嫉妬
理学療法士として病院に就職していた朝陽は今年の夏、ようやく長期休暇を取れる事になった。
27歳。
来年以降、またうまく休暇が取れるかどうかは分からない。
今、行かなくてどうする?
4年前、凪が脚光を浴び始め、俺に関する事が書かれた記事を見た時に、会いたい気持ちを抑えきれずにツール・ド・フランスを観にいった。2泊3日の強行旅行だった。
あの時、凪は苦しんでいた。俺は会わない方がいいと思って、声も掛けずにすぐに帰ってきてしまった。
あの時から凪はグッと成長した。凪がリュカと名コンビになっているのは悔しいけれど、これはまさに俺がずっと夢見ていた事。凪に託した俺の夢が現実になっている。
そしてエースをしっかりと支えるあの姿こそが凪の真骨頂だ。
今回こそはゴールしてくる凪を思い切り抱きしめたい。
会ってたくさん話もしたい。
でもそれは迷惑かな?
まあそれは、状況を見て判断すればいいじゃないか。
ただ見に行くだけでいいんだ。
3週間に渡るツールを初めて現場でこの目でじっくり見れると思うと、ロードレースのいちファンとして、凪の熱烈なファンとして、久々にテンションが上がりまくっていた。
通勤で少しはロードに乗っていたけれど、高校時代と違ってすっかり贅肉もついてしまった。もしも凪に会ったとしたら、ちょっとカッコ悪いなと思った。
通勤は遠回りをしてダイエットに励んだ。
少しは締まった。これくらいなら許せるだろうか。
★
旅するツールを朝陽は追いかけた。
ツール3日目の夕方、通りを歩いていると、たまたまチーム・アンドゥのチームカーが駐車場に泊まっているのが見えた。
おっ、凪たちは今日ここに泊まっているのか。
朝陽は悩んだ。凪を訪ねてみようか、やめておいた方がいいか。
思い切ってラウンジでコーヒーでも飲む事にした。もしも凪が現れたとしても気づかれないような席に座った。
アンドゥの他にも何チームか泊まっているようで、選手達が時々現れてはコーヒーを飲んでいる。
その度に朝陽はドキドキした。凪じゃなくて残念なような、ホッとするような。
そろそろ帰ろうかな、と思った時だった。
リュカと凪が仲良く笑顔で話しながらラウンジに入ってきた。
朝陽は息を飲む。
何か悪い事でもしているように、椅子に置いていたバッグをテーブルに上げて向こうからは顔が見えないようにした。
朝陽の目は2人に釘付けになっていた。
まさにスターだ。
チームのアフターウエア、黒のTシャツとジャージ姿なのだが、その身体と姿勢は美しく、2人からは只者ならぬオーラを感じる。
2人はテーブルに着き、コーヒーを飲み、楽しそうに会話をしていた。
その間にも何回かファンの人にサインを求められては快く応じていた。サインを求める者の中には選手の姿もあった。
20分も経っていないと思う。
2人は早々とそこを去っていった。
朝陽は何か見てはいけない物を見てしまった気がしていた。
凪の今を見せつけられたような気がした。
あの2人、お似合いだな。
もしかして、できてるんじゃないか?
そんなふうに思ってしまう自分が情けなくなる。
2人共テレビではもっと大きくてガッチリしているように見えるけれど、こういう格好をしていると意外と小さく華奢に見える。
絞られていて、余分な物など何もついていない。
いや華奢に見えるのは服に隠れているからで、服から出ている部分はとんでもない。
リュカの腕には、昔エースだったユーゴのように血管が浮き出た彫刻のような筋肉が付いている。
ナギの腕も高校時代のような赤ちゃんのような柔らかさは全く感じられない。
この世界であれだけの事をやっていればそれは当たり前か?
少しは絞れたと思っていたけれど、あの2人の身体を見たら、自分の身体に嫌気がさす。高校生の時は、凪は俺の身体が一番好きだって言ってくれてたのに、今はこのザマだ。
2人共、いい顔をしていた。勿論イケメンって事もあるけど、それだけじゃない。
とても凪に声を掛けようなんて思えなかった。自分とは別の世界に行ってしまった遠い存在のように感じた。
朝陽はすぐにそこを立ち去りたかったが、立ち上がる気力もなくなってしまい、もう少しそこでゆっくりしてから自分が泊まるホテルに戻った。
もう自分はしっかりと切り替える事が出来たと思っていた。
高校に入った時から憧れていたリュカと自分が愛してしまった凪のコンビを、心から応援できるようになったと思っていた。
ところが実際にあの2人を目の前にすると、心の中は激しく渦巻き、嵐のように荒れ狂った。
俺はなぜリュカに憧れてしまったんだろう。なぜ凪を愛してしまったんだろう。
そんな2人が結びつくなんて。
リュカを、凪を、自分自身を心から憎らしいと思った。
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