は組合と公社に出入りしており、気になっていたので、時折監視していた。

 タレイアが言うには、協力者という事だった。

 あの服を未だに着ている者など、ティルナビスの女義賊くらいだと思っていたが、その関係者だったようだ。

 数日前にケルビン将軍までがこの街に入ったようで、何事か起きているようだった。

 カールーンも来ているだろう。

 それで宿が多い区画へ足を伸ばすことにしたのだ。

 何軒か宿の前を歩いて、部屋の窓を見ると、窓から見慣れた布が挟まっている部屋を見つけた。

 赤い布に白く染め抜いたもので、八枚の葉と太陽の図案だった。

 ハグリスはこの宿を張り込むことにした。

 すると程なくしてカールーンが出てきた。

 どうやら部下が四匹いるようだ。

「追い出されたのか?」

 ハグリスは声を掛けた。

「うむ、流石に犬は断られた」

「船を降りるつもりか?」

「どうしようか…」

「ははは、まぁひとまずうちに来いよ」

「助かる」

 ハグリスの家は北の浜辺のそばにあった。

 潮風ですぐ木が痛むのが難点ではあるが、それ以外は気に入っていた。

 家の前に鉄のタライが置いてあり、大量の塩が入っていた。

 酒の輸送ついでに塩も売るのだ。

 内陸では意外に売れた。

 浜辺に打ち上がった廃材で火を起こして、煮るだけである。

 ハグリスは家の外にテーブルと椅子を並べて、コーヒーを淹れてやった。

「よくあの一家に潜入できたな」

「白檀のお陰だな」

 カールーンは目を細めて笑った。

「ほぉ。どうやって手に入れたんだ?」

 ハグリスはにやけながら聞いた。

「大きな声では言えないな」

「なるほどね」

 カールーンは潜入が得意だった。

 白檀も流通路を調べ上げて、盗み出したのだろう。

 白檀は各地に自生しているが、特定の地域でのみ芳香が強い。

 産地は秘匿されていた。

 しかも寄生植物で、栽培が難しい。

 なので専ら収集に頼っている。

 多くはオイル抽出に使われ、オイルが取引されるが、これが極めて高価である。

 ほとんどサルマンで取引され、国外にはほとんど出ない珍しい香料だ。

 これを1箱くすねたらしい。

 小さなガラスの小瓶が十二本入っていた。

 これを小分けしてベイヤーの女主人に売ったのだ。

 褒められた方法ではないから、カールーンも言えない。

 金は置いてきたから盗んではいない、という言い分だ。

「二度とやるな、だってよ」

「エレノア様か?」

 ハグリスは頷いた。

 カールーンも苦肉の策だった。

 カレアンは言うなれば金融にしても各ギルドにしても、蜘蛛の巣の中心だった。

 入り込むのが極めて難しい。

 カレアン以外の支部にぶら下がる傭兵や海運業者も度がすぎると排除される。

 ネイル・サラザードが良い例だった。

 彼は末端支部に加盟していたが、事業の拡大がカレアンにとって目障りだったのだ。

 ギルド中枢は身内で固められ、入る余地がなかった。

 それで搦手が必要だったという訳だ。

「まぁ、裏の手を使えば表立って褒めるわけにもいかんということだろう。彼の方も内心は感謝しているだろうよ。」

 ハグリスはそう言ってカールーンの肩を叩いた。

「ところで、シエラが南進するという情報を東風に伝えた者がいる。我らも気づかなかったことだが、誰か知っているか?」

 カールーンは知らないと答えた。

「最近街に古い宮廷衣装を着た男がいる。ブレアス・コールドン、本名をアルバレス・メンデルと言うらしい。この名には聞き覚えがあってな。十年前の戦でエレノア様と対峙した男だ。軍を去って今はコールドンを名乗っている。コールドンといえば舎人の代表格の家だ。更にキルシュの港湾組合も、組織の基礎を作ったのはブレイ・コールドンと言って、この男の祖父だ」

