思わぬ展開
第1週目、本調子でないのは凪だけはないように見える。
ツールで激闘を制したリュカはその疲労からか、大失速をしたケビンは狂った歯車が噛み合わないのか、2人共目立った動きは見せず様子見に徹していた。普段ならば、あらゆる場面で自ら攻撃を仕掛けてくる2人である。その静けさは逆に不気味な感じさえする。
ニコは得意のT.T.まで自分から動くつもりはないのだろう。
今の所、マイヨロホを着る選手は最後まで着続けられるような選手ではなく、毎日のように入れ替わっている。本命選手達とのタイム差も大きくはない。
少し退屈に思えたこれまでのステージを吹き飛ばすかのように、第8ステージは思わぬ結末が待っていた。
その日の前日、チームミーティングで凪は1つの提案をしていた。
「ようやく調子が上向きになってきた。明日はチャンスがあったら逃げに乗ってみてもいいかな? これまで有力どころの動きは無いし、ちょっと空気を変えてみたいっていうか、先手を打てば有利に進められると思うんだよね。
場合によっては前待ち(※)も出来るし」
自分から提案してくるようになった所に凪の成長を感じる。言葉にも重みが出てきた。
結果的に、レース前半に出来た20人近くの逃げグループに凪が入り、これが勝ち逃げとなってしまったのだ。
レースでは時々、なぜ? という予想だにしない事が起きる。
勝負の
総合争いとステージ争いが絡み合い、チームの心理と個人の心理、個人の中にある複雑な心理が絡み合い‥‥‥。
ぐじゃぐじゃの絡み合いが引き起こす奇跡なようなものだろうか。
最大で逃げグループとプロトンとのタイム差は8分まで広がった。
凪には監督から「前を引くな」という指示が出る。
プロトン内で次のような会話がなされていた事からも、各チームが牽制し合っていた様子がわかる。
ニコの言葉。
「ウチのナギが逃げに入っているけど追わなくていいのか?」
ライバルチームの言葉。
「お前のチームのエースはニコとリュカだろ。ナギにエースの座を奪われたくなかったら自分で追えよ」
この日のレースは最後が一級山岳で、仮に逃げグループの中から優勝者が出るとなると、凪が取る確率が高い。
タイム差が広がっても、チーム・アンドゥが引くわけにはいかないし、凪は凪でプロトンとの差を付け過ぎてはいけない。
この逃げが決まるだろうと判断された時、ナギは無線で指示を受けていた。
「確実に勝て」と。
プロトンは結局、上手く逃げグループを詰め切る事が出来ず、先頭と3分差なら大丈夫と合意したのだろうか。
その差を3分まで縮めると、そこからは無理にでも差を詰めようという動きは見られなくなった。
凪は最後の一級山岳のラスト500メートルで仕掛け、ステージ優勝に輝いた。
プロ初勝利!
いや、それどころか、凪はこの世に生を授かってから勝利という物を手にしたのは初めての事だった。
大観衆の拍手を浴びて両手を広げてゴールに飛び込む。
胸のスポンサーロゴを指差しながら、スポンサーをしっかりアピールする。
アシストの凪にとってはこんな事は二度とないかもしれない。
「よくやった。喜びいっぱいのゴールを決めろ」
無線から届く監督の言葉通りの優勝ゴールを決めた。
しかしそこに喜びはあまり感じられなかった。
優勝を狙って逃げたわけじゃない。
走り自体も好調とは言い難い。これまでリュカに合わせたりニコに合わせたりしてきたフォームが、今はごちゃごちゃになって自分のフォームが分からなくなっている。
思いのほかプロトンとタイム差が広がってしまい、先頭を引く事も許されなくなった。
ただ後ろに付いていって、言われたように確実に勝った。
チームの為に必要な勝利だったのかもしれないけれど、こんな勝利は望んでいたものではない。
仕事なんだ。まあこれは、仕事だから仕方がない。
マイヨロホは20秒差で他の選手が着る事になったが、上りの実力は凪の方がずっと高い。
総合を狙う選手達とは約3分の差が付いた。
今、総合2位にいる凪は、マイヨロホに最も近い位置にいると言えるだろう。
それでも凪は総合勢との3分差なんて有って無いような物、長いT.T.や大きな山1つでひっくり返る差だと考えていた。
今日は今日、まあ、あまり嬉しくはないけれど、これまで頑張ってアシストをやってきたご褒美だと思えば良いと考える事にした。
レース直後のインタビューにもこう答えた。
「今日の勝利はご褒美のような物。明日からはまたちゃんとリュカとニコのアシストとして頑張るよ」と。
しかし、監督はメディアに向かって言ったのだ。
「これでチームとしては更に戦略に幅を持たせる事が出来る。
明日からチーム・アンドゥはリュカ、ニコ、ナギのトリプルエースで総合優勝を狙っていく」と。
※前待ち
レース後半にエースが追い付いてきた場合にそれを助けられるように、アシスト選手があらかじめ逃げに乗っておく作戦。
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