ダブルエースで臨むブエルタ

 ツールを終えて、凪は自転車を始めてから初めて1週間もの完全休養を取った。

 取ったというよりは取らざるを得なかったと言うべきだろう。

 疲労が一気に押し寄せてきて、何も手につかない。食べて寝てゴロゴロしているのが精一杯で、まるで廃人になってしまったようだ。

 監督からも、先の事は何も考えなくていいから、とりあえず1週間休めと言われた。


 ツールが終わってからブエルタまでは約1ヶ月しかない。

 1ヶ月後にまたあんなに苦しい3週間を過ごす事が出来るはずがないと思う。

 だけどもし、そのレースに自分が必要とされるならばやらなければならない。例え自分がそれを望まなくても、それが仕事であるなら仕方がない。



 当初、今年はツールにスター選手が集中し、ジロとブエルタは少し面白みに欠けると言われていた。


 しかし、ここにきて、その様相が一変してきた。


 ツールで優勝候補の本命とされながら、ラルプデュエズのステージで大失速し、表彰台にも上がれなかったケビンがブエルタ参戦を表明してきたのだ。


 それに続いて、ツールの王者、リュカも出場するという噂が流れ出した。

 まさかそれはないだろう。

 あれほど激しいバトルで勝ち取ったツール。もう今年は充分だろう。

 それはない、と殆どの人達は思っていたが、噂には尾鰭背鰭が付いて広まり出す。


「ナギの調子が悪いみたいだ。リュカがニコのアシストにまわるのではないか?」


「今年のチーム・アンドゥの目標はグランツール全てを獲る事だよね。ケビンに勝つには、やっぱりニコだけじゃ無理だって思ったんだと思う」


「リュカは来年チームを移籍するっていう噂もある。その前にチーム・アンドゥのエースは自分だって事をニコに示したいんじゃないのか?」


「リュカはニコの事をあまりよく思ってないみたいだから、ニコにブエルタを取らせたくないんじゃない?」


 などなど。

 真相は分からないがチーム・アンドゥのスタートリストには、ニコ、リュカ、ナギの名前があった。


 面白みがないと思われていたブエルタが俄然、注目を集め始めた。


 チーム・アンドゥはケビンを倒す事が出来るのか?

 そしてアンドゥのエースは誰なのか?



 このチームの決定に面白くないと思っている者がいた。

 ニコだ。

 当初、自分で行くと言われていたのになぜリュカが出てくるのか。

 リュカはどういうつもりなのか計り知れない。


 このチームの決定に戸惑っている者がいた。

 凪だ。

 リュカとニコ。2人をどうアシストすれば良いのか。そもそも自分はこの調子では、彼らのアシストなんてとても出来る気がしない。


 ★



 ブエルタ・ア・エスパーニャ。


 情熱の国、スペイン。

 総合成績1位の選手には「マイヨ・ロホ」と呼ばれる赤色のジャージが与えられる。


 ツールが巨大化し、規制などが非常に厳しくなり、選手達のピリピリとした緊張感がとても高いのに対し、ブエルタは少しアバウトでアットホームな感じに見受けられ、それが魅力であるとも言われている。

 しかし選手達の全てを懸けた真剣勝負の場だという事には変わりがない。


 ツールに比べると、急勾配の峠が多く、コースプロフィール上からは読み取れないようなアップダウンが激しい事も特徴だ。



 選手紹介が行われるプレゼンテーションの日、監督がチームの方針を公にした。


「チーム・アンドゥはリュカとニコのダブルエースでブエルタを獲りにいく」

「チーム内でお互いが争うのではなく、協力し合いながら勝利を目指す」



 凪はなかなか調子を上げられないでいたが、チームからの信頼は厚く、凪に変われる者はいない。

 1週目はアシストの事を考えなくて良いから、レースの流れに乗って調子を上げていくようにという指示を与えられた。



 とりあえず1週目は、リュカとニコをどうアシストしていけば良いか考えなくていいようだ。

 自分が調子を上げていく事だけを考えよう。1週間あれば、きっとレースに身体が順応していくはずだ。その後の事は、それから考えよう。

 そう思うと凪の心は少しだけ軽くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る