理由
カルバドスからの臨時便が入港していた。
小麦を満載している。
依頼していた書類はこの船の船長が持っている。
アルバートとブレアスは港で到着を待っていた。
冬至祭の二日目で、街は賑わっていた。
祭は日昇が南にずれる最初の日が最も賑わう。
太陽の復活を祝うのだ。
港も街も飾りがつけられ、皆大いに楽しんでいた。
既にティルナビスからの書類は手元にあり、カルバドスからのものを待っていたのだ。
予定より随分遅れての到着だった。
件数が予想外に多かったためだ。
アルバートは船長を迎えると、革でできた筒を受け取った。
二人は護衛を伴って公社へ戻ると早速包みを開けた。
そこには二十社ほどの登記書類があった。
運送会社と商社のものだった。
資本は何もカレアン・エルムン銀行からの出資で設立されていた。
ティルナビスでも同じ傾向が見られた。
「穀物は届いたか?」
ブレアスが兄に尋ねると、アルバートは首を横に振った。
「明らかな敵対行動だな。一月経ってもこれなら、軍も信じるだろう」
ブレアスは兄を見た。
官僚にしては良い顔をしていた。
しっかりと現状を理解し、腹を括った目をしていた。
「預からせてもらう」
ブレアスは公社を後にすると、ダナンを伴い港湾組合へ向かった。
組合の建物の前にはルディスが立っていた。
「届きましたか?」
ブレアスは頷いた。
「総代がお待ちです。お急ぎください」
ブレアスとダナンはバジルの私室に通された。
そこには彼ともう一人いた。
初日にバジルが耳打ちした者だ。
ブレアスは書類をバジルに渡した。
バジルはそれらに目を通した。
「はっきりと、意図を持って買っていますな。まさか四十社に上るとは」
ブレアスは彼の反応をじっと見ていた。
「我が国の主食は米だ。これには蓄えがある。小麦がなくとも民は飢えぬ。飢えぬが、これは別の問題じゃな。小麦を送る気配もないようだ」
「最近何処かが大量に売っていて値が戻って来ている。公社も大量に買い入れたようだ」
うむ、とバジルは頷いた。
「動く時だな」
「ルディスを呼んでください」
程なくしてルディスが現れた。
「動く時です。将軍に面会できるよう、整えてください」
ルディスはようやく声が掛かり、頭を下げると退室した。
ルディスは市へ向かった。
この街に将軍の私兵がいるのだ。
物資調達と情報収集が目的である。
ルディスは男を見つけた。
男もルディスを見つけたらしく、品物を見ながら距離を詰めていた。
男は焼鳥屋で串焼きの注文をした。
そこにルディスがやって来て、腿を注文した。
「すまないな、旦那。ちょうど今仕込んだ分が終わっちまったんだ。待ってくれたら持ってくるんだが」
「それは残念だ」
ルディスは残念そうに言った。
「そいつは悪いことしたな、一本食べるか?」
最後の腿肉を注文した男が言った。
「あぁそれは嬉しい、頂きますよ」
焼き上がった腿肉の串を二人で受け取ると、雑踏の中を並んで歩いた。
世間話をしながらたまたま会った男を装って、裏路地に消えた。
この男はゲイルス・ベントと言って、ルディスの同僚、つまりブレアスの元部下だ。
今は軍を辞め、ネイルスの私兵を務めていた。
「戦が迫っている」
ルディスは結論から伝えた。
「何だと? 確かな情報か?」
ルディスは頷いた。
「丁度明後日あの方がこの街に入る」
「何? 何かあったのか?」
「細かいことは言えん。手筈は整える。町外れの邸宅に10時に来い。10時だぞ」
ルディスは頷いて、その場を去った。
遠回りして組合に戻ると面会の場所と時間を伝えた。
ブレアスもそれを聞いた。
「将軍はよくこの街に来るのか?」
ブレアスはバジルに尋ねた。
「いや、滅多にこない。休暇は郊外の自宅で過ごしているようだ」
「別の動きがあるのではないか?」
バジルも難しそうな顔をしていた。
「あり得ることだな。だが、行くしかあるまい」
ブレアスは頷いて応えた。
その日の夕刻、月は西の空に姿を消した。
ブレアスは兄を尋ねに公社に行くと、部屋に通された。
窓口の女もブレアスを覚えたらしく、今では入り口に入れば部屋まで通してくれる。
茶と菓子まで出してくれるのだ。
カウチに腰掛けて兄を待った。
ブレアスはコーヒーに口をつけた。