「その男がシエラの動きに気付いたと?」

 ハグリスは頷いた。

「彼はエレノア様と契約して調査していると言うことだ。陰で支えてやるようにと依頼があった」

「分かった。覚えておこう。しかし手の込んだことだな。王の病に乗じて太子の入れ替えを画策し、政治の混乱を突いて戦を仕掛けるとは」

 ハグリスは頷いて言った。

「学院は王家の意向とは違った意図を持って動いている、と言うことかもしれんな」

「それで、我らはどう動けば良いのかな?」

 ハグリスは顎に手を当てて言った。

「それがなぁ、三方損する策を考えよ、だってよ」

「ははは。それは難しい注文だな。戦争やって誰も得しないって言うのは何とも馬鹿げているが、なかなか面白そうではないか」

 カールーンは頬杖をついて思案した。

「確かにそうだな。面白くはある」

 そう言って笑うと、ハグリスは砂浜で駆け回る犬達を見ていた。

 西の海に沈んでゆく太陽がいつもより大きく見えた。


 十三の月の二十五日、その日は八時に満月が昇った。

 一年は十三ヶ月よりなり、一月は二十八日、これに加え元日という特別な日が一日ないし二日あり、一の月の一日が始まる。

 あと三日で大晦日、一年の最後の日を迎え、来年は閏年で元日は二日となる。

 この日の夕刻に一隻の船が港に係留して、荷が税関を通過した。

 大量の葡萄酒だった。

 荷は南洋貿易の倉庫に持ち込まれたが、ひとつだけ、荷馬車に積まれ、キルシュの郊外へと向かって行った。

 ネイルスの邸宅には厳重な警備が敷かれていた。

 ネイルスが軍を動かしたのだ。

 直属部隊の精鋭兵三百を集め、内五十名を警備に回し、残りは草原で野営させた。

 名目は、一年の労を労うための宴として中央に報告が入れられた。

 水杯で武装は最小限で宴を開けと言う奇妙な指示だったが、彼らは言われるままに行った。

 ネイルスの邸宅には、約束通り男たちが集まった。

 そこに、カールーンが樽を持ち込んだ。

 蓋を開けて転がすと、縄で縛られた男が顔を出した。

 ひどい匂いだった。

 最上等の服は糞便で汚れ、本人も垢まみれで、一同は鼻を覆った。

 余りに酷いので庭に出し、服を脱がせて水を掛けた。

「ずっとこの中に?」

 鼻を摘みながらネイルスはカールーンに尋ねた。

「はい、逃げられても困りますので、蓋を開け放って水と食料だけ与えておりました」

 恐らく膝はしばらく伸びないだろう。

「リエナ様の指示ですので」

 カールーンは聞こえるように、あえて言った。

「あの女のせいか…」

 男の目に怒りが見えた。

「そう。あんたは売られたんだよ」

 カールーンは偽装書類のサインを見せてやった。

 あの女のシグネットが添えられていた。

 更にカールーンは続けた。

「全て話せ。そうすれば復讐の機会を与えてやるぞ? あの女はベイヤー家を乗っ取るつもりだ。島流で下賤の身分に落とされた家が、王族の家系のあんたの家を奪うんだ。さぞ夢見がよかろうなぁ」

「約束を守ると誓え」

 そう言う男の目は、復讐心で沸えいた。

「俺は約束は守る男だよ」

 カールーンは目を細めて笑った。

 エドム・ベイヤーは洗いざらいを話した。

 事の発端は三年前、グリシャの王ラルゴの密命から始まった。

 シエラの学院長リーサ・グリーナ女侯爵は、密命を受けてサルマン北部の胡椒栽培地の奪取について策を練った。

 グリシャ鉱山の金産出量低下に伴い、新たな収益源の確保は王家の最重要案件だった。

 確実に奪取するには幾重にも策を弄す必要があった。

 まずサルマンの政治機能を麻痺させて、軍の指示系統を撹乱させる必要があった。

 そこでリーサはサルマンの学院長ファリス・ベロニクを、カレアンを通じて抱き込んだ。

 彼を釣った餌は、現在サルマン貿易公社が握る権益を、自分たちで牛耳る事、であった。

 カレアンも同様に利権に加えた。

 彼らにしてみれば、国庫に納まるだけだった権益が自分たちに入ってくるのだから、これ以上ない条件だ。

 子飼の無能な軍を当てて見事に散らせれば良い。

 だが王と、王太子を擁立するネイルスが邪魔だ。

 排除せねばならない。

 それで阿片を持ち込んだ。

 在庫は今も学院にあてがわれた自分の部屋にあるということだった。

「証拠は?」

 カールーンが言った。

「証拠は俺だ。それと俺の部屋の阿片だけだ」

「一つ確認したい」

 ネイルスが言った。

 カールーンは頷いた。

「王印はどうした?」

「見つかっていない。推測に過ぎんが、侍従長アルジスが預かっていたのだろう。確実に言えることは、王宮で清掃を担当する女の使用人と、侍従長が死体で見つかった。女は首の後ろをナイフでひと突きだ。頭蓋と頸椎の間を刺し延髄を確実に狙ってる。侍従長は拷問を受けて、自分で舌を切ったようだ。恐らく、侍従長は女を使って王印を城外に持ち出した。その後侍従長が女を殺し、ファリスが侍従長を拷問にかけたんだろうが、侍従長は吐かなかった。行方不明のままだ」

「女の名は」

「知らない。宮廷の者が知っているだろう」

 ネイルスはどう対処するか考えていた。

 エドムの監視は部下に任せた。

 国を取り戻すためには王宮に入らなくてはならない。

 しかし中はファリスの部下が固めている。

 下手に動けば、敵に捕縛されるだけだ。

 最悪の場合王の殺害の濡衣を着せられ失脚する。

 部隊を入れる方法が必要だった。

 ネイルスは部隊長を部屋に呼んだ。

 ラグナ・リアードという男だった。

「王宮と学院に軍を入れる。良い方法はないか?」

 ラグナは暫く考えて言った。

「内部から城門を開ける以外手がありません」

「下水道は?」

 カールーンが言った。

「下水道は城門内に通じているが、作業用の出入り口が少ない。張り込まれていたら出られん」

「明日、調べてみては?」

「誰が行く?」

 ネイルスが聞いた。

「私が行きます」

 ラグナが答えた。

「俺も行こう。言い出したのは俺だからな」

「俺も行こう」

 ブレアスが言った。

「失礼ですが、この方々はどのような方なのでしょう?」

「その者は先程のエドムを捕縛してわしに届けた男。そちらがアルバレス・メンデルだ」

「お戻りになっていたのですか」

「シエラの南進を伝えてくれた」

 ラグナはブレアスに頭を下げた。

 納得したのだろう。

 ラグナは受け入れた。

「ではこれより、王都潜入のための調査に向かえ」

 ネイルスの家を出ると、ダナンが待っていた。

「潜入は任せるが、それ以外のことには力を貸すぞ」

 レイとフラムもいた。

「俺も行こう」

 見慣れない男だった。

「俺はハグリス・フォーラーと言う。カールーンの仲間だ。王都には多少土地勘がある。調達やなんかは任せろ」

 こうして即席の部隊が出来上がり、六人は馬で王都シェプールへと向かった。

 その後ろを四匹の犬が従った。

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