事故

 ツール4日目。

 沿道で観ていた朝陽の目の前でその事故は起きた。


 沿道から大きく乗り出した観客と選手が接触。落車が発生し、20名近くの選手が巻き込まれた。


 何と観客と接触したのは優勝候補筆頭のリュカで、その隣を走っていた凪も巻き込まれていた。

 リュカは激しく地面に叩きつけられ、鎖骨骨折。再び走り出す事は出来ず、ツールを去った。

 凪は裂傷と打撲を負い、しばらくリュカを待っていた事もあり、集団からはかなり遅れてしまったがゴールに辿り着く事は出来た。


 ここ数年の間に、選手と観客との間で大きな接触事故がたびたび起こっていて、取り締まりもとても厳しくなってきている。

 悪気は無くても危険な行為だと見なされれば観客が逮捕される事もある。



 凪が痛々しい姿でゴールすると、スタッフからリュカの様子と、リュカと接触したのはどうやら日本人らしいという事が伝えられた。

 リュカはゴール地点に近い病院に搬送されたらしい。スタッフがこれから行くというので、凪も一緒に行って怪我をそこで診てもらう事にした。



 凪は幸い骨折はなく、肘を3針だけ縫った。

 リュカは明日手術をするという事でベッドに横たわっていた。

 訪れた凪を見てリュカは微笑んだ。

「来てくれてありがとう。残念だ。凪は大丈夫か?」と凪を気遣った。



 今回はリュカも僕もすごくいい調子でツールに乗り込んでいた。

 これまでジロとブエルタでは総合優勝に輝いていても、意外にもツールは最高2位止まりのリュカが、今年は行けると思って臨んだ大会だった。

 それだけに僕はとても残念だし、それ以上にリュカはショックを受けているはずだ。

 それでも特に無理をしている感じでもなく、リュカは明るかった。


「深刻な怪我じゃない。手術をすればトレーニングもすぐに再開てきるはずだ。ロードレースはこういうものさ。ツールは来年リベンジしよう。

 ところで、チームは俺がいなくなって、目標や戦略を大きく変える事になる。ナギもステージとか山岳とか狙ってみたらどうだ?

 その力はあるはずだから」


 そんな事を言ってきた。


「え? でもそれはチームが決める事だから」

 そうは言ったものの、思ってもいなかった事を言われて僕は戸惑っていた。そして謝りたい事があった。


「それと‥‥‥。リュカに接触したのはどうやら日本人らしいんだ。きっとレース観戦に不慣れな日本人がレースに夢中になり過ぎたんだと思う。同じ日本人として、リュカに謝りたい。本当にごめん」


 そう言う僕にリュカは、ナギには関係ないから謝る必要はないと言ってくれた。

 そして「俺とぶつかった観客は脳震盪を起こしてこの病院に運ばれたって聞いたけど、その人が無事である事を祈ってるよ」と言った。




 僕はリュカが予想外に明るかったので、何だか余計に悔しくなった。その日本人の行動を恥じ、無事であるなら懲らしめてやりたいと思った。

 気持ちがおさまらず、そいつがどういう状態にあるかだけでも知りたかったので病院の人に尋ねてみた。

 プライベートな事は答えられないと言われたので、咄嗟に知り合いかもしれないから名前だけでも教えてほしいと頼み込んだ。


「ASAHI TOUYAMA」


 その名前を聞いて、僕はその場に立ち尽くしていた。

 まさか‥‥‥

 そんなはずはない。

 同姓同名の人かもしれない。

 お願いだから人違いであってくれ。


「人違いかもしれないけれど、昔からの親友かもしれない。どうか合わせてほしい」と頼み込んだ。


 本人の様子をみてくるので少し待っているようにと言われた。



 看護師さんが付き添ってくれて、僕は「ASAHI TOUYAMA」と名札の付いた病室へと足を踏み入れた。



 ベッドには人が寝ているようだったが、掛け布団が顔の上まで掛かっていて姿が分からない。

 中で泣いているのか、布団が小刻みに揺れていた。

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