昔は好きではなかったが、不思議と美味いと思った。
「お前がコーヒーを飲んでるとはな」
アルバートが戻ったようだ。
「上役には報告したのか?」
兄は悩ましげに弟を見て言った。
「良くも悪くも役人だよ。その上が動かねば、言ったところで気にもしまい」
「売上に関してもか? 下がる可能性は十分あるぞ」
「戦については軍が上奏せねばこっちに情報は降りてこん。役所などそのようなものだ。だから困っておるのだ。戦中であっても胡椒を売らねば戦費も賄えん」
「兄者も苦労人だな」
「やかましい。で、何しに来た?」
アルバートも湯呑に口をつけた。
黒い見込みに、胴には深緑の釉薬を使って焼いた湯呑だった。
釉薬の緑が、熱の作用で濃淡を作り、独特な風合いを出した。
翡翠のように見えて面白い。
「今日、将軍に会う」
ついにこの時が来たかと、アルバートはブレアスを見据えた。
「兄者も来い。書類の裏付けができる人間が必要だ」
「そうだな。行こう。何時だ?」
「現地に10時だ」
「分かった」
アルバートは頷き、家内に話してから向かうと言うので、同行することにした。
冬至祭の二日目で、街はまだ活気に満ちていた。
収穫祭から冬至祭、元日と、年の瀬は祭りが続く。
人々の暮らしや仕事は暦によって成り立っている。
例えばいつ種を撒き、収穫するかの標となるように。
実りが多ければそれを喜び神に感謝し、悪くとも皆で生きるための知恵を絞り、その年の暮にまた一年生きてこられたことを感謝するのだ。
農耕の発達は天文と大きく密接していたし、政治もまたこれに影響を受ける。
ブレアスは不思議だった。
この街に生きるものたちには皆それぞれの役割がある。
王ですらその役割と責任から逃れられない。
だが学院の者たちは政を牛耳るために策を巡らし、今王の死を隠蔽し、他国に攻め入られるやも知れぬのに、未だ策を動かそうとしている。
人々がそれぞれ役割を全うし、大なり小なり責任を負うから世の中は回っているのだ。
権力を得たとて、世が回らなければ、己の城もいつかは崩れ去るのだ。
彼らが何を得ようとしているのか、ブレアスには分からなかった。
兄は自宅に戻ると急いで妻の食事を平らげた。
ブレアスもそのおこぼれに与った。
「最近なんだかあの人生き生きしているわ。きっとあなたが戻ったせいね」
ブレアスに食事を運んできた時に義姉が言った。
「それは良かった」
そう言ってブレアスは笑顔で応えた。
この危機的状況で、兄もできる限りのことをしている。
俺ができることと言ったら、戦働きくらいだが、それだけではこの事態はおさまらん。
頭の回るものに聞いてみれば良いか。
食事を平らげると、ブレアスは表に出た。
「行くか?」
ダナンと部下の男がいた。
フラムはもう復帰した。
兄と合流すると、将軍の邸宅へ向かった。
ここからそう遠くない場所だ。
ブレアス達が着いた頃に、ルディスが部下と共にバジルを連れて来た。
彼の側近もいた。
「俺は控えておこう」
バジルは気にする必要はないと言ったが、ブレアスは遠慮した。
「ではまずわしだけで行こう」
そう言うと、バジルは一人中へ入った。
ゲイルスがバジルの前を進み、応接間に入った。
南方の伝統的な絨毯を敷いた部屋だった。
奥にはネイルス・ケルビンが一人座っていた。
「お時間を頂いて感謝します」
老人が頭を下げた。
「組合の総代から戦の情報を聞くとは、何とも奇妙な話ですな」
「確かにその通りです」
バジルは知る限りのことを伝えた。
ネイルスは暫く黙り込んだ。
「この書類から見ると、カレアンが胡椒を買い漁っているのは間違いない。安定的に供給されておるのだから、在庫を抱える意味もない。だが戦をすることがわかっておれば、自然な動きだな。だが、何故あなたがそれらの情報を知り得たのだ?」
「シエラから情報を持って来たものがいたからです」
「ここに同席しなかった理由は?」
「彼は国を捨てざるを得ない立場に追われたからでしょう」
「国を出た者が危機を報せにわざわざ来たと?」
「はい」
「どのような者だ?」
バジルは、こう言う展開になることを考えた上で顔を出さなかったことに気づいていた。
戦犯として国を出た者が、戦の知らせを持って来たとしても、信用されないのは目に見えていたからだ。
