魔の山 アングリル
クイーンステージ。
総合優勝者はチーム・アンドゥから出る事はほぼ確実だろうが、ライバルチーム達は表彰台の一角を狙って意地を見せてきた。
最後の超級山岳であるアングリルに入るまでに、ペースを上げたりアタックに出る選手も多く、激しい展開が続いていた。
チーム・アンドゥは3人共きっちりと先頭集団に残っているが、勝負の足を最後までとっておきたいのだろう。自分から動こうとする者はいない。
先頭集団はエース級の6人に絞られ、アングリルの上りに入った。
超一流の彼らでさえ、顔を歪めながら走るような急勾配の坂が幾度となく現れる。
もしかしたらこの坂は、ある意味楽であるのかもしれない。展開など考える必要もなく、力のある者が生き残る。
主導権を握っているのはリュカだ。リュカが見ているのは凪とニコ。2人の様子を探りながらペースを作っていく。
誰かがそこからアタックを仕掛けられるような緩いペースではなく、自然と付いていけなくなる者が出てくる。1人、また1人と落ちていく。
スペインの応援はこれまた熱狂的だ。
マイヨロホを着ているせいか、あちこちで「ナギ!」という声が飛び交っている。
ツールのラルプデュエズはクレイジーだったが、凪はこれほど多く自分の名前を耳にするのは初めての経験だ。
凪は必死にくらいついていた。
やっと半分を上った。
ペースが速い。早過ぎる。そのほとんどをリュカが引いている。
リュカの後ろにニコ、その後ろに僕。僕の後ろは少しだけ間が開き始めている。
少しでもニコとの間を開けてしまえばそのまま僕も離されていってしまうだろう。
我慢だ。我慢。
ここさえ乗り切れば‥‥‥。
そんな事が何度も何度も繰り返されている。
これ以上は危険だ。レッドゾーンが点滅し始める。
少しペースを落とさなければ、急激に失速してしまう。それだけは避けなければならない。
きっと前も限界ギリギリのはずだ。
ギリギリの所で追っていけば、マイヨロホはきっと守れるはずだ。
前の2人との間は少し開いてしまったが自分を信じて上る凪。
「ナギが遅れ出した」
ニコがリュカに告げる。
ニコはここがチャンスと見たようだが、リュカはペースを変えない。
リュカはこのペースがギリギリなのだろうか? 初めてニコが前に出て少しペースを上げた。
2人から離れてなるものか。
2人の背中が小さくならないように、凪はしっかりと前を見据えながら、ギリギリの所で耐え続ける。
壁のような急坂を腰を上げて進む前の2人。
ほんの少し勾配が緩くなった所で、後ろについていたリュカがぐんぐんと加速した。
急激なペース変化をニコは見送った。ついていけないのか、ついていかないのか?
リュカは後ろも振り向かず、そのままぐんぐんと上っていく。
ニコとの差は一気に広がった。
凄い! まだここから行けるのか!
一瞬、観客になったようにその瞬間に酔いしれた凪。
と同時にリュカの魂気迫る姿は、僕に何かを訴えているように感じた。
このまま俺に負けていいのか、と。
お前はその程度の奴なのか、と。
力を貰った。負けてたまるか。
自分に集中しなおす。僕ももっと出来る!
ニコの背中が少しずつ大きくなってくる。
行ける! ニコはいっぱいいっぱいだ。僕はまだ動いている。
そのまま、声も掛けずに、ペースも変えずにニコを抜き去る。
少しついてきているのは分かったが、構わず踏んでいると彼の気配は消えた。
リュカを追うんだ。まだ追えるはず。
30秒。彼から30秒以内にゴールすればいいんだ。何としてでも!
リュカがゴールするのが見えた。
しかしゴールは遠かった。向かうゴールはすぐ近くに見えているというのに、一向に近づいてこない。
まるで悪夢のようだ。それでも凪は全力を振り絞る。負けたくない。絶対に諦めない。
いったいどれほどの時間が掛かってしまったのだろう。
ゴールしてすぐに凪はその場に座り込んだ。
負けたと思った。
リュカが勝って、負けたと思ったのは初めてだった。
今回、リュカの勝利は自分の勝利ではない。
全力で戦ったのだ。悔いはない。
明日からまた本来の自分、自分らしいリュカのアシストに戻れるんだ。
自然と少し笑みが出た。
それと共に悔し涙が流れた。
遅れてゴールしたニコがその横を無言で通り過ぎた。
「ナギがマイヨロホだ!」
少しゴールの先にいたリュカが戻ってきて凪に告げた。
「負けたよ。2秒差で。悔しいけれど、俺は全力で戦ったから悔いはない。ナギ、よく頑張ったな。おめでとう!」
手を貸してもらって立ち上がると、リュカは僕をぎゅっと抱きしめてくれた。
「ナギ、最後まで気を抜くなよ。敵はまだすぐ近くにいるから。でも安心しろ。俺は全力でナギを守ってやる」
最終日を除いてあと3日。
凪とリュカの差はたったの2秒、ニコとの差は50秒になっていた。
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