凪の動揺
悲しい事や辛い事があってもレースは続く。その日の夜もいつものようにチームミーティングが行われていた。
明日から変えざるを得ないチーム目標と戦略について監督が話している時だった。
「あの」と言って1人の選手が立ち上がった。
昨年チームに加入し、グランツール初出場の21歳のベルギー人、ニコだ。
「俺、今回すごく調子が良くて。総合を狙ってみたい。新人賞は勿論、マイヨジョーヌは無理でも表彰台くらいなら狙えそうな気がするんだ」
表彰台くらいって?
しばし、沈黙の時間が流れた。
確かにニコは期待の新人で、平地も山もT.T.(タイムトライアル)も走れる。
しかし、3週間のレースは未知数だし、誰の目から見ても表彰台にはまだまだ手が届きそうもない。
それでも可能性は無ではない。
才能を持った若手はワンレースで恐ろしく化ける事がある。
監督も全く考えていない事ではなかったようだ。
「そうか。ナギ、やってみるか?」
凪は自分に振られてびっくりした。
やってみるかと言う事は、僕がニコにつくという事。リュカについて走っていたように。
咄嗟にさっきリュカに言われた事が頭をよぎった。リュカを失った今、僕にはステージや山岳を狙えるチャンスがある。
ニコにつくという事は、それを捨てるという事だ。
ましてやニコについた所で彼がどれくらい走れるのか分からない。
僕はステージや山岳を狙ってみたい、そう言おうと思うと心臓がバクバクした。
でも勇気を出して言わなきゃ、と思い切って監督に顔を向けた。
「ぼ、僕は」
そう言いかけた時、遮る声があった。
「ナギさん、お願いします!」
ニコの顔を見ると、彼は真剣な目を返してきた。
僕はニコから目を逸らした。
「ぼ、僕はステージや山岳を狙ってみたい。今回はリュカの勝利だけを目指してました。その為に全てを捧げようと思ってた。それが無くなった今、急にニコの為になんて走れない。せめて僕自身の勝利の為に走らせて下さい」
本当は、もう走りたくなかった。
ニコの為に走ろうなんてとても思えない。自分自身の勝利の為と言ったのは、そうでも言わないと仕方がなかったからだ。
ニコはフンといった感じで顔を背けた。
監督は何か考え込むように頷きながら「そうか」と言った。
「よし。明日からはステージ優勝を目標に切り替える。毎日のミーティングで指示を出す。まず明日の丘陵ステージは細かな作戦は立てないから、各々が自由に狙ってみろ。集団スプリントでは勝ち目が無いから、少人数の逃げでチャンスを見出していくように。
それから、ニコには特にアシストは付けないが、自分自身で総合を出来るだけ上げていくように走れ。総合トップ10を狙って走れ。上位にいける可能性を見せてくれたら、その後アシストをつける事にしよう」
監督の言葉にチーム員全員が納得した。
☆
翌日からチーム・アンドゥはまとまりのないレースを続けていた。その後5日間はステージ優勝に絡む事もなく、チームの雰囲気も最悪なものとなっていった。
ニコだけは一人淡々と総合順位を上げ、トップ10を狙える位置につけている。
凪に至っては最悪の走りを続けていた。何もかもが中途半端な感じで、ニコを気にしたり、逃げてみようかと思ったり、レースへの集中力を欠いていた。
ネットを少し見れば問題となった事故シーンの映像が何度も出てくる。
レース観戦に夢中になって熱狂した朝陽が、集団内の沿道ギリギリを走っていたリュカに向かって突然大きく身を乗り出していた。
SNSは恐ろしい。
こんな事をよく書けるなと、目を疑いたくなるような暴力的な酷い書き込みもお構いなしだ。
「日本人の恥」
「今年のツールは終わったな。もう興味ゼロ」
「リュカが可哀想。加害者は死ね」
中にはこんな書き込みまである。
「加害者は、ナギの元彼だとか? リュカとナギの関係にヤキモチ爆発したか?」
「そういえば、加害者はこのレースの前にもリュカを狙うような怪しい行為を目撃されてるとか。
こんな書き込みを見ては、凪の心は
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