「表におりますが」
「会おう」
バジルは部下に表の者を連れてくるように指示した。
外で待機していた者が順に応接間に入って来た。
ブレアスの顔を見た時、ネイルスは笑った。
その顔を見ると、ブレアスは頭を下げた。
「よく戻ったな」
「ご無沙汰しております」
バジルは順に紹介した。
「彼はアルバート・メンデルです。貿易公社に務めており、資料を集めたのはこの方です。そしてダナン・ロートン、レイ・ディランとフラム・ボアズ、アルバレス・メンデル。彼らがシエラの動きを調べ、報せに来てくれました」
「元気だったか?」
「何とか、お陰様で」
「十年前、お前を助けてやれなかったことは申し訳なく思っている。戦のことが真であれば、この国はお前に感謝せねばならんだろうな」
「残念ながら事実です」
ネイルスは口をへの字に結んで頷いた。
「話は聞いた。カレアンの金融ギルドとシエラのサナエが手を組んだ、と言うことだな」
「はい。サナエの出国を結果的に手伝うことになりました」
「なに? 手を貸していたのか?」
「いえ、情報を探す過程で居合わせたのです」
「今は何をしている」
「話せば長くなりますが、ティルナビスの協商組合で世話になっています」
「なるほど、裏家業ならそう言う情報にも触れられるか」
ブレアスは頷いた。
「陛下もご病気の最中、戦ともなれば、街は混乱を極めましょう。手を打たねばと思い、彼らに協力しておりました」
バジルは言った。
「実に良くやってくれた。感謝する。しかしながら、この件に対処する前に大きな仕事を片付けねばならん」
「戦よりも大きな問題ですか?」
バジルが眉を寄せて尋ねると、ネイルスは大きく頷いた。
「この話とは根が同じであろうから、伝えておく。むしろ民心が乱れぬよう協力を願いたい」
皆どう言うことか気になり、顔を見合わせた。
「ある男が、陛下に関わる陰謀の協力者を引き渡すと言って来た」
皆目を丸くして聞いた。
「上手くすれば宮廷内の膿を一掃できる好機になりましょうな」
ネイルスはバジルに頷いた。
「まずは王宮を建て直さねばならん。政を糺さねば戦などできん。学院を一網打尽にする。アルバレス、お前も来るか? 十年前の戦は学院子飼の将軍が仕掛けた戦争だ。お前は顛末を見届ける資格がある」
ブレアスは俯いて考えた後、答えた。
「参ります」
「よし。次の満月の夜、再びここに集まるように。ウツケ者の顔が拝めるぞ」
ブレアスは宿に帰る道すがら自問した。
行くと答えた時、心の中に沸きあがるものがあった。
先の戦での処断については、納得できないことは、挙げればきりがなかった。
しかし右軍敗走の発端を作ったのは自分だ。
一部隊を任された者として、認めざるを得ないことだった。
だが、その後の打ち手が悉く裏目に出たのは、差配した将の戦術眼のなさとしか言いようがない。
しかし咎められず、今も同じ地位にいた。
十年の間、それを消化するのに費やしたが、未だに消化できていなかったのか。
シエラに移り住み、環境が変化して生活も変わり、生き方も変わった。
自分の中にいつも問いがあった。
俺は何のために戦っているのだ?
これまでは国のために戦った。
それが家族や仲間を守ることにつながると信じていた。
今は違う。
殺したいわけでもない。
金は必要だが、多くは望んでいない。
国益のためだというが、国益を考えるならば本来は戦などしない方が良い。
今回の件を見ていて尚更そう感じていた。
国益というが、限られた者達の利益でしかないのだ。
その中で兵達が、同胞達が死んでゆく。
敵を殺せというが、相手は立場上自分を殺しに来るだけの連中だ。
恨みがあるわけでもない。
自分に敵はいないのだ。
そうだ、俺に敵などいないのだ。
ならば、ならばこの力は何処に振るえば良いのだ。
その答えを十年探してきたのだ。
ブレアスは決めた。
どんな連中がどんな顔をして同胞を死地に追いやったのか。
それを見極めてやるのだ。
拳を強く握りしめた。
「うちに来い。一献付き合え」
バジルが肩を叩いて誘った。
ブレアスは頷いた。
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