エースのプレッシャー
「約束通り、明日からはナギをエースにチーム一丸となってマイヨロホを守り抜くぞ。
ただし、ナギが崩れた場合はエース交代もあり得る。
そのあたりの判断はリーダーであるリュカに任せる。頼んだぞ」
その日の夜のミーティングで監督が皆に告げた。
ゴール後、凪はマイヨロホを守り抜いた達成感に満ち溢れていた。
しかし、時間が経つにつれてどんどんと不安の波が押し寄せてきた。
目の当たりにしたリュカの強さ。
たった2秒差なんてボーナスタイム1つでひっくり返る。
リュカにその気さえあれば簡単な事だろう。
ツールの事を思い出す。ラルプデュエズで力を使い果たした僕は、その後はレース半ばまで働くのがやっとで集団からは遅れてゴールしていた。
疲労はピークに近い。明日からもちゃんと走れるのだろうか? あの時と同じように遅れてしまうんじゃないだろうか。
リュカなら出来る。リュカがエースになるべきでは‥‥‥
だめだ。そんな弱気でどうする?
リュカは「全力でナギを守ってやる」って言ってくれた。
でも本当かな?
リュカは「最後まで気を抜くなよ」と言った。
「敵はまだすぐ近くにいるから」とも言った。
ニコの事? それともリュカ自身の事?
もしも自分が崩れたら、エースの座は奪われる。
それを2人が狙っていないって言い切れるか?
僕は怖くなった。
手に入れた物を失う事が。
皆の期待を裏切ってしまう事が。
食べ物や飲み物に変な物でも入れられてるんじゃないか。
そう思うと、食事をする事さえ怖くなる。
考え過ぎだ。そんな事があるはずがない。
凪の中で凪と凪が戦っていた。
食事を喉に無理矢理通して部屋に戻った。
「ナギ、大丈夫か?」
朝陽からラインが来た。
何で分かるんだよ。
この前だって助けてくれた。
朝陽の笑った顔が浮かんできた。
僕たち、磁石かよ。
高校に入学したての頃、僕は朝陽に
まるで朝陽が磁石で僕が砂鉄になったような気分だった。
いつの間にか僕も磁石になっていた。磁石のプラスとマイナスのように、お互いに惹かれ合っていた。
今も‥‥‥
感じてくれているのか? 僕の気持ちを。
2人の力は惹かれ合っているのか?
強がっている事もバカらしく思えてきた。
自分をさらけ出したくなった。
「怖いんだ。何を信じたらいいのか分からない」
すぐに既読が付いた。
プロの自分がこんな事を書くなんて情けないと思った。朝陽だって困るだろう。
でももう遅い。出してしまったものは取り消せない。
それでも朝陽なら、きっと朝陽なら許してくれるだろうと、願うように思った。
メッセージが流れてきた。
「何を信じるのが正解かなんて誰にも分からない。
ナギが一番信じたいものを信じればいいんじゃないかな?」
僕が一番信じたいもの‥‥‥
「ナギ、覚えているか? お前が自転車を始める前に一緒にテレビでブエルタを観た事。テレビの中にはリュカがいて、一緒に応援したよな。
今、俺が観ているテレビの中に、そのリュカとナギがいるんだ。しかもナギがマイヨロホを着てるんだぜ。
苦しいだろうけど、それは今のナギだけが味わえる最高に贅沢な苦しみだ。その苦しみを楽しんでほしい」
覚えているさ、もちろん。僕はブエルタの戦いを見る事よりも、朝陽と一緒の時間を過ごせる事の方が楽しかったけどね。
「ナギがプロになって初めて走ったブエルタ。その終盤になって俺はようやくナギと同じ気持ちになってお前のレースを観れるようになった。
おこがましいかもしれないけど、あの時からずっと、そして今も、ナギの気持ちは分かっているつもりだし、それを客観的に見る事もできる。
ひとりで苦しむな。俺も一緒に戦っているぞ。
最終日を除いてあと3日。
1日、1日、ナギの全力を尽くせ。仮にもしナギがダメになったとしてもチーム・アンドゥにはリュカもニコもいるじゃないか」
そうか、そうだよな。
僕はひとりじゃない。朝陽も一緒に戦ってくれている。
それになんで僕は、リュカやニコを敵のように考えてしまっているのだろう。
バカみたいに悩んでいた事が滑稽に思えてきた。
1日、1日、僕の全力を尽くすだけだ。
一気に心が軽くなった。
「アサヒ、ありがとう。最後まで見てて」
心が繋がった。